6月 282012
 

去る3月、大震災・大津波発生1周年を前に、宮城県、岩手県を中心に自治体の復興現場を訪ね、被災した方々の話を伺い、支援者の活動を聞き討論する機会を持ちました。1年目の状況をお伝えするとともに今後の課題についてもご報告したいと思います。

阪神・淡路大震災との違いについて
阪神淡路大震災(1995年)の後、1年後に神戸に立ったときの印象と今回のとくに沿岸部に立ったときの印象には際だった違いがあります。1年後の神戸は所々欠けたようになったとはいえ、町並みが残り、戻りつつありました。火災の被害が甚大だったところはたしかに復興は緒についたばかりでしたが、仮設の建物が仮設の町並みを形成し始めていました。

今回、たとえば仙台はまだ崩れたままの崖地、壊れた家屋などがないとはいえませんが、町並みは何事もなかったかのようです。(余震の被害にあった長野県栄村などはいまだに深刻な影響を受けています。個々の被災の状況に目をこらす必要は重要です。)しかし、一歩沿岸部に足を踏み入れると印象は一変します。今回被害の大きかった名取市閖上(ゆりあげ)地区を歩いてみました。かすかに残る廃屋を除いて見渡す限りの平地です。住宅が密集していたのは残された土台の跡で分かります。雨でもないのに、そこかしこが水たまりです。つまり地盤が下がって(数十センチから1メートルほど)水がはけなくなってしまっているのです。つまり復旧のためには土台を掘り起こして片付け、土盛りをして前の高さに戻してから家を再建しなければなりません。現状は復旧・復興どころかその前提の前の段階、マイナスの出発点にいるということがよく分かります。これは被災沿岸部の共通の姿です。被災家屋の取り壊しがすんでいない箇所も相当にあります。17年前に神戸に着いたときには、被災地で被災者の厳しい視線が感じられました。被災は見せ物ではありませんし、見物の対象ではありません。震災観光ともいうべきことがあったのは事実でしょう。しかし今そこには、被災者の視線すら存在していませんでした。

仙台から宮城県石巻、そして岩手県宮古市に向かいました。雪がだんだん激しくなってきます。あのときの寒さはいかばかりであったのでしょうか。石巻は今回の災害で最も多くの災害がれきが発生した地域です。

災害がれき
東北3県のがれき推計量は、約2,247万トン(岩手県約449万トン、宮城県約1,570万トン、福島県約225万トン)であるとされています。阪神・淡路大震災の時は約2,000万トンであったと考えられているので、極端に多い量ではありません。とはいえ、全国の年間一般廃棄物総量の2分の1に相当する量です。一般廃棄物の処理は、市町村の仕事ですが、震災に伴う市町村行政機能の低下も考慮し、一部県が代行しています。また処理費のすべてを国が補助する方針です。今後の処理については、放射能汚染の影響がある福島県の一部を除き、2012年の3月末までに総てのがれきを仮置き場に移す、2014年度末までの処理の計画であったのですが、計画通りに進んでいないことは明らかです。

市町村別では、がれき量が最も多かったのは石巻市の616万トンで、次が東松島市の166万トン、気仙沼市は137万トンですから、石巻市の多さが際だっています。市内には巨大な仮置き場が何カ所もあります。ではここから先のがれきの「処理」というのはどのように進むのでしょうか。処理場を宮古市で見学しました。日本を代表するゼネコンが建設した巨大なプラントでした。このプラントの役割はがれきを分別することです。考えてみれば当たり前ですが、今日分別していないごみを燃やせる焼却炉などというものは存在しないのです。そして災害がれきはまったく分別されていないごみに相当します。日常あれほど各家庭が手間をかけて分別していることを思えば、分別されていない災害がれきを分別するなどということがどれほど大変なのかは想像に余りあります。宮古市は家の土台のコンクリートを除いてほぼがれきを仮置き場に集積し、一部を東京都に送って処理を始めているところです。東京都に送る分は放射能検査を含めて分別がきわめて厳しく行われます。今各地で災害がれきの持ち込み反対運動が行われています。私は、放射能に対する敏感すぎるくらいの態度は正しいと思います。それを絆や連帯といったことばで語るのは正しくない。受け入れが行われず、焼却が多少滞ったとしてもがれき処理のスピードをほんの少し遅らせるだけでしょう。問題はそれ以前にあります。分別ができないのです。分別して初めて焼却が可能となります。

関東大震災では災害がれきを埋め立てて今日の横浜の山下公園が造られました。いまそれは不可能です。たとえ可能だったとしてもさらに厳しい分別を求められることはいうまでもありません。

分別はどのように行われるのでしょう。

災害がれきはトラックで処理場に運ばれてきます。最初の分別は人手で手作業です。トラックで床一面にぶちまけられたがれきから、目視で燃やせないものや危険物を取り除きます。今回の災害がれきは海水をかぶり、海底の堆積物などで汚染されています。この人手での作業の一番の心配はこうした微生物を含んだがれきで生じる破傷風です。手作業ですので、ちょっとしたけがの傷口から破傷風を発症すること心配です。その作業にあたる人は定期的に破傷風の予防注射を打たなければなりません。破傷風の危険を冒して床にぶちまけられたがれきから分別できないものを拾い出す。中腰で、ついたてはあるものの寒風の吹きすさぶ屋外で、灼熱の屋外での作業です。その作業者は地元雇用だと聞いたときには涙を禁じ得ませんでした。仕事を失った人々の苦難は今も続いているのです。

そうした手作業の後、金属を選別し、木材(大きな木材は材木業者に引き取られます)などを選別し、そのように使えるものを選別した後、粉砕して大きさを揃え、燃やすものセメントの材料などに分けられます。セメント工場は重要な役割を果たしています。

そのようにして分別されたがれきの量は日量でいうと、市の焼却炉でも十分に燃やせる量です。ですから、がれきの受け入れ反対や焼却炉の不足が問題なのではない、その前処理が問題なのです。もしそれが(海の微生物だけでなく)放射能を帯びていたら、人手の手作業は不可能になるでしょうし、許されるべきことではありません。福島県の復興がさらに困難ことをご理解いただけるだろうと思います。

宮城県内では海岸沿いに、いくつかの焼却炉を稼働させ、がれきの焼却が進みつつあります。少なくとも焼却に関しては。その炉に「がんば炉」と書かれていたことを認めたときも落涙を禁じ得ませんでした。

私は岩手県釜石市の生まれで私の生家も津波で全壊しました。土台と鉄骨が残っていて、取り壊しの予定なのですが、いまだに残骸をさらしたままです。私にとっても、被災地の復興はまだ始まる前の段階です。長い取り組みが必要になるでしょう。末永い関心と支援をお願いします。

菅原敏夫(NPO法人日本希望製作所理事長)