4月 062011
 

脱出相次ぐ「核恐怖の震源地」

京郷新聞 2011年3月21日

福島原発爆発事件で核恐怖の「震源地」となった日本福島県の重要都市が「幽霊地域」と化している。福島県一帯の住民たちの日常生活と経済活動は完全に停止した。これに加え、原発から少しでも遠く離れるために脱出の行列が何日も続いている。

原発から半径20km以内の避難指示を受けた地域はすでに都市全体ががらんと空いた。原発から半径20-30kmで屋内にいるようにと勧告された地域も核恐怖に抑えつけられ、人影も見えない状況である。

佐藤雄平福島県知事はイギリスBBCとのインタビューで「地域住民たちが覚える不安と恐怖が極に達している」と強調した。

17日の朝日新聞などは福島県一帯の商店街や観光地に人気がなくなったと報道した。原発の半径30km線により市内が南北に切り分けられる南相馬市はほとんどの店舗が店を閉めた。時計店主人のさがらたかし(69)さんは「道を通る人がほんとうにいない」といい、「たまに消防車が通り過ぎる音が聞こえるだけ」と話した。

原発から30kmほど離れた田村市では大通りに出ても人に会うことはめったにない。約50km離れた福島県の経済中心地である郡山も同じく人気がない。郡山市の繁華街である郡山駅の周辺も人影は見えない。ブルームバーグ通信は福島市の全食堂とスーパーも断水などにより店を閉めたと伝えた。

政府が決めた危険地域から脱出した住民たちももう少し遠くに行くために旅立っている。原発からの距離とは関係なく被ばくへの不安感がさらに高くなってからのことだ。福島県の外郭につながる道路には車の列が続いている。

すでに日本政府の措置により原発から半径20km以内の地域住民20万名余りがほかの地域に避難した。さらに最近福島県居住住民の6000余名が山形県や新潟県などの付近地域に脱出したと集計された。

残った人の日常 東京の小学生らが17日に保護帽子をかぶって登校している。東京|AP産経連合ニュース

「公式の危険地域」から離れたとしても不安がなくなるわけではない。住民たちはせいぜい数十km離れた臨時避難所などに避難しているからだ。現在埼玉に来ているが、かつて郡山で暮らし、福島第二原発で働いていた一人の男性は「起きた後にはもう遅い」といい、「家内と子供たちを少しでも安全な場所にいさせるために避難する」という。原発から約50km離れている三春の避難所にいる一人の住民も日本テレビとのインタビューで「相変わらず不安な気持ちは前と同じ」と話した。

日本当局は屋内避難地域に属する住民14万余名が日常生活の必需品不足などはもちろん、核恐怖により不便が重なれば希望者に限って他地域に移動させる計画だと伝えた。

福島県相馬市で旅館を経営していたが、今は山形市に避難しているかんのうしょうぞうさんは「帰る家もないし、はたしてこれからどこに行けばいいの」と嘆いた。

福島地域の住民たちの不満が高まる中、政府の不十分な対応への批判の声が大きくなっている。佐藤知事は「私たちは今すべてのものが足りない状況」と強調した。原発付近の住民たちの多くが避難所に詰めかけているが、今すぐ食べる食事はもちろん、燃料や医薬品など、生活用品はあまりにも不足しているという。

特にアメリカが原発から半径80km以内にいる自国民に該当地域を脱出して安全な場所を探すようにと勧告したことに対し、住民たちは政府の避難指示の基準への不信感を隠せない。

〈南相馬(福島)|キム・ギボム記者holjjak@yunghyang.com〉

翻訳:コリチーム 沈池娟