5月 172012
 

去る4月11日に行われた韓国の総選挙は、与党セヌリ党が地方区と比例代表を合わせて過半数を確保し第一党の座を守るという結果になりました。優勢が伝えられていた野党側がなぜ勝てなかったのか、年末に控える大統領選に向けて様々な評価がなされる中、オーマイニュースに掲載された進歩派言論人のチン・ジュングォン氏の分析を翻訳紹介します。

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4.11総選挙断想
―危機を機会で―

民主統合党と統合進歩党を合わせて過半数は越えると予想したが、土壇場のキム・ヨンミンによる暴言の変数が思ったより大きく作用したようだ。「10議席が飛んで行くようだ」という民主党候補らの愚痴がおおげさではなかったようだ。最も重要な選挙戦のフィナーレを暴言による波紋で飾ったのだから、当然の結果だったのかもしれない。全国で1,000票以内の差で勝負が分かれたところがなんと11ヶ所。他の所もそうだが、1400票余りの差でイ・ミョンバク政権の化身であるイ・ジェオにウンピョン乙を渡したことは重ね重ね残念だ。今回の選挙で明らかになった問題を点検してみることにしよう。

表面化した問題点

まず、リーダーシップの問題だ。セヌリ党は次期大統領選の有力候補に事実上確定したパク・クネ非常対策委員長の責任下で選挙を行った。彼女は親李-親朴の党内葛藤を収拾して党の未来を代表する存在として確固たる地位を占めた。反面、民主党のリーダーシップはムン・ジェインとハン・ミョンスクとで分かれていた。ハン・ミョンスク代表は初めから指導力がない状態であり、ムン・ジェインは今まさに大統領選挙の候補として試験中だった。一言でいえば、党の現在と未来の責任を担うほどの人材がいなかったというわけだ。したがって、二人がいくら踏ん張っても選挙戦でパク・クネの威力に追いつくのは無理であった。

次に、早目に次期大統領候補の座を確保したパク委員長は大統領選のために用意したメッセージ(たとえば“福祉強化”)をあらかじめ総選挙用に(“理念から国民生活に”)適切に活用することができた。他方、現在と未来の主人がいない民主党は‘政権審判’以外に有権者に投げるメッセージがなかった。その結果、総選挙が‘過去の審判’vs‘未来の準備’という構図に流れて行った。しかしながら、親李系とパク・クネはその間(たとえばセジョン市に関連した問題において)イ・ミョンバク政権とは一定の距離をおいてきたので、イ・ミョンバク政権審判論で審判するには限界があった。

三番目に、公認過程の問題だ。党内の反発にもかかわらず、非常対策委の革新がそれなりに軌道に乗ることができたのはまさにパク・クネ委員長のリーダーシップのためだった。民主党には不幸にも公認脱落を不服としてとびかかってくる者たちをなだめるほどの指導力が存在しなかった。その上、民主党はここ何年かの間にあった補欠選挙と地方選挙、特にソウル市長補欠選挙に勝利した後、自己満足に陥っていた。あまりにも政権審判の心理が強かったので、あえて刷新をしなくても‘審判’のレトリックだけでも勝利できると信じたのだ。これにより支持者たちの士気を大きく低下させた。

四番目は、選挙連合のもう一つの軸である統合進歩党の問題だ。統一候補をたてる過程で出てきた事件は‘東部連合’という名前と共に二重に有権者を失望させた。一つは「果たして旧民主労働党勢力が親北から抜け出して‘大韓民国’の合法政党に変貌する準備ができているのか」ということであり、もう一つは「果たして彼らが学生運動の時代の悪習から抜け出して、政党政治の民主的手続きに従う準備ができているのか」ということだ。このような疑念が支持者の士気を低下させ、野党連帯に対する保守層の警戒心を刺激して、彼らが急速に結集する契機を準備立てたのだ。

五番目は、キム・ヨンミンの公認だ。キム・ヨンミンの公認は初めから進歩改革陣営内でも‘世襲公認’と批判を受けたが、民主党指導部は彼に対する公認を押し切った。もちろん‘ナコムス’ファンドム※を抱きこむためであった。結局これは韓国政治史に長く残る最悪のキャスティングとなった。この問題が、ムン・テソンやキム・ヒョンテの場合とは異なり、地方区を越えて全国的重要性を持つ議題に浮び上がったことは無論‘ナコムス’がその間享受してきた全国的人気のためだといえる。一言でいえば、キム・ヨンミンは単に地方区の候補ではなく全国区のスターであり、当然のことながら大きな波紋を呼ぶことになった。

※訳註‘ナコムス’とは、「私はコムス(策士)だ」というポッドキャスト方式の新種のインターネット放送の一つで、政権批判などで社会的な影響力がある。ファンドムとはfanatic-domの合成語でファンたちが自発的に集まる形態。

ナコムスの問題

また一つ取り上げなければならないことは支持者の形態だ。今回の選挙で最もコミカルな部分は、キム・オジュンが民主党首脳部を連れてきて、まるで取り調べをするようにチョン・ボンジュ救出計画を聞いているところであろう。若干大げさに言うと、指導力のない民主党で唯一指導力を持っていたのは、むしろ失敗したスナイパーであるチョン・ボンジュであった。今回問題になったキム・ヨンミンの公認も、一時‘洪城(ホンソン)大軍’と呼ばれたチョン・ボンジュと彼のファンドムの影響力がなければ初めから可能でなかっただろう。ここらで三つの観点から優先順位をつけてナコムス問題を検討してみる。

一つ目は、進歩の道徳性の問題だ。問題はクァク教育長事態の時から始まった。当時ナコムスがクァク教育長を擁護するために前面に掲げたごり押し論理、すなわち‘推定無罪の原則’は数ヶ月後に民主党の公認原則になった。この原則は、釜山貯蓄銀行の不正にかかわって実刑宣告を受けたり、起訴された候補に公認をあたえる形態を正当化するところに使われた。この保守的形態がその間不正や物議をかもした人々を果敢に排除してきたセヌリ党非常対策委の活動と対比されながら、大衆の間で進歩の道徳性に対する根本的な疑念を抱かせた。

二つ目は、進歩の知性に関する問題だ。ナコムスが広めた陰謀説的な考え方は10.26不正選挙に続き、今や4.11不正選挙論まで作り上げた。政権の失敗を大げさに誇張するナコムスの話術は逆説的にMB政権の実際の失敗を小さくみせた。‘民間人査察’が非常に重大な事案であるにもかかわらず、その重大さに相応する大衆の怒りを引き出すことができなかったのはこれと関連がある。ナコムスを通じて大衆は政権審判の心理的エネルギーを早くに出し切ってしまった。本来重要な二回の選挙を前にして政治的早漏症に陥ったわけだ。

三つ目は風刺の美学に関する問題だ。ナコムスの暴言が呼び起こす問題点はすでにビキニ事件の時に予告されたことがある。もちろん暴言と悪口もその人の好みと認めることができるが、問題はその暴言と悪口に含まれた内容である。「ライスを強姦しよう」というような話は発言者の意識状態を疑うような深刻な妄言であることに間違いない。ここでは具体的に指摘はしないが、ナコムスのメンバーの発言と考え方には‘ビキニ鼻血’、‘ライス強姦’を越える超大型妄言になる可能性が濃厚なことがまだ残っている。ただ、大統領選挙で報道されないことを願うばかりだ。

最後にファンドムの態度を指摘することができる。‘ファン’という言葉自体が本来‘狂気’を意味する。ファンドムは好悪の感情の上に成り立ったことなので、善悪や真偽とは無縁なところに存在する。政治がファンドムに掌握されれば善悪や真偽を問い正す論議は簡単に無力化されるほかはない。なぜならば‘ファンたち’にとってヒョンやオッパ(お兄さん)は無条件に善良で無条件に真であるためだ。ファンドムはスターに対する狂信的な愛と批判者に対する狂信的な憎しみをおぼえるだけだ。その結果、政治的に深刻な問題が発生しても、合理的に指摘したり理性的に矯正することができないのだ。

ナコムスを批判の聖域に作り上げた稚拙な話術が「朝鮮日報に利用される」だ。朝鮮日報ごときが恐ろしくて自己批判と自己矯正できないということか?“ナコムスに劣等感がある”―これでナコムス批判をするのは一瞬にして劣等感の表現になってしまう。ファンドムの目にはナコムスのメンバーがウォンビンやチャン・ドンゴンに見えるようだ。一生懸命批判をしても返ってくるのは“関心をもちすぎる病的な患者だ”―批判者が彼らから期待できる最も寛大な処分は“無関心が薬だ”ということだ。もちろんナコムスのファンドムはこの最後の寛大さを施すところにさえケチだった。

何をすべきか

第一に、民主党はもう進歩改革陣営の求心力となる人物をたてなければならない。特に民主党の当選者は誰の体制になろうが迅速に内的刷新を経て、次期大統領選の候補者を求心力のある強力な指導体制を整えなければならない。選挙の敗北で色あせたが、ムン・ジェイン候補は釜山-慶南で40%に迫る決して無視することはできない成果を上げた。さらに、大統領選挙を効率的に行うために民主党は統合進歩党をはじめとする他の野党らと大統領選相互協力のための戦略を用意しなければならない。それは単純に一時的な選挙連合の次元を越えて、選挙後に連立政権を樹立する水準の協議にならなければならない。

第二に、アン・チョルスを引き込むゲーム戦略を立てなければならない。今回の選挙で民主党は中間層にまで支持を広げるところに一定の限界をみせた。アン・チョルスはその限界を補完する唯一の人物のように見える。私の提案は、ムン・ジェインとアン・チョルスが勝敗と関係なくランニングメイトになることを約束して選挙戦を行うことだ。選挙戦はそれ自体が興行性の高いビッグイベントになるだろう。選挙戦の過程で二人の候補は有権者に向かって未来へのメッセージを投げかけることができ、相互で検証することを通じてあらかじめ本番で押し寄せてくるであろう荒っぽいネガティブ攻勢の免疫をつけることができる。

第三に、進歩改革陣営は韓国社会の展望を提示しなければならない。韓国社会最大の苦痛は安定した働き口が減っているというところにある。非正規職と青年失業者の増加といった庶民層が持つ恐怖を沈める計画が必要だ。まずは経済の民主化と普遍的福祉、そして質的な成長による転換だ。パク・クネは素早く左クリックして福祉論議を先行した後、最近では経済の民主化にまで言及している。この選挙運動における‘左派コスプレ’の虚構性を積極的に暴露し、問題提起の本当の意味を読み返して再び私たちのものとしてつくり直さなければならない。

第四に、選挙時に路地を駆け回るのを除けばどうせ政界の活動は高いところを飛んでいるだけのことだ。政治でも主力は歩兵だ。元気だった時期の‘ノサモ’は高い政治意識と徹底した道徳意識、そして溌刺とした風刺の美感を持っていた。彼らは説得のために他のサイトを訪問する時に必ず守らなければならないマナーのコードまで用意しておくほどそれぞれ徹底的に自己管理をした。今はどうなのか。率直に言って今のファンドムは没落した時期の‘ノサモ’のダウングレードバージョンに近い。再武装して歩兵のレベルと士気を高める必要がある。

いつものように、危機は機会だ。総選挙の敗北は最も大きい戦いを控えた私たちに貴重な教訓を与えた。政権審判の欲望が完全に尽きたのではない。その間続いた大小の勝利を通じてその時その時で解消されてきただけだ。だが、総選挙の敗北とそれにともなう挫折の経験を通じて政権交替の欲望は新しく燃え上がるだろう。そのような意味で敗北はむしろ良い結果なのかもしれない。もちろん審判論だけで大統領選挙を戦うことはできない。その間欠如していたのは‘審判以後に何をするのか’という問いに対する明確な答えだ。有権者にその返事さえ提供できれば必ず勝利できると信じる。

チン・ジュングォン(哲学者、評論家)

原文:http://blog.ohmynews.com/litmus/176767