5月 182010
 

2010年、韓国の光州(光州広域市)では、光州民衆抗争から30年を迎える年として、アジアの様々な地域から100名ほどの人を招いて、平和や人権、環境など、さまざまなテーマを設定したセッションを併設する「光州アジアフォーラム」が「5・18記念財団」の主催で開催されました。

光州民衆抗争とは、1980年5月18日、民主化を求める運動を、軍事政権(当時は全斗煥政権)が弾圧し、数多くの死者、負傷者を出した事件です。その犠牲者を追悼するとともに、二度とその悲劇を繰り返さず、平和と人権を尊重しようという趣旨で、光州では毎年、国家が主催する「5・18記念式典」や民間団体が主催する「前夜祭」などの多くの行事が行われています。

その一環として行われた前述の「光州アジアフォーラム」の一セッションとして、国家人権委員会光州事務所が主管する「人権条例に関わる」セミナーが行われました。日本からは、部落解放・人権研究所理事の友永健三さん、堺市人権推進課の八木則之さん、反差別・人権研究所みえの大谷徹さんが招待され、日本での取り組みについて発表されました。このフォーラムに参加するために光州を初めて訪れた八木さんが、今回の光州訪問について寄稿して下さいました。

-光州を訪問して-
堺市人権推進課 八木 則之

今回の光州訪問は、昨年の国家人権委員会光州事務所による堺市と三重県訪問のお返しということでしたが、1980年5月18日に起こった「光州民主化運動」(光州事件)の30周年という節目でもあり、この運動を中心とした光州広域市の人権への取り組みを学ぶということで、意義のあるものでした。

「5・18光州民主化運動」は韓国政府により、かつては暴動という形でとらえられていましたが、1995年に「五・一八民主化運動等に関する特別法」等が制定され、1997年4月、大法院はこの特別法を根拠として、全斗煥元大統領と盧泰愚前大統領に実刑判決及び追徴金を宣告しました。したがって、現在では民主化運動であると認められ、国家からも犠牲者に対して補償が出されています。ちなみに日本では光州事件として知られていますが、正式には民主化運動であり、事件ではありません。光州の人々は1980年の5月18日をひとつのメモリーとして大切にしており、この日を中心とした週間を「5・18週間」とし、様々な人権に関するイベントが催されています。また、「5・18 光州民主化運動」の遺族や心身に障害を負った人々を中心に「5月の母の家」が設けられ、勉強会やサークル活動を通じて交流や心のケアをおこなっています。このように、光州の人権の取組は全てこの「5・18光州民主化運動」をぬきにしては語れず、光州の人々の人権や民主化・平和への指針となっています。このことは、雨の中にもかかわらず、前夜祭における市民の盛り上がりがよく示しております。

光州広域市は、行政よりも国家人権委員会光州事務所や民間団体が人権の取り組みをおこなっています。市役所で人権を所管しているのは民主精神宣揚課という部署ですが、この課では民主化支援係が民間団体の支援を、補償業務係が5・18光州民主化運動の補償をおこなっており、人権の啓発や研修はおこなっていません。課が設置されたのも1988年で、光州民主化運動の治癒として設置された経過があります。市役所は堺市役所よりも大きく、きれいな建物でした。ただ、不思議に思ったのは市民の姿をほとんどみかけなかったことでした。職員に尋ねたところ、住民サービスはほとんど区役所で処理されるので、本庁に訪れる市民はまれであるとのことでした。堺市の場合、本庁でも区役所でも市民の姿をひっきりなしに見かけるため、光州市役所はどちらかというと府庁のような広域行政をおこなっているところのようでした。

市役所の役割が民間団体の支援や保障であるため、光州広域市における国家人権委員会の役割は大きいものがあります。まず国家人権委員会は大統領権限で強い権限が与えられているので、人権侵害があった場合相手側は調査を拒否できないし、拒否されたこともないということでした。それは警察や刑務所、軍隊であっても同じです。したがって最近のインターネットによる人権侵害も、削除はもちろんのこと、システム上の問題であれば政府にも働きかけるとのことです。また人権研修も国家人権委員会が担っています。ただ、研修は教員を対象として年に1回、2泊3日でおこなっている程度で、十分でないということで、今後は市の職員や宗教者、特に韓国はキリスト教の役割が大きいのでその方面での研修にも力を入れていきたいとのことでした。このように国家人権員会の役割は大きく、強力な権限をもっているため、政府にとってはある意味邪魔な機関であるともいえます。しかしそうであればこそ国家人権委員会の役割は重要であり、そこにこの組織の存在意義があるといえます。

ワークショップにおいては、堺市の人権に対する取り組み、条例、職員人権研修、啓発活動を中心に報告をしました。参加者からは職員の人権研修に関して関心が高く、幅広い人権のテーマの中でどのように体系づけて実施しているのか等の質問が寄せられました。光州では人権に対する市の取り組みや職員の意識が堺市に比べかなり遅れているとのことで、そういう意味では今回の報告は大いに参考になったとのことでした。

思えば、今回の訪問は光州広域市が堺市の人権行政のあり方を学ぶということでしたが、堺市にとっても今後の人権行政を考えるうえで、以下のように、学ぶこと参考にすることの多い訪問でした。

まずは市民の自発的な取り組みです。光州広域市では「5・18光州民主化運動」が市民の1人ひとりに大きなメモリーとして刻まれています。そのため5月17日の旧道庁前での前夜祭は雨天にもかかわらず大きな盛り上がりをみせ、それも市民や団体が自主的に運営しています。私たちもある団体に声をかけられ、テントの中でおにぎりをつくり市民に配りましたが、ボランティアである市民団体と市民が一体となり盛り上げていっている姿に大いに感銘をうけました。歴史的な出来事はすべからく時代の変遷とともに風化していく運命がありますが、ここでは市民自らがそれを次の世代につなげていこうという気運が見受けられました。堺市の場合も憲法週間や人権週間で市民の参加を得ていますが、どうしても行政が主体で市民の主体的な取り組み姿勢に欠けることは否定できません。今後は光州広域市を参考に、市民の自主的な取り組み姿勢を養っていけるよう検討していかなければならないと思います。

2つめは、人権と芸術との連携です。光州市立博物館では光州の有名な画家洪聖潭さんの特別展が開催されていましたが、そこでは人権のメッセージを芸術家の視点で発信されていました。人権の施設というと、人権の展示パネルや写真とそのキャプションが一般的ですが、ここでは芸術と人権とをうまくミックスさせて発信させていました。また、地下鉄の「金大中コンベンションセンター駅」は別名「人権の駅」とも言われ、駅の構内が美術館のように芸術家のアートで満たされていました。そして音声や映像を用いて人権のメッセージがバランスよく配置・発信されていました。構内には可動式のスクリーンとベンチが設置されており、人権の映画等の上映もできるようになっています。このように、人権は人権、芸術は芸術、といった縦割り行政ではなく、人権と芸術あるいはそれ以外の分野とも連携をもった取り組みは、堺市の人権行政にとって一番欠けているところであり、今後の不可欠の課題といえます。例えば防災において、障害者や外国人といった災害の際に援護がいる人に対してどのように対策を考えるのか、これは人権と防災が連携をもつべき課題といえます。

3つめは、中立的な人権委員会の必要性です。国家人権委員会は中央本部と各地方事務所が連携をもち、中央本部が方針や方向性を定め、地方事務所がそれにのっとって具体的に現場で対応していくこととなっています。したがって事務所によって見解が分かれることもなく、相談内容もオンライン上で共有できるようになっています。また救済システムもきちんとされています。一方、わが国においては中立的な人権委員会は存在しません。相談も各自治体や人権擁護委員、民間団体が個別に対応しており、そこには統一的な基準はなく、情報の共有化もありません。そのためにはまず人権に関する整備された法の存在が不可欠です。何が差別でどのような行為が人権侵害に該当するのかを法で規定すること、いうなれば構成要件をはっきりさせることが、罪刑法定主義の原則からも必要不可欠で、そのうえで中立的な救済機関が人権侵害事象や相談に対応していくことになります。注意すべきはその場合、あくまで加害者を特定して罰するよりも調停的な役割に重心をおくべきで、場合によっては加害者の啓発、被害者のケアも担うかも知れません。以上のことは国の機関によって決められていくべきもので市が関与する問題ではありませんが、今後の人権擁護システムの方向性を考えるうえで意義のあるものといえます。

以上のように、今回の訪問は光州広域市が堺市の人権行政のシステムや取り組みを参考にしたいという要請でおこなわれたものでしたが、本市にとっても学ぶべきことが多い訪問でした。今回私は初めて韓国を訪問しましたが、「近い国」ということをあらためて体で感じました。今後はもっと近い国となるよう、機会があれば光州広域市と情報の交換をはじめとした交流をもち、それぞれ研磨しあい、お互いが人権擁護都市にふさわしいまちづくりを実現できるよう、その一助となれればと強く思っています。