1月 312013
 

本稿の前編である 韓国大統領選挙の結果と評価~その批判的示唆(1)こちらをご覧ください

3.大統領選挙の構造的意味――‘民主主義2.0’に向けた‘受動革命的な契機’?

今回の2012年大統領選挙は87年型民主主義が終焉を告げ、一種のポスト87年体制、あるいは民主主義の方向をめぐる大激戦の意味を持っていた。何と表現するにせよ、政治的民主主義を中心に構成された87年型民主主義体制は、すでに大衆の要求を十分に受け入れられない状況になった。そのために亀裂が生じて、87年以降体制をめぐるせめぎ合いの状況になったのだ。周知のとおり、韓国の民衆は87年6月の民衆抗争を通じて軍部独裁を崩壊させ、選挙、言論の自由、直接選挙制の実現などを含む民主主義を獲得した。それを‘87年型民主主義’とするなら、それは主に選挙民主主義、手続き的民主主義、政治的民主主義などを中心とするものだった。

この87年型民主主義には次第に亀裂が広がるのだが、それは主に新自由主義的グローバル化の影響のなかで韓国民主主義の社会経済的質が継続的に悪化していったためだった。これは‘2つの失敗’により引き起こされたものだった。1つは、反独裁民主政府、すなわち中道自由主義政府(金大中、盧武鉉政府)の失敗であり、もう1つは、反独裁民主政府の失敗をやはり批判しながら出現した李明博政府(新保守政府、あるいは新右派政府)の失敗だ。

2つの失敗の意味は、国民は反独裁民主政府、反独裁自由主義政府の失敗に対して不信感があり、さらに新右派政府としての李明博政府の失敗に対する大衆の憤りと批判が存在していたということだ。このような2つの失敗を背景にして朴槿恵政府が出現したのであり、第2次新右派政府の出現と見ることができる。

 民主政府と李明博政府下で悪化した大衆の社会経済的な生活
まず盧武鉉政府の場合を見てみよう。民主主義を標榜し、そして民主主義勢力という象徴性をもって執権した政府のもと、むしろ社会経済的な後退を自らの生活で経験する過程は、大衆にとって民主主義の意味が色あせる過程であり、反独裁民主勢力に対する政治的信頼を喪失していく過程であった。事実、自営業者や在来市場の商人など庶民の没落、経済的な二極化、所得分配の悪化、非正規雇用の拡大、リストラによる苦痛など、さまざまな側面で民主主義の社会経済的な質は悪化していった。1987年6月の民主抗争以降、いわゆる‘87年体制’のもと、民主主義は大衆にとって自らの社会経済問題まで解決できる武器であり希望だった。しかし逆説的に言えば、反独裁民主政府のもと‘民主主義では飯が食えない’状況が出現することになったのだ。これが2つの失敗のうちの1つ目だ。

このような1つ目の失敗を批判して李明博政府は政権をとることができた。しかし李明博政府はこのような大衆の社会経済問題を解決する方向へ進むというより、もっと逆の方向へ向かっていった。盧武鉉政府が大衆の生活の悪化を収拾しようとするも‘力不足’であったとするなら、李明博政府はむしろ、より積極的に‘持てる者たちのための経済政策’を施行していった。李明博政府は、初期から露骨なまでに持続的に、明らかに支持階層に友好的な経済政策を取った。例えば、総合不動産税の還付、各種不動産税の緩和、企業に対する税制緩和など、様々な税負担の軽減、首都圏の規制緩和、4大河川整備事業を進めたことなどが挙げられる。これらの政策は‘経済危機の克服’とか、過去の政府の過度な税負担の軽減を通じた経済活性化などを名目としているが、明らかに自身の支持階層を経済的に優遇をしている。李明博政府は4大河川事業に22兆ウォンをつぎ込んだ。これは自身の確固たる支持基盤である既得権勢力、特に土建開発勢力に対して確かな経済的優遇を付与するものだった。次に96兆ウォンの減税を特に富裕層を中心に施行した。これは自身の支持基盤である上層階級に対して積極的な減税を通じて経済的優遇を提供したものといえる。

この点は労働者、農民、庶民などに対する積極的な優遇政策がきちんと行われなかったことと対照的であった。2009年1月の竜山惨事の場合も、この観点から象徴的な意味が大きかった。都心再開発のように巨大な開発利益が創出される事業における開発利益の分配、あるいは最低限の生計保障を要求する賃借人に対して、経済的優遇の代わりに悲惨な“贈り物”をしたと解釈できる事件だった。こうして李明博政府のもとで大衆の社会経済的な生活の質はなお一層、悪化していった。特に庶民、労働者と都市部の貧困層、社会経済的弱者の立場はさらに悪化していったのだ。ここで大衆の憤りと挫折は大きくなっていった。これがまさに2つめの失敗だ。

新自由主義的グローバル化が広がる中、87年民主主義体制の一つの主体である中道自由主義勢力と、それを批判し出現した新右派政府がその状況に十分な対応ができず、社会経済的不平等の拡大、非正規職の拡大など様々な階級的亀裂を招き、それは大衆の挫折と怒りとして表れた。この「大衆の挫折と怒り」の脅威が、先に述べたように朴槿恵に、転換的な「温情的保守主義」政策をとらせたといえる。朴槿恵候補が福祉と労働、共生と統合を語った逆説的な状況は、韓国的な新自由主義的独占資本主義の賤しさと破壊性を保守たちも意識していたためである。故に彼らもそれなりに悩み、李明博のようなCEO型保守とは区別される温情的保守を目指すというイメージを作っていったのである。

しかし、温情的保守主義では大衆の問題を解決できないのが韓国の現状である。温情的保守のイメージ戦略をとらなくてはならないほど大衆の暮らしは困窮し、鉄塔籠城や双龍自動車社のリストラによる労働者自殺のように、生死の淵に追い込まれている。もっとも基本的な「ヒューマニズム」が問われる状況であり、このような観点からみると、朴槿恵政府とは「二つの失敗」上に現れた韓国社会の新たな方向の一種の「受動革命」的再編の過程だと言える。

仮に87年以降の民主主義を「民主主義1.0」として、二つの失敗を通じ今後民衆が望む民主主義を「民主主義2.0」とするならば、その核心は「社会経済的民主主義」だと言える。それを実現する政治的主導権争いで新右派勢力が勝利し、汎中道、汎進歩の連合軍が敗北した。それが今回の大統領選挙なのだ。そして、短期的には民主主義2.0の性質がある程度「上からの保守的改革」に、つまり受動革命的に実現されてゆく段階に入ったといえる。

4.二つの巨大な主体の狭間に立たされた朴槿恵政府のジレンマ

朴正熙の娘である朴槿恵が大統領になったからと、朴槿恵政権の成功が保障されたわけでもなく、第二の朴正熙政権の復活が必ずしも上昇曲線を描くとは限らない。朴槿恵政権の登場はたしかに朴正熙の後光のおかげでもある。しかし、朴槿恵政府がその威光の虚構性を暴き、韓国社会の保守的ヘゲモニーにメスを入れるのか、もしくは、父のように韓国社会の保守的ヘゲモニーを一層強めるのか、現時点では断言できない。朴槿恵の登場によって韓国社会において、反独裁運動により崩壊した保守的ヘゲモニーが再び補填されることになるならば、日本の「55年体制」のような保守覇権的な体制へと進む可能性もある。

筆者は朴正熙体制により、韓国社会に二つの巨大な社会主体が出現したと分析する。一方は、朴正熙体制の絶大な戦略的支援の中で成長した巨大な「階級的・社会的既得権勢力」であり、もう一方は朴正熙体制の抑圧に耐え成長した「高い平等主義に期待する大衆」である。2012年の大統領選における朴槿恵のあらゆる「方向転換的」な公約は、この高い平等主義に期待する大衆の支持獲得を狙ったものだ。実際、李明博政府の失政により疲弊しきった大衆の挫折と憤りが確実に存在する中、そのような挫折と憤りを感じている大衆層の票を獲得するため、朴槿恵候補は保守候補としてはある種「最大主義的公約」を打ち出したのである。

言うならば、強制された「保守の進化」だ。しかし、それらの公約はまさに、父が作り上げた巨大な「階級的・社会的既得権勢力」の特権的既得権構造の改革と変化があってこそ可能である。つまり、自分の父が作った既得権勢力と対決してこそ実現される公約を掲げ、彼女は今国民の前に立っている。

「保守の進化」に対応する二つの並行戦略
これは、朴槿恵が当選のための戦略として表明した民生、経済改革、財閥改革の課題は保守的支配ブロック内で葛藤とジレンマを呼ぶだろうということを示唆する。ここに、朴槿恵政府のジレンマと挑戦が存在する。そして、これは私たちが大統領選以前に問題視していた争点(鉄塔籠城問題、リストラ労働者の自殺など)についても断固戦っていかなくてはならないが、同時に朴候補が公約を守り、そのとおり実現していくよう要求していくことが幅広い国民闘争となり得るということを示唆する。そのような意味で保守の進化に対応する二つの並行戦略が必要なのだ。

朴槿恵政府が大統領選の過程で表明した公約が、単なるパフォーマンスで「保守の整形手術」に過ぎなかったとなれば、保守に対する政治経済的信頼は失墜し、進歩改革的・左派的勢力が大衆の核心的要求である社会経済的民主主義を実現する主体として再び登場し、一段階上の急進民主主義的秩序を出現させる契機になるかもしれない。

「保守の左クリック*」に対応する「政治の大衆的・社会的地形」の急進的拡張
今回大統領選挙で朴槿恵が‘温情的保守’としての最大主義的公約をしたことは、ある意味では保守がいわゆる「左クリック」をしたということを意味する。 整形手術であれ上辺だけの言説であれ、詐欺性であれ、進歩のアジェンダとイメージに口先だけで「左クリック」するという戦略を保守が使ったのだ。 例えば現実的福祉、財閥の逸脱行為に対する現実的な経済改革、その一部としての財閥改革や、公共部門で非正規職を活用するなど進歩的議題を利用する戦略をとった。信憑性は別にして、これは保守が「左クリック」したということであって、私たちはこれを直視しなければならない。

ここで民主進歩陣営と民主進歩政党がどのように自己革新をしながら、保守に敵対する力を作るかということが重要だ。ここで最も重要なのは「保守の左クリック」に対応して、さらに左側であるいはさらに急進的な立場で保守を批判して対決することができるようにする社会的地形を作ることが重要だと考えられる。 例えば保守が左クリックをしてくるという時、さらに「左側」にある中道改革自由主義政党(現在の民主統合党)はさらに左側に移動してさらに急進的な政策を大衆に提示すれば良い。

しかし無限大に左に移動できない。 大衆が分断体制やレッド・コンプレックス、階級意識の遅滞などの要因によってそういう急進的政策を受容できないためだ。今回の大統領選挙においても「全面的福祉」を掲げた文在寅に比べ、現実的福祉を掲げた朴槿恵が信頼できると大衆が認識したのもこのためだ。

結局、重要なのは、保守より左側にある民主進歩政党が左クリックをし、それを大衆が受容できる(筆者の表現では)–「政治の大衆的・社会的地形」を作ることが重要だ。筆者は、民主進歩政党らが左クリックをすることができる「政治の大衆的・社会的地形」を作るのは運動だと考える。李明博政府5年の間に大衆は李明博政府で象徴される「右派新自由主義政府」の社会経済的政策によって挫折し、怒り、これが「政治の大衆的・社会的地形」を「左」に移動させた。その結果、保守候補である朴槿恵させも、福祉、民生、経済民主化を話さざるを得なくなったのだ。このような点から、民主進歩運動が朴槿恵政府の下で靴紐を絞め直し、このように「政治の大衆的・社会的地形」を変化させるための新しい大遠征に出なければならないと筆者は考える。

朴槿恵の成功を祈るが
筆者は、朴槿恵政府が成功するように祈る。それは韓国社会が一段階グレードアップする契機になるためだ。保守が今後進化して行くならば、当然中道自由主義勢力も進歩左派勢力も前へ進まなければならないためだ。事実、李明博が5年前に国民を「惹きつけた」いわゆる「先進化」というものが、まさにそのようなことなのだ。 李明博はそれを当選するためのトリックとして使った後に、使い古した履物のように捨て、その李明博政府5年の間に大衆が大きい苦痛を受け、怒り挫折したことによって、その「怒りと挫折の威嚇」が朴槿恵を最大主義的公約にやむをえず進むようにしたのだと考える。保守の最大主義的公約は、怒りと挫折を経験した大衆の最大主義的怒りによって強制されたのだ。

筆者は、韓国社会の階級的・社会的既得権勢力の賤しさと成金的性格を考慮すれば、朴槿恵政府が自身の公約自体だけを掲げて実現することも非常に難しいと考える。 そうした点で朴槿恵政府が(もちろん筆者は朴槿恵政府を朴正煕政府の復活としてだけ見ることには反対するが)保守ヘゲモニー(覇権)を強化する方向に進むことも難しいと考える。後者の方向性が長期的に実現されるならば、反朴正煕の進歩勢力には朴槿恵政府5年が一段階高い民主主義と社会が進歩するための準備期だったと評価されるだろう。

振り返ってみれば、1979年に朴正煕が側近によって殺害され、朴正煕体制が崩壊したにもかかわらず、民主化に向かう大衆的動力が不足したため、独裁から民主主義へ「直行」できず、1980年「新軍部政権」という迂迴路に進入した。1987年6月の民主抗争が政治的民主主義を実現したというならば、今韓国社会は社会経済的アジェンダを含む一段階高い、いわゆる「民主主義2.0」へ行くための課題に直面しているといえる。

朴槿恵政府の出現は、ある意味で「民主主義2.0」へ行く大衆的動力が不足し、朴槿恵政府という迂迴路に入ったともいえる。韓国社会がどのような経路をたどっていくかは、後の歴史だけが明らかにすることができるだろう。

[訳注:*左クリック・・・左派(左翼)傾向的な施策に転向しようとする動き]

文: チョ・ヒヨン(“民主化のための全国教授協議会”常任議長/聖公会大学NGO大学院長)
翻訳:コリチーム(金正美、全真姫、山田貴子)