6月 282012
 

東北地方の沿岸部に甚大な被害をもたらした東日本大震災から15カ月が過ぎた。宮城県最北端に位置する人口7万人の港町・気仙沼も三陸沖で起きたマグニチュード9.0の大地震の直後に発生した津波により市街地は大きな被害を受け、1300名以上もの市民が亡くなるか行方不明となり、市内の事業所の8割が被災した。この1年余り復旧復興に向けての努力が続いているが、一部の地域を除けば街の様子が半年前とあまり変わっていないようにみえるのはなぜなのか。復興を担う地元の方々にお話を伺ってみた。

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復興商店街「南町紫市場」

2011年12月24日にオープンした気仙沼南町にある復興商店街「南町紫市場」。51店舗が軒を並べる仮設商店街だ。南町地区に160以上あった店舗のうち津波によって建物ごと流されるなど9割以上の店が営業できなくなった。しかし、心に深い傷を負いながらも徐々に商いを再開、中小企業基盤整備機構の仮設施設整備事業を利用して「NPO法人気仙沼復興商店街」として再スタートした際には全国から注目を集めた。生鮮品や様々な物販、飲食店が並ぶ二階建ての仮設商店街の中でも、人の出入りが絶えないのが「フリーダム」。南町自治会長の千葉さん一家が切盛りする喫茶店だ。10人も入れば一杯になってしまう小さなお店だが、近隣のお店から一服しに来る人やボランティアの人たち、会社の社長さんたちまでもが次から次に訪れる。気仙沼商工会議所の臼井会頭もお得意さんの一人だ。

なかなか進まない復旧・復興

「気仙沼の産業復興が本格化するのは来年の秋以降になるだろう」という臼井会頭の言葉に一瞬耳を疑った。なぜ今年ではなく来年なのか、その理由を尋ねると「津波により地盤沈下した土地の回復と産業復興がちぐはぐになっている」からだそうだ。気仙沼の基幹産業は水産業と観光だ。特に、フカヒレの生産高が日本一であることで知られ、全国のサメの水揚げ量の約7割が気仙沼港に水揚げされていたが、津波により漁港も魚市場も水産加工工場も壊滅的な被害を受けた。臨海部の土地は約70cm沈下し、満潮・高潮時には冠水してしまうため、地盤を嵩上げしなければ建物を新たに建てることはできない。土地の嵩上げが復興計画の重点事業の一つになっているが、今後5~6年かけて段階的に実施されるため、「中小企業等グループ施設等復旧整備補助事業」の補助金がついても土地の嵩上げができていなければ加工工場や冷凍倉庫などの再建ができない状況だ。元々魚市場周辺一帯の加工場には住居や事務所が併設されていたが、震災後の土地利用計画で職と住を分離したゾーニングにより臨港地域が産業エリアになると居住が制限されるため、地権者の同意を得るのに時間がかかるということも復興への道筋を複雑にしているようだ。「復旧にとどまらない抜本的な再構築」を掲げる宮城県では被災市街地復興推進地域における無秩序な建築を防ぐために2013年3月10日まで建築制限をかけている。こうして復旧復興がなかなか進まない中、若者は仕事を求めて仙台や東京へ行き、水産加工技術をもつ人たちの中には水揚げのある他の港へ移り住む人たちも出てきた。

フリーダムの店内。有名人のサインや応援メッセージが掲げられている

「フリーダム」のカウンターには千葉さんがやっていた料亭「自由亭」の写真が飾られている。店も自宅も被災したため、今は南町の復興商店街から車で20分ほどのところにある県が提供した戸建て住宅に住んでいる千葉さんの目下の目標は、6月6日に発足する南町・魚町まちづくり協議会で町内に住宅を建てる要望書をまとめることだ。「住むところがなければ店だけ作っても意味がない。店は仮設のままでも構わないが、住まいは早く落ち着きたい。地元に住んでいる人がいてこその商店街なのだから、立派な施設でなくてもよいから町内に住宅を建ててもらいたい。」まちづくり協議会での議論を経て来年2月までに青写真を完成させるそうだが、それから国の補助金を得て実際に建物ができるまでにはまたさらに時間がかかりそうだ。

復旧が進まない漁港と魚市場

観光資源を回復できるか
海を臨む美しい景色と美味しい海の幸が売りである観光業への影響も甚大で、津波によって沿岸部の景観は損なわれ、防潮堤の計画が具体化していないこともあり観光スポットの復旧も進んでいない。瓦礫がまだ埋もれたままで漁船の入港もままならず、魚市場も一部を除いて損壊しているため、水揚げ量も震災前の3割程度に留まっている。魚市場に程近い老舗ホテル一景閣の建物は津波による倒壊は免れたが2階部分まで水につかったため、改修工事をしなければ営業ができなかった。「工事や設備投資の費用をやっとの思いで工面し、5月に宿泊のみの営業を再開することができた」とおっしゃるのはオーナーの斎藤さん。被災してしばらくは途方に暮れて廃業も考えたが、ボランティアの人たちが施設の清掃や備品の洗浄などに尽力してくれたことで勇気づけられたそうだ。もともと海鮮料理で有名なホテルだったが、厨房の設備を整えるのにはさらに1億円はかかるという。「70歳になって融資を受けるのは大変だし、借金を背負うのは勇気がいる」ということもあって、当面は工事やビジネス関係者の宿泊施設として営業するそうだ。斎藤さんは気仙沼観光コンベンション協会の会長でもあり、委員を務める復興計画関連の会議は8つに上る。気仙沼市観光戦略会議もその一つで、気仙沼の観光をどう再構築していくかの議論の中には被災状況をみてもらったり、ボランティア活動に参加してもらったりする“復興観光”も選択肢として挙がっている。

気仙沼を象徴する鮫のミュージアムも被災し閉鎖されたまま

地域再興を支える人の力

このように被災地の復興には様々な困難があるものの、春の陽射しをいっぱいに浴びた復興商店街「南町紫市場」は希望に輝いているかのようにみえた。町の人々の熱意と努力で震災から9か月余りでオープンした仮設商店街には、観光客の姿も多く見られる。被災地支援のボランティアの数は減ってきたとはいえ、金曜日の夜中に東京から6時間車を走らせ、土曜の朝から被災されたお宅の床下の泥だし等のボランティア活動をして日曜の夜再び帰っていくリピーターのボランティアの人たちがいるというのも心強い。仮設住宅で不自由な生活を強いられている被災された方たちは表面的には明るく振舞っているが、先の見えない毎日に心身共に疲れている。そのような人たちをケアしようと商店街に併設されているフリースペースみなみまちcadoccoではこの日ドイツ人のボランティアの方が無料でマッサージをするサービスを行っていた。ここでは、音楽のイベントも頻繁に開かれていて盛況だ。NPO法人気仙沼復興商店街立ち上げの中心メンバーである坂本副理事長は常に町内を歩き廻り、イベントのチラシを配ったり、商店主や他所から来訪した人たちとコミュニケーションを密に行っている。地域の再生と活性化は住民とそれを支える人たちが協働することで育まれるのだということを改めて思わされる。

復興商店街の角にある“みなみまちcadocco”

気仙沼の人たちが望んでいるのは、自分たちのことを忘れないでほしいということだ。放射能問題で福島は注目され続けるが、その陰に隠れて津波の被災地への関心は残念ながら薄れはじめていると言わざるを得ない。人々が関心を持ち続けてくれることによって世論が形成され、それが復興への力になる。だから物見遊山でもいいので足を運んでもらいたいというのが被災地の人たちの願いだ。気仙沼は世界遺産に指定された平泉から1時間で来られる距離にある。是非一度、気仙沼を訪問してみてほしい。復興商店街のお店を訪ねれば、逆に元気をもらえるはずだ。

島村直子(NPO法人日本希望製作所理事)