2月 052013
 

 NPO法人日本希望製作所が企画したソウル フェア・トラベル「ソウルにおけるまちづくり~社会的企業、貧困への取り組みをめぐる旅」に参加した(2012年8月24日~26日)。
訪問先となった大都市ソウルの二つのマウル(町や村の意)は、街の成り立ちに違いはあっても、いずれもが地域住民による参加・協働・合意形成・自発性を大切に、「自分たちに必要なものは自分たちでつくる」「自分たちのまちの環境は自分たちで守る」という実践が見て取れた。都市の中にいかにコミュニティをつくるか、は東京でも緊急度の高い重要なテーマとなっている。貴重なヒントを得た今回の旅から、駆け足で報告する。

韓国ソウルで住みたいまちNo.1のまち
 麻浦区―ソンミサン・マウル

 最初に訪問したまち、ソンミサン・マウルは、ソウル市の中心部麻浦(マッポ)区の標高60メートルの小山を取り巻く地域にある。1994年、この地域に集団移住した30代の共働き夫婦25世帯が、自分たちの必要性から共同育児施設を設立した。そして、このことをきっかけに、地域の人たちのつながりが徐々に広がっていくことになる。
 共同育児の活動は、子どもたちの成長にともない、学童保育など新たな場づくりの必要性を生み出していく。「必要は発明の母」のことわざどおり、必要に迫られる毎に、工夫を生みだす活動へと発展。現在は、食の安全を求め設立された「生協」や、「協同住宅」「コミュニティ・レストラン」「劇場」「リサイクルショップ」「ミニFM放送局」など、実に70を超える多彩な活動や、「マウル企業」と呼ばれる事業体が地域住民の参加と自治で運営されている。
 そのひとつが2004年に設立の「代案学校」だ。代案学校「ソンミサン学校」は、地域の人たちが資金を出し合い、自分たちの理念にあった教師を採用して運営する「地域立」の学校で、日本で言うところのフリースクールだ。小・中・高校があるが、設立8年目なので、高校はまだ卒業生を出していない(韓国も6・3・3・4制)。ここを巣立っていく子どもたちがどのような未来を描くのか、大いに楽しみだ。

麻浦ドゥレ生協、5700世帯が参加

 2001年、ソンミサンに配水施設を建設しようとするソウル市の計画がもちあがった。このときも反対する住民運動が湧き起こり、その運動が地域のつながりをさらに強めていった。当時の市長は、前大統領の李明博氏。計画は市民の力によって阻止されたばかりか、予定地には地域の人たちの力で植林が行われ、誰からも親しまれる公共の場・憩いの場となっている。行政の支援をあてにせず、自分たちの手で、自分たちに必要なものをつくりだそうとする情熱やエネルギーに感銘を受けた。

朴ソウル市長が掲げる
都市におけるコミュニティ復元への挑戦

 ソウル市では、2011年10月の市長補欠選挙で、市民運動出身の人権派弁護士・朴元淳氏が当選し話題になったが、新市長が就任直後から矢継ぎ早に打ち出した革新的な政策のひとつが「コミュニティの復元」であった。
 ソンミサン・マウルのような住民自治のまちを15カ所つくる計画が打ち出され、この事業を実現するために「マウル支援センター」も開設された。韓国でも、結婚しない若者や結婚しても子どもを持たない人たちが増えるなど、家族単位の社会から個人を中心とした社会へと変容しているという。そうした中で、必要とする関係を地域に求めるようになり、地縁的共同体であるマウルへの関心が急速に高まっているという。地域のコミュニティを住民主体でつくる新しいまちづくりに寄与しようと、マウル支援センターではさまざまな提案と支援を進めていく予定で、今後の展開が国内外から注目されている。
 韓国ソウルで住みたいまちNo.1のまち、移住希望者も国内外の視察者も増え続けているまち、コミュニティビジネスが最も充実しているまち、なるほど、それがソンミサン・マウルであることを実感した。

仕事と暮らしが両立するコミュニティづくりをめざす
江南区─チェゴン・マウル

 もうひとつの訪問先であるチェゴン・マウルは低所得者層の居住地域で、富裕層むけの夥しい数の高層マンションが林立する江南(カンナム)区の一角にあった。
 簡易なつくりのバラック住宅が軒を連ねている。トイレは共同、集会室や食堂、子どもたちの勉強部屋なども、みんなの共有スペースとして住戸とは別に設けられている。そして、敷地の隅には素敵な菜園もある。

チェゴン・マウル。後ろにそびえるのは富裕層が住む高層マンション


 韓国が軍事政権下にあった1981年、政府は戦争孤児や浮浪者を全国からこの地区に強制的に移住させた。警察の管理下でリサイクルなどの仕事に従事することになった人々は「自活勤労隊」とされた。住民には口約束で土地と住まいが与えられた。しかし、1988年のソウルオリンピックの際には、「美観を損ねる」との理由で地区外に出ることが禁止された。オリンピック終了後は、今度は自活勤労隊の解散と区画整理が突如決定。住民たちは「不法占拠者」として市から立ち退くよう要求され、その撤回を求めて警察権力と渉りあう激しい住民闘争が続いてきた。
 チェゴン・マウルの住民たちは、人権派弁護士として知られる朴市長の登場により、ソウル市が「合意のない再開発はしない」との方針を打ち出したことに大きな期待を寄せている。チェゴン・マウルの住民、みんなの希望は安心して住み続けられるコーポラティブ住宅の建設と、仕事と暮らしが両立するコミュニティづくりにある。現在は、参加・協働・合意形成を第一義にワークショップを重ねながら、チェゴン・マウルの将来像を模索している。

 日本でも東日本大震災以降、かつてないほど人々はつながりを求め、社会のあり方を問い直そうとしている。互いを尊重し、納得のいくまで話し合い、必要な機能を自ら生みだし、まちを運営する――ソウルの二つの実践から得たヒントも生かしつつ、私たちのまち・東京のまちづくりに反映していきたい。

文: 西崎光子<東京・生活者ネットワーク代表委員/都議会議員>

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