1月 172013
 

1.大統領選挙結果の全般的な特徴

まず、今回の大統領選挙の投票率、得票率を下の表で見てみよう。

第18代大統領選挙(2012年)結果

第18代大統領選挙にはいくつかの特徴があげられる。第一に、保守派、進歩派ともにほぼ単一の候補に票が集まった点だ。保守政党のセヌリ党朴槿恵(パク・クネ)候補が全体の52%にあたる票を得たのに対して進歩改革陣営を代表する文在寅(ムン・ジェイン)候補は48%の票を獲得し、朴槿恵候補が勝利を収めた。2%の票差で当落が決まる状況は、進歩改革陣営の候補が敗北したとはいえ保守勢力と進歩改革勢力が伯仲していることを示している。

第二の特徴は、これまでの大統領選挙で相当数の票を獲得していた進歩左派系候補や労働系候補が完全に存在感を失った点だ。今回の大統領選挙に労働系候補として出馬したキム・ソヨン候補は17,000票(得票率0.05%)、キム・スンジャ候補も46,000票(同0.15%)を得るにとどまった。過去の大統領選挙において労働系候補のクォン・ヨンギル氏が2007年に71万票(同3%)、2002年に96万票(同3.9%)、1997年に31万票(同1.2%)を集めたことを考えると、状況は一変している。今回の選挙戦で進歩改革陣営内の進歩左派(労働政党)が進歩右派(中道改革自由主義)にくらべ大きく後退したことが響いた。2012年4月の総選挙で進歩政党の代表格である統合進歩党の不正が波紋を呼び、国民の信頼を大きく失ったためである。

第三に、韓国社会には地域対立、世代対立、階級対立が存在するが、出口調査によると地域対立に変化の兆しが見える。文在寅候補が保守の牙城といわれる大邱、慶尚北道で20%近くの票を集め、釜山、慶尚南道、蔚山でも40%近い支持を得た。一方朴槿恵候補は、進歩系の支持基盤といわれる全羅北道、全羅南道で10%を越える票を集めた。これは従来の地域対立の構図に少しずつ変化が生まれていることを意味する。実際、今回の大統領選挙での進歩改革候補の敗因は、過半数の票を獲得できた地域がソウルのみで、首都圏地域の仁川(得票率 朴槿恵候補52%:文在寅候補48%)と京幾道(同 朴槿恵候補50.4%:文在寅候補49.2%)では敗北したことにある。進歩改革候補が圧倒的に有利なはずの首都圏で保守候補に敗れたことをみても、従来の地域対立に大きな変化が訪れているといえるだろう。

他方、ある新聞社の調査によれば、月所得200万ウォン以下の低所得者層や自営業者など庶民層の有権者は、むしろ保守候補への支持率が高かったという。階級対立はこれまで通りで、下層階級の保守的な投票行動に十分な変化が見られないことを意味している。幸いなのは、世代対立について、20代、30代の有権者が進歩改革候補に圧倒的な支持を寄せ投票したことである。世代対立の点からのみ見れば、進歩改革候補が未来を担う世代から高い支持を集めていることがわかった。若い世代がSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)など新たなメディアを介して進歩的な意思疎通を広範囲に行ったことで、得票率52%対48%という勢力の拮抗が維持できたといえる。いわゆる「新自由主義的秩序様式(統治性)」が崩れつつあることが特に要因として挙げられるだろう。事実、李明博(イ・ミョンバク)政権発足当初は大部分の若者が、いわゆるスペックをどれだけ身につけられるかに汲々としていた。そうした若い世代が、今や新自由主義的枠組みに反発を感じ、行動するようになったわけである。

ただ今度の選挙で50代が朴槿恵候補に高い支持を示したことが統計によって確認されている。世代対立がある程度崩れつつあると言えるだろう。興味深いことは韓国社会が急速に高齢化しているという点だ。2002年の大統領選挙と比べると、20-30代(19歳を含む)の有権者は48.3%から38.3%と約10%減ったのに反して、50代以上の有権者は29.3%から40%に増えた。この50代は80年代の民主化闘争の影響を受けそれを熱烈に支持した世代であるから、かれらが文在寅野党側候補の経済政策や統治能力に疑いを持ち朴槿恵候補の現実主義的路線を支持したという点で、進歩改革陣営に衝撃をあたえた。さらに韓国社会が急速に高齢化している状況において、50代が保守的投票をするにいたったことが進歩改革候補が敗北する上で決定的要因になったと言える。

放送局の出口調査によれば、40代の場合880万4,425名中78.7%(約692万9,082名)が投票し、そのうち44.1%が朴槿恵を支持し55.6%が文在寅に投票した。40代では文在寅が朴槿恵に比べて約80万票多く獲得したわけだ。ところが50代の場合、有権者数は770万75名で40代より少ないが、投票率は約90%で約698万5、297名と40代を上回った。この50代のうち63%が朴槿恵を、37%が文在寅を支持した。つまり50代では朴槿恵が文在寅に比べて約175万3,310票多く獲得したのだ。朴槿恵と文在寅の最終得票差は108万4,632票だという点を考えると、そのうち88%に該当する96万票は結局40,50代の票だというわけだ。今度の選挙では50代の‘朴槿恵寄り’が40代の‘文在寅支持’を圧倒した。韓国社会の急速な高齢化の動きとかれらの投票傾向の変化は、多くのことを示唆している。

五つ目に、いわゆる‘安哲秀(アン・チョルス)現象’だ。安哲秀という既成有力政党に属さない党外候補が大統領候補を辞退する11月23日まで、野党側文在寅候補とほとんど同等な20%に迫る支持を維持したというのだ。辞退以後文在寅候補は安哲秀の支持を受けて朴槿恵の40%支持台に追いつく現象が起こったのだ。筆者は安哲秀という個人と安哲秀現象とを分けて見たい。広く見れば安哲秀現象は新自由主義グローバル時代の全世界の既存政治が直面している不安定性の反映だ。韓国を含め全世界の既存政治が不安定に直面しており、それが既成政党と既存支持者間の乖離が広がる現象となってあらわれている。韓国では‘高い平等主義的期待を持つ大衆’が存在し、かれらが民主化以後持続的に政治的不満を持って既成政党に対する‘いわれなき不信’と‘いわれなき変化要求’を示している。安哲秀は2007年の大統領選挙の文国現候補のような‘共和主義的・共同体的美徳を持つ成功した企業エリート’としてカテゴリー化される。だから大衆は既成の政治では満たされない期待をこのような新しい潜在的な政治エリートに求めているのだ。

2. 朴正熙、盧武鉉、李明博効果と朴槿恵の当選

大統領選挙で朴正熙(パク・チョンヒ)の娘、朴槿恵が野党側候補の文在寅を抑えて当選し、現在政権引継準備委員会が稼動しはじめた。朴槿恵政府の輪郭がこれからしだいに明らかになるだろう。静かにかえりみて、進歩改革勢力の敗北の過程がどのように進行したかを省察する必要がある。まず今度の選挙において朴槿恵は単なる現執権政党セヌリ党候補であることだけを意味してはいなかった。彼女は40年前韓国を支配した独裁者朴正熙の娘であり、朴正熙政権末期には政権の核心を構成した人物だった。このような一種の‘2世継承の政治’は日本では(父が自分の地盤を息子に譲るというような形で)よくある現象だ。しかし韓国では非常に例外的な現象である。もちろん朴槿恵が朴正熙の後光だけで当選したわけではないが、維新時代を記憶している多くの外国人にとっては朴槿恵政府の出現は韓国でも‘2世継承の政治’が出現したことを意味している。ところでそれと同時に朴槿恵政府の出現には‘2世継承の政治’の出現の意味を越える朴正熙以後の時代の複雑な力関係が作用している。すなわち朴槿恵候補が当選するにあたっては、朴正熙時代の明暗、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政治時期の明暗、李明博政府時期の明暗が複雑に相互作用していたと言える。つぎにこの三つの効果がどのように作動したかを見ることにしよう。

朴正熙と盧武鉉の肯定的・否定的遺産を背景に
まず今度の選挙では朴正熙時代の肯定的・否定的イメージが同時に作用した。朴槿恵候補陣営は(本心かどうかは別として)朴正熙時代の否定的イメージについては謝罪と約束によってその影を取り除こうとした。問題は朴正熙時代の肯定的イメージだ。歴史的な朴正熙時代の肯定的イメージの復活は逆説的に朴正熙に対抗して闘った反独裁民主勢力の‘失敗’と関連している。事実朴正熙体制の崩壊直後、1980年に登場した全斗煥政権は、自分の在任中朴正熙を‘忘却’のかなたに追いやった。民衆の抵抗によって崩壊した朴正熙を継承することは自らにとって政治的にプラスにならないので、いわば知らんぷりをしたのだ。その後87年6月民主抗争で軍部政権時代が終焉を告げ、民主化が軌道に乗った後、92年反独裁民主化運動の象徴的な指導者である金泳三(キム・ヨンサム)が(軍部勢力と連合して)大統領になる。朴正熙の肯定的イメージの復元はまさに反独裁民主化運動指導者が率いる文民政府が通貨危機(IMF危機)を招きそれによって統治勢力としての信頼性が疑問視される状況において浮上してきたのだ。

これは、2002年に出帆した盧武鉉政府以後いっそう劇的に浮き彫りにされた。通貨危機を克服する過程で金大中政府によって投入されたいわゆる新自由主義的経済改革(派遣労働者など非正規職労働者の拡大、整理解雇の拡大、経済的両極化の拡大など)が労働者と民衆にとって社会経済的に破壊的な結果を生むにいたり、これによって反独裁民主政府の‘経済的信頼性’が失われ、反射的に‘成功した経済的指導者’としての朴正熙が復活するにいたったのだ。ここで‘危機という言葉を掲げて生きた’ 盧武鉉大統領が‘統治勢力としての政治的信頼性’を疑われる状況に直面することになり、その結果朴正熙式大規模国家土建事業を‘四大河川流域総合開発’という新しい形で持ち出してきた李明博が2007年の大統領選挙で当選したのだ。

李明博政府の‘末期的’状況が作りだした争点を中心にした選挙
もちろん2007年以後、李明博政府の5年間、大衆は朴正熙式国家開発戦略が万能ではなくそれが李明博のような貪欲な指導者によって推進されることによって社会経済的・政治的に破壊的結果が現れたことを体験した。周知のとおり李明博はたとえ過去の独裁的方式ではなくとも権威主義的方式で大衆を統治しようとし、上層階級・企業・財閥に偏った成長政策を主導していき、‘権力を私有化’して蓄財し、かれの主な側近はほとんどみな拘束されるという‘末期的’状況まで見せた。

このような‘末期的’状況は(李明博政府の下でいっそう悪化した)民生、福祉、経済改革、両極化解消などと表現される社会経済的問題を大統領選挙の核心的な争点にした。すなわちこのような社会経済的問題が核心的な政治的問題として浮上したのは、反独裁民主政府10年で解決できず、かえって悪化した大衆の社会経済的問題点が、李明博政府下でいっそう鮮明になり、これに対する新たな解決を大衆が怒りと挫折の中で要求する状況―それが福祉や経済改革あるいは財閥改革を主な問題点になるようにした―が、生まれたからだ。すなわち、李明博政府の失敗による怒りと挫折を背景にして、そして怒りと挫折をなだめるための代案的な社会経済的問題が大統領選挙の争点になるという方式で大統領選挙がおこなわれたのだ。

このような状況はまた別の効果を生み出した。盧武鉉政府時代、かれの政治的・経済的信頼性に疑問を感じた大衆は(2009年5月かれの‘悲劇的な死’という事件を体験して)盧武鉉と盧武鉉政府の真正さと改革性を改めて再認識し、かれに追従する勢力はいわゆる‘親盧勢力’という名前で復活することができた。そしていわゆる親盧勢力がいまも第2野党民主統合党の主導勢力になっているのだ。李明博政府が残したこのような両面的な遺産(李明博によって逆に大衆の社会経済的暮らしの問題が争点になり、李明博の対極に立った盧武鉉前大統領と進歩の信頼性が回復された基調)の上で2012年大統領選挙が行われるにいたったのだ。 

‘福祉 対 反福祉勢力’の対決構図から‘現実的福祉勢力 対 全面的福祉勢力’の対決構図へ
このような争点を中心にして候補という側面から見ると、今回の大統領選挙は朴正煕の娘である朴槿恵と反朴正煕勢力を代表する盧武鉉の一番の側近である文在寅の対決となった。歴史的な朴正煕と悲劇的な最期を迎えた盧武鉉が、それぞれ二大候補に強力な‘後光イメージ’を与えるなかで行われた選挙だった。

このような議題をめぐる大統領選挙競争で、朴槿恵は祖国近代化の偉業を成功裏に成し遂げた指導者としての父親のイメージを積極的に借りて、ひいては―反朴正煕進歩勢力にとっては真正性がなく虚構的ではあるが―民生、財閥改革、経済改革、二極化解消などの議題を積極的に受容して、それらの解決者としてのイメージを浮き彫りにする戦略を駆使した。そのため伝統的に‘保守 対 進歩’である構図が、‘福祉反対勢力 対 福祉勢力’の対決構図から‘現実的福祉勢力 対 全面的福祉勢力’の対決構図に置き換えることができた。ここで現実的福祉と呼ばれるものは、野党が約束するように全面的福祉政策をすべて受容することはできないが、‘福祉病’に陥らずに国家財政赤字を考慮して福祉を漸進的に拡大するというものだ。結局、朴槿恵は朴正煕が持つ成功した経済的指導者のイメージに、朴正煕最大の弱点である現実的な福祉と現実的な経済改革のリーダーとしてのイメージを結合することができた。李明博により失墜した保守のイメージについては、彼と‘距離を置く’戦略を通じて克服していこうとした。

一方、野党候補の文在寅は、より全面的な福祉拡大、財閥改革など、さらに徹底した経済改革などを約束したにもかかわらず、盧武鉉政府時代にあらわになった‘統治勢力としての公的信用力’の問題を正面から解決できなかった。盧武鉉大統領の死後、彼の真正性が大衆により広範囲に共感され、彼の統治勢力としての政治的な公的信用力は回復されたが、経済的な公的信用力を、今回の大統領選挙で彼の後継である文在寅候補が十分に再構成することができなかった。このことは、反朴正煕勢力が盧武鉉政府のもとで喪失してしまった‘統治勢力としての信頼性’に対する疑問を解消して、大衆の社会経済問題を解決する代案的なビジョンを提示する課題を、十分に大衆に納得させることができなかったことを意味する。まさにこのような課題をめぐるせめぎ合いで文在寅は敗北し、朴槿恵は勝利したのだ。 <つづきはこちら

文: チョ・ヒヨン(民主化のための全国教授協議会常任議長/聖公会大学NGO大学院長)
翻訳: コリ・チーム(小山内園子、波多野淑子、金正美)