12月 072011
 

韓国では、去る3月11日に発生した東日本大震災で被災した人々に対する募金活動が美しい財団によって行われ、多くの韓国の市民から心暖まる支援金が寄せられました。その支援先となったNPO法人遠野山・里・暮らしネットワークの活動がその後どのように行われているか、9月に現地を訪れた韓国人留学生のチョン・ジネさんが報告します。

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【1】
東日本大地震が起こってから半年が過ぎた9月、日本希望製作所では数名の研究者と一緒に被災現場とNPO法人遠野山・里・暮らしネットワーク(以下、山里ネット)を再訪した。
いまも大小の地震が日本各地で起こっているが、東京を初めとする地域では少しずつ安定してきているので、各種マスコミによる東北地域に関する報道は少なくなりつつある。そのため、現在の現場の様子や活動機関の動きや状況を把握することが、以前にも増して必要であることは言うまでもないだろう。

わたしたちが訪問した9月、遠野に向かう道は地震が起こった3月とは比べものにならないほど緑があふれ、ここが被災地域であることを思い起こさせるものは、被害を受けた道路の補修工事の現場だけだった。

わたしたちが真っ先に訪ねたのは山里ネットの事務所で、6月に「美しい財団」からの寄付金を届けて以来の訪問だった。最初に事務局長の菊池さんから地震当時の状況と山里ネットでおこなっている事業の概略や問題点などについてのお話を伺い、午後は、実施中の事業の一つであるEAST LOOPに参加している生産者たちの家を訪問することにした。

遠野市は、地理的にも歴史的にも長年後方支援の役割を果たしてきており、長い間、地震や災害の経験を積んできたので、地震や災害が発生した際には近隣地域を支援しなければならないという役割意識が強い地域だという。そのことは遠野市当局だけでなく民間団体、そして地域住民の意識にも自然に浸透しているように思われた。特に山里ネットでは、地理的に近い大槌、陸前高田、釜石、大船渡の4つの地域を中心に支援活動をおこなっており、とくに被害がもっとも深刻な大槌と陸前高田の2つの地域にもう少し力を入れて対応することを決めたとそうだ。

物資支援事業
地震後、真っ先に始めた活動、いや始めざるを得なかったのは物資支援関連の事業だった。地震発生当時はどんな状況なのかを知ろうにも、情報の発信も収集もできない状況だったが、間もなく電気が通じてインターネットで状況を知らせる作業ができるようになった。インターネットを通じて毎日どんな物資が必要かを把握して知らせ、訴えていくうちに自然に物資の支援を担当するようになり、遠野市と一緒に気兼ねなく体育館を物資倉庫として使いながら、必要な物資を配分・支給することを始めた。行政機関と民間団体が一緒に仕事をすることによって、物資の大量確保はもちろん、人びとのニーズに合わせた細々した物品の確保まで可能なシステムを作ることができた。

これは遠野が他の地域とは異なる民間協力体制をもっていたからこそできたことであり、物資の配分方法においても一括配布するのではなく、必要なものを自由に持っていけるバザー形式をとったという。ひとりひとりにそれぞれ異なったニーズがあるため、このようなやり方が当然だという常識から生まれたことだった。

このように倉庫で物資を配布するだけでなく、物資を取りに来られない人を対象にした訪問支援事業も始まった。どこで避難生活を送っているかを一人一人調査して物資を配送することにより、行政がカバーできない部分を担当した。この過程で何よりも重要なことは、その仕事のために誰を雇用するかだった。

山里ネットでは、被災地域について誰よりもよく知っている地元の人を雇用して物資配達の人手を確保した。こうすることによって、支払われる人件費が地震の被災者への支援になるだけでなく、地域の地理と言葉がわかる地元の人なので顔見知りの地域住民への物資の配達も気兼ねなくできる上、ニーズや各種状況把握もできて、一挙両得だったという。仮設住宅が建てられ、多くの人が仮設住宅に引っ越した今もこのような物資支援事業は続けられており、物資も必要な人のニーズに合わせて支援しているという。7月末の報告書によれば、仮設住宅入居後、支援物資を届けた家庭が陸前高田と大槌、二つの地域を合わせて約1300世帯に達したそうだ。

今後、この事業は物資の支援が必要でなくなる状況になるまで続けられるだろうという菊池さんの話から、支援団体としての強い意志が感じられた。
山里ネットでは、この他にも創業支援やボランティアの受付および活動支援など様々な活動を行っているが、「美しい財団」からの寄付金は、物資支援担当者の人件費の一部、また「ほっと一息」事業やEAST LOOP事業、ボランティアのコーディネート運営費の一部に当てられている。

ボランティア・コーディネーター
東日本大地震以後、後方支援活動の中心地である遠野市には全国各地からボランティアが集まりはじめたので、山里ネットではボランティアたちがスムーズに活動できるようにボランティアのコーディネートをする担当者を雇用した。
東洋大学の大学院生がボランティア・コーディネーターをしているが、ボランティアたちがどこでどんな活動をすればいいかについて考え、遠野が支援している被災現場でも熱心に活動しているそうだ。

ほっと一息事業
「ほっと一息」事業は、物資支援事業とともに3月、つまり最初から始められた事業の一つでいまも活発に運営されている。一日だけのプログラムとしておこなわれているこの事業は、沿岸被害地域に住んでいる方たちが長い間の避難生活で余裕を失いがちなため、一日だけでも安らかに心を休め、リフレッシュできることを目的にしている。休息とリフレッシュが、再び元気に立ち上がることに寄与できるだろうと信じて企画されたプログラムである。暖かい食事と入浴、そして休息と観光などをひとつにしたこのプログラムは、仮設住宅に引っ越してからも絶えず要請があり、続けられているそうだ。食事提供について印象的なエピソードがあると話された。はじめのうちは魚が手に入らず、おかずに出せなかったが、ある日、魚を出したそうだ。沿岸地域に長い間住んでこられたこの方たちにとって久しぶりの魚は何よりも感動的なおかずだった。それ以後「ほっと一息」では必ずおかずに魚を出すことにしたという。また、最近では遠野観光をしたいという方たちもあり、そんなニーズに対応しながらプログラムを進めているそうだ。

山里ネットの事務所で活動に関するお話を伺った後、 EAST LOOPに参加していらっしゃる生産者の方のお宅を訪問するために移動した。途中、地震のために建物が崩れて遠野のショッピングセンターの一部に移動した遠野市役所と、遠野市にある仮設住宅を見る機会があった。仮設住宅には遠野に避難してこられた方々が実際に生活しておられるので、その方たちのプライバシーを侵害しないように短時間で拝見して、陸前高田に向かった。

【2】
EAST LOOP事業
 EASTLOOP事業は、簡単に言うとフェアトレードの方式をとった被災地支援事業で、女性を対象に仕事の場を用意するものだ。もともと大阪を中心にフェアトレード事業を行っている株式会社「福市」と連携し、今年6月頃から始まった。被災地の女性たちに手芸(編み物)のノウハウを伝えてハート形のブローチを作ってもらい、それらを商品として有名デパートの高島屋百貨店に納品する。
この事業を東北地方で始めるにあたり、NHKの番組講師も務める有名デザイナーが趣旨に賛同し、ハート形ブローチのデザインを買って出た。才能を無償で提供するという動きが加わったことで事業の意義は高まり、生産されるブローチの商品価値を押し上げる効果にもつながった。

山里ネットでは、大槌町・陸前高田市・釜石市・遠野市に避難してきた人々を対象に事業参加者を募集。参加者の管理、商品の集荷から納品、さらには講習会等の開催と、事業の運営全体を統括し生産者と商品販売をつなぐ橋渡しの役目を担っている。「美しい財団」から寄せられた寄付金は事業運営にかかる人件費の一部に充てられているとのことだ。
私たちが訪問した山里ネットの事務所にも事業参加者手作りの商品が置かれていた。ハートを2つ重ねあわせたブローチが主力商品だ。ブローチ価格840円のうち50%が商品を作った人の収入となるシステムで、この8月、初めての賃金が支払われたという。現在この事業に関わる参加者(フェアトレードの用語で言う「生産者」)は約30人あまりで、参加者数は継続して増加傾向だそうだ。
私たちが訪れた当日は、完成したブローチの集荷や不足材料のチェック、材料の引き渡しのため生産者のお宅を訪問する日だった。

コースは遠野市から1時間ほどの距離にある陸前高田市まで、予定の訪問先は3カ所だ。生産者としての参加条件が住宅の全壊、つまり、甚大な被害を受けた人が対象であるため、参加者は仮設住宅入居者が多いという。

最初の訪問先は陸前高田市に行く途中の仮設住宅だった。道すがら、あちこちに仮設住宅が建てられているのを見た。どれだけ多くの人が生活の場を失い、ふるさとを離れて暮らしているかを間接的にだが思い知らされた気がした。

お邪魔した仮設住宅には少し年配のご夫婦2組が住んでおり、訪問時は事業に参加している女性とだけお会いした。
私たちが到着したときはテレビで韓国ドラマを見ていたそうで、韓国からの留学生だと自己紹介すると喜んで迎えてくれた。大きな被害を被った東北地方でも韓流ブームを実感するなんて、とちょっと複雑な思いを抱きつつも、嬉しく感じた瞬間だった。
一家の収入源が全く断たれたなかで僅かでも家計の足しを得られれば、また趣味を楽しむ余裕もない暮らしに少しは自分のための時間がもてるかもしれない、そんな思いから参加したというこの方は、家での時間の殆どを商品作りにあてているという。

始めた当初はなかなかうまくできなかった商品作りにも大分慣れてきた、小さなブローチを手作りしている間はほかのことを考えなくて済むし、いろいろいいことがある、とのお話だった。同行した事業担当者は、不足している材料のチェックはもちろん、今度新たに大阪だけでなく横浜の高島屋百貨店でも販売が決まり納品されること、新聞にも取り上げられたことなど諸々の反響を伝え、参加者を力づけていた。

次に訪れたのは、陸前高田市で生産者として参加している方のお宅だ。
お会いしての第一印象は「なんてきれいな人なんだろう」。それだけ優しげな雰囲気の方で、じっくりといろいろなお話を伺うことが出来た。初対面の私たちに丁寧に挨拶され、部屋に招き入れてくれる。そして、もじもじする私たちに、自分から話を切り出してくれた。
もとは海沿いの地域に暮らしていたというこの方は、家はもちろん、全てを津波で失った。そのため他の人々より早い時期に今の場所に移ることができたという。もっとも、今住んでいる地域も震災当時若干ではあるが津波の被害を受けている。

かもめの鳴き声で1日が始まる日々の暮らしが、今は登校する子供達の足音とおしゃべりにとって代わった。きれいな布でソファーカバーを手作りし、夫のズボンを裾上げする生活も、愛用のミシンが流された時から手の届かない日常になってしまったという。
着物が大好きで折にふれ買い集めては毎年着ていたけれど、それもみんな流されてしまって、今は孫にもらったジーパンを履いてるんですよ、と淡々と、そして笑顔で話されるこの方を前に、正直、どんな言葉も発することができなかった。何とも言えない悲しみがこみ上げた。
一度の津波が人ひとりの人生、大切にしてきたもの、そして思い出までをもこんな風に丸ごと奪い去るなんて。こんな目に遭ったのはこの方だけではないだろうに…。考えていたら鼻の奥がツーンとしてきた。一方でこの方の話しぶりには、境遇をただ嘆き悲しむのではなく、ありのまま受け入れようとする謙虚さが感じられた。
これまでの人生で大切にしていたもの、いつくしんでいたもの全てが流れ去ったなかで始めたのがEAST LOOP活動だった。山里ネットの物資支援事業で支援物資を届けていた地区担当者が「奥さん、手芸はできます?」と声をかけたのがきっかけだ。それまでも手仕事を楽しんでいた人だけに「あら、できるにきまってるじゃない」と即答、このやりとりが活動参加の糸口になった。(地域に密着し、親しまれる中で広報活動や事業を展開するこうした方式こそ山里ネットの強みである。それによって事業間に相乗効果がもたらされていることがわかった。)
講習会を経て材料を受けとり、いざ始めてみると、作業は家の中でも暇を見つけてできる仕事であり、息抜きにもなる。仕事ができるというだけでなく、自分が作ったものが誰かの手元に届き、その人を喜ばせる、つまり自分も誰かの力になれると思えることが何よりうれしく、やりがいになる。そんなお話だった。
初めて納品したばかりで、もし返品されたらどうしようとドキドキされていたそうで「返品は1つもありませんでしたよ」という言葉に「ああ、よかった」とほっと胸を撫で下ろしていた。その姿に、どれほど熱心に、どれほど心を込めて事業に取り組んでいるかが伺えた気がした。担当者の、こちらだけじゃなく参加する皆さんの多くが同じような気持ちなんです、という話にも事業が単なる収入源作り以上の役割を果たしていることを実感した。
この方は今、どうすれば材料を節約しつつ丈夫でかわいいものが作れるか、またどれくらいのサイズがちょうどいいかを考えながらブローチを作っているという。

話を終えてお宅を失礼する段になって、この方は一編の詩を見せてくれた。津波の被害に胸を痛めたとき、癒しになってくれる詩なのだという。この詩を慰めに、詩の言葉みたいに希望を持ち続けようとがんばっているんです、と話された。ここでその詩をご紹介したい。

最愛の人を失い
大切なものを流され
あなたの悲しみは
計り知れません
でも生きていれば
きっといい事はあります
お願いです。
あなたの心だけは
流されないで
不幸の津波には
負けないで
(99才の詩人 柴田トヨさん)

最後に訪問した先は、6月の視察の時にも訪ねたことがあるところだった。移動したところにはまだ残骸を片付けているクレーン車が見えていて、その横にはぽっかりとあいている空き地が見えた。
私たちに同行した担当者は、これらの空き地はすべて家があったところだが、現在ではかなりきれいになったと話しておられた。被災現場が復旧されているにもかかわらず、その被害があまりに大きすぎるため、初めてその場を見ている私の目には、結構整理されて綺麗になったという場所も荒涼とした現場であるだけだった。

訪問地に着いたときは残念ながらそこの住人の方々にお会いすることが出来なかった。半年が経って、今は昔から行っている牡蠣養殖業を再開し、来年夏の収穫に向けて、少しは忙しい日々を過ごしておられると聞いた。
来年の夏、牡蠣が収穫できるまでは収入源が確保できる状況ではないので、訪問先のおばあさんもEAST LOOP 事業に参加しているということだった。
遠くに見える新たに始まった牡蠣養殖場がある海は、とても今年の3月に津波があったとは考えられないような平和な海だった。


私たちは、海と津波が襲った現場を見ることで3月11日を思い出すしかなかった。9月の海は静かだったが、津波が襲った現場には誰かの靴がそのまま残っており、完全に真っ二つになった電柱が今も放置されていた。襲った波の塩分で乾燥し色を失った木の枝がそのままになっており、当時の津波の高さを測る尺度となっていた。
自分たちを襲った海だが、生活の基盤でもあるので自分の生業に戻り、自分たちが出来ることをやりながら新たに今を生きていた。

車からみる帰路の光景は容易ではなかった。私にとっては見るのも辛い状況がその人たちには現実であり生活をしている場だと思うと、そこで一緒に活動をするのは難しいかも知れないが、どんな形ででも活動することが出来れば、と思うようになった。また、山里ネットをはじめ、いろいろな支援機関をサポートする活動がより活発になれば、EAST LOOPやほっと一息のような事業だけではなく、様々な事業がもっと多くの被災地域、そしてさらに細分化された対象を支援できるように活性化されるのではないかと思う。

翻訳協力:
 福寿草
 イエ・ウンジ
 小山内 園子