4月 072011
 

崩壊危機の総連学校“我々は1つの民族… イデオロギーを超えて援助を”
東亜日報 2011年3月18日

大震災で修羅場と化したまま放置された仙台市の‘東北朝鮮初中級学校’の教務室。職員たちは学校に避難してきた人々の世話に追われ、片付けなど考えられない状況だ。仙台=ウォン・デヨン記者 yeon72@donga.com

16日、仙台市太白区の八木山頂上付近では雪が舞った。その風景の中で古びた建物が目に入った。さび付いた校門にはハングルで‘東北朝鮮初中級学校’と書かれている。事務室に入ると壁にはキム・イルソン主席、キム・ジョンイル国防委員長(注1)の写真が掛かっている。在日本朝鮮人総連合会(総連)系であるこの学校は1965年に開校した。今年は小学生18人、中学生12人が通っている。
 しかし現在は授業が中断した状態だ。11日に起きた東日本大震災の影響で建物の至る所が壊れてしまった。生徒が授業を受ける校舎の壁にはヒビが入り、地面には割れ目ができていた。内部はさらに悲惨な状況だった。教務室の壁は崩れ、割れていない窓ガラスは見当たらなかった。建物の床は今にも倒れそうなくらい、一方にひどく傾いていた。
 この学校で科学を教えているヒョン・ユチョル教務主任は大震災当時を次のように振り返った。
 「午後2時46分頃から5分以上も建物が揺れました。教室全体がひどく揺れ動いて立っていることすら大変でした。急いで生徒を連れて校庭に避難したのでケガ人はいませんが、生まれて初めて経験する恐怖でした」
 朝鮮学校の施設は寄宿舎を除けば、すべて築40年以上で老朽化が進んでいる。地震の衝撃で建物2棟は、いつ倒壊してもおかしくない状態だ。21日まで臨時休校になった。校舎の代わりに寄宿舎で授業を行わないといけない。25日に予定されていた卒業式も実施が困難だ。
 この日も朝鮮学校はガスと水道が止まった状態だった。教職員たちは食堂で寝泊まりしていた。ヒョン教務主任は「ガソリンがなくて身動きが取れない。毎日、水をもらうために同胞の家を歩いて回る状況」として、日用品が絶対的に不足していると話した。
 それでも彼らは被災した地域住民を助けていた。1日の食事を2回に減らして付近の八木山小学校、八木山中学校(注2)、市民センターにおにぎり500個を届けた。独り暮らしの高齢者と被災住民など30人あまりを無条件で受け入れていたのだ。在日同胞のアン・サンジョさん(80歳)も大震災直後に家を離れ、家族5人と共に朝鮮学校で寝泊まりしている。アンさんは「がんの手術を控えていて避難所に行けない状況だったが、朝鮮学校の配慮で安らかな居場所ができた」と涙を浮かべた。
 しかしながら朝鮮学校に対する日本政府の支援はほとんどない。総連宮城県本部のイ・ヨンシク委員長は「日本が(北朝鮮との)政治的対立を理由に朝鮮学校を差別している」として、「宮城県に緊急嘆願書を提出した状態」と伝えた。
 朝鮮学校は韓国の救助隊が災害援助のため仙台に来たことを歓迎した。そしてイデオロギーを超えて困難に直面している同じ民族を助けてほしいと要請した。ユン・ジョンチョル校長は「たとえ今は苦しい生活を送っていても必ず立ち直る」として、「同胞が元気になれば生徒たちの未来も明るくなるから」と語った。キム・ジンフン理事長は私(記者)が名刺を差し出すと「1936年の『東亜日報』日章旗抹消事件は民族言論のプライドを表した事件だ」と話した。
 朝鮮学校の関係者は学校周辺の惨状を隠さず見せてくれた。そして学校を再建するために助けてほしいという言葉を何度も繰り返した。

仙台=ファン・テフン記者 beetlez@donga.com

※ 訳者注1 <国防委員長>は原語直訳。日本では一般的に<総書記>と表現しています。
※ 訳者注2 原語は<秋山>という漢字が出ていますが、仙台市太白区の避難所一覧に八木山小学校、八木山中学校はあっても<秋山>のつく学校はありませんので、誤認かと推測されます。
(参照サイト: http://realestate.yahoo.co.jp/crisis/04/04104/)

翻訳:コリチーム 金正美