4月 062011
 

日本大地震取材記(2)
京郷新聞 キム・ギボム記者ブログより 2011年3月21日

15日、岩手県盛岡市に到着して一泊し、翌日電車に乗って岩手県南部の花巻市に移動しました。盛岡市内のバスは運行していましたが、16日当時、わたしの目的地である大船渡市、釜石市、宮古市などの海辺の都市に行く道はまだ復旧していませんでした。岩手県の地図をしばらく眺めて考えたのち、被害が激しかった岩手県南部の陸前高田、大船渡、釜石などに比較的近い花巻が目に入りました。ここまでの一般的な交通手段を調べて移動したのち、最終目的地に行こうと考えたのですが、幸いにも花巻まで行く電車があったのです。電車賃は何と650円、ウォンと円の交換比率はだいたい100円が1400ウォンだとすると、9000ウォンぐらいです。韓国で考えると江原道(カンウォンド)の春川(チュンチョン)から原州(ウォンジュ)までぐらいの距離ではないかと思うのですが。東京、大阪、京都などの都市でも電車賃がとても高いと思いますが、距離が長いので費用も結構かかるのです。それでもタクシーに比べれば安いです。参考のためにいうと、青森空港から盛岡市まではメーターで4万円以上だったんです。約60万ウォンですね。

花巻市に到着するや、呆然としました。タクシー以外に移動できる交通手段がまったくないのです。大体の距離を見ると、どの都市も数十キロは離れているので、費用がまたバカにならないと思って。特派員の先輩と相談して、すでに日本のマスコミが何度もレポート記事を書いている都市ではなく、ほかの都市に取材に行くことにしました。候補地を遠野市と釜石市に決め、様子を見ながら取材しようと決心しました。ところがタクシーに乗って運転手に話すと、思いがけなかった問題が二つ発生しました。ひとつは遠野市は被害がそれほど大きくなく、住民はすでに避難所を出て家に帰ったということで、もうひとつは行く車はあるが、帰りの車はないということでした。はじめの問題は取材現場を少し遠い釜石市にすれば済むことでしたが、帰りのタクシーがなければインターネットで記事を送ることもできず寝るところもなくなるのでとても困りました。タクシーの運転手から釜石市の現場から帰ってくる交通の便がないと聞いてうろたえていると、どのぐらい取材するのかと聞かれました。1~2時間ぐらいだと言うと、幸いにもそれぐらいなら待ってくれると言うので、交通問題は解決しました。ところが待ってくれると言うのでメーターは切ってくれると思ったのですが、取材を終えて戻ってみるとメーターは入れっ放しだったのです。釜石の災害現場と避難所を取材する間にたっぷり数千円は上がったようです。

ともかく江原道の山道のようにくねくねした道を1時間半ほど走ってやっと釜石市に到着すると、外から見ると地震が起こったかどうか分からなかった内陸都市盛岡や花巻とは違って災害地域だという感じがしました。市内に入ると大部分の信号が消えていました。まだ停電状態だったのでしょう。ところどころにあるコンビニには、人々の長い列がありました。コンビニから出てくる人たちがビニール袋をひとつずつ持ってとぼとぼ歩く姿も印象的でした。ところでその歩く姿が車で10分近く走る間、ずっと続いていたのです。あとで聞くと、被害現場からコンビニまで歩いてきて食べ物や水を買って帰る人びとでした。歩いて数十分はかかる距離でした。

車中で記者の方に釜石駅を境にして海岸の方は津波に襲われ、反対側は津波の被害はなかったという話を聞きましたが、実際、駅前からは干潟を思わせるほどのドロが広がっていました。現場の様子は実に残酷でした。わたしが行った16日には陸上自衛隊が投入されていて、住民たちが家に帰ってゴミを片付けている様子も見ましたが、すでに遺体は収拾された状態だったようです。先に送った文で一度お目にかけた写真ですが、もう一度送ります。

ところでわたしがいちばん驚いたことがほかにあります。‘津波浸水区域’と書かれた道路の上の大型案内板を見て、その意味を考え、ほんとに驚きました。下の二枚の写真に出ている案内板です。ここから先は津波浸水想定区域だと書かれているのです。津波が起こった場合被害をこうむる地域だということでしょう。平素、津波の被害をこうむる地域だと知っていながら、気にせずに暮らしている……われわれには理解できませんが、そうやって住んでいる人がかなり多いということですよね。

つぎの話は取材記(3)でお伝えします。

翻訳:コリチーム 福寿草