12月 252013
 

11月23-26日、3泊4日の日程で韓国・ソウル市のまちづくりの中間支援組織である“ソウル市マウル共同体総合支援センター”の視察チームと一緒に大阪に行ってきました。ソンミサンマウルのユ・チャンボク先生がセンター長をしておられる“ソウル市マウル共同体総合支援センター”は、ソウル市にあるまちの人的・物的資源を繋ぎ、まちづくりにおける次世代の人材を育成するなど、まちの共同体を支援する組織です。今回の大阪視察では、若者が主要メンバーになって、まちづくりやコミュニティビジネスを行っている大阪の地域を中心に見学しました。

まず、11月23日には、にぎやかな大阪駅から少し離れたところにある中崎町のSalon de AManTO天人(あまんと)の共同体を訪れました。 Salon de AManTO天人の共同経営者であるJUNさんが、中崎町のコミュニティを案内してくれました。Salon de AManTO天人共同体は、2001年設立されたカフェ、Salon de AManTo天人(サロン・ド・アマント)を中心としています。 そして、Salon de AManTo天人は、中崎町地域の変化が始まった出発点でもあります。昼食で立ち寄ったお好み焼き屋のおじさんが、「Salon de AManTo天人や他の店が続々とできてから、前と比べて治安がよくなり、外部から多くの人たちが訪ねてくるようになり、まちが元気になりましたよ」と言っていました。お好み焼き屋のおじさんの話のように、Salon de AManTO天人は地域の人のみならず、中崎町の街の風景まで変えてきました。

「天人(あまんと)」とは、「自分がやりたいことをする人がまさに幸せな共同体を作る人」という意味を持っています。カフェ、Salon de AManTo天人は日替わりマスターのお店で、様々な背景を持っている30人以上の「幸せな共同体を作る人たち」が集まり、運営スタッフおよび共同運営者・経営者として、運営・管理にかかわっています。カフェの壁に貼られている数十年前の新聞紙や「図書館」という名づけられた古い本棚、小さなFM Radioブースからは、Salon de AManTO天人ならではのレトロで独特の魅力が感じられました。初めて来た私にも、隠れ処のようなほっとする雰囲気のカフェでした。

また、共同体Salon de AManTO天人の若いアーティストたちは、ゲストハウス、劇場(天劇キネマトロン)、バー(朱夏)などを自分たちの手で作り、直接、運営しています。ネパールから来た難民、4歳の息子を持つ主婦、ダンサーなど、Salon de AManTO天人には、まったく関係のないように見える異なった背景を持つスタッフたち、日本社会ではマイノリティかもしれないスタッフたちが、ボランティアの形で共に参加しています。さらに、中崎町のSalon de AManTO天人共同体を説明されたJUNさんの話からも、「ここでは自分の素顔を見せることができる」というスタッフの話からも、Salon de AManTO天人に対する愛情が伝わってきました。Salon de AManTO天人は、そこに来る客にとっても、働くスタッフたちにとっても、心を開いて交流し、意思疎通をはかることができる居場所としての役割を果たしています。そして、Salon de AManTO天人は、常にスタッフたちが主体となって、自分がやりたいことや新しいものに挑戦し、試みる空間でもありました。

翌24日には、中崎町ホールでSalon de AManTO天人企画のVISIONSプロジェクト“VISIONS大阪中崎町―地域活性熱血フォーラム”が開かれました。「コミュニティ再生」をテーマに、アートを通してまちづくりを行っているインドネシアのジョグジャカルタ、大阪・中崎町のSalon de AManTO天人など、個性的なまちづくりの事例発表があり、ソウル市マウル共同体総合支援センターのユ・チャンボク先生が韓国のソンミサンマウルを紹介しました。 「個人の事、地域の事、世界の事をつなげよう」ということで、“防災と街”、“難民と街”、“地方と街”など様々な内容のプログラムが行われました。

屋外では、大阪市内の天人の近くにある農村で活躍しているスタッフが、自分が栽培した黒豆でおいしい黒豆茶を提供してくれたり、子ども連れの夫婦のスタッフが、収益金の一部がフィリピンの森を支援する寄付になるコーヒー豆とエコバックを販売したりしていました。また、カースト制度による迫害から日本に逃れてきたネパール難民のスタッフが、ネパール料理を紹介していました。東日本大震災によって生まれた日本国内の難民を支援するボランティア活動を福島で行っているスタッフからは、生々しい話を聞くことができました。前日までは、共通点がないように見えたSalon de AManTO天人のスタッフたちが、「コミュニティ再生」という共通の課題に熱心に取り組んでいることがよくわかりました。

このように、Salon de AManTO天人の人たちは、中崎町にとどまらず、日本国内の他地域にもつながっていました。そして、アジアの人たちとの関係から、お互いにノウハウを学び、 “天人方式”でコミュニケーションを図り、交流しながら、「個人の事、地域の事、世界の事をつなげよう」というスローガン通り、一人一人のスタッフから中崎町へ、中崎町から地方へ、さらには世界へとつながりをつくっていました。

25日には、箕面市NPO支援センターを訪問し、箕面市内で若者が主体となって活動している市民団体の紹介がありました。シングルマザーの家庭で育った大学生たちが、自分と同じような背景を持つ子どもの教育を支援する団体や、料理の原材料を表示するシンボルマークを作り、それを使用するように飲食店に声をかけている団体の事例などが紹介され、午後にはその中でも成功例として評価される北芝地域を訪問しました。

箕面市北芝は部落地域で、長い間、偏見や差別を受けてきた地域です。この地域では、“暮らしづくりネットワーク北芝”というNPO法人が、地域の課題を克服して、住みやすいまちづくりをすすめています。10年前からまちづくりにかかわっている北芝出身の若い30代の女性スタッフの案内で北芝を巡りながら、部落や北芝のまちづくりの歴史について説明をうけました。芝楽という所には、「楽駄屋」という駄菓子屋があります。「楽駄屋」では、お菓子の販売だけではなく、子どもたちが経営するキッズ・カフェになったり、地域の大人の居酒屋になったり、子どもの絵を展示する美術館になったりと、イベントごとに姿を変える面白い空間でした。また、週末になると、芝楽の広場では朝市が開かれるなど、芝楽は“住民による、住民のための場所”でした。

“暮らしづくりネットワーク北芝”では、お年寄りと子供向けの2種類の地域通貨を発行し、北芝地域の人と人を繋ぐ道具として地域通貨を活用しています。体の不自由なお年寄りは、お年寄り向けの地域通貨を使って、代わりに買い物をしてもらったり、病院への送迎サービスなどを利用することができます。子供たちは、朝市の準備やスタッフの手伝いをすることで子供向けの地域通貨“まーぶ”を稼ぐことができます。“まーぶ”を使って、海外で行われているまちづくりの現場への研修プログラムに参加したり、夢を叶えてくれるコンペなどのイベントに参加することができます(2000まーぶ必要)。実際に、「ショッピングモールで鬼ごっこをしたい」という2000まーぶを集めた男の子の夢が叶ったそうです。「 “まーぶ”という地域通貨を通じて、北芝の子どもたちに夢を実現するためには努力が必要だということを教えてあげたかった」というスタッフの言葉が印象的でした。このように、北芝では、地域通貨を活用して地域のお年寄りの安否を確認したり、子どもたちを地域活動に参加させたりしていました。

北芝地域のまちづくりプロジェクトに参加するスタッフの3分の2は、20-30代の若者です。未熟で経験がないアマチュアだからこそできる新鮮で面白いアイディアばかりで、ツアーをしている間中、北芝の話を聞くのがすごく楽しかったです。ある地域住民が、「北芝は“貧困による偏見”ではなく、“偏見による貧困”が生まれる場所だった」と話してくれました。世間からの差別と偏見を乗り越えて、自分たちのまちのために自ら行動し、積極的にまちのことに取り組んでいる若者たちの姿がとても素敵でした。

日本と同様に韓国でも学校の成績争いや就活など、若者たちは激しい競争社会にさらされています。こういう現実から、私自身も自分のことだけで精一杯で自分が暮らしているまちのことや、自分の周りのことを振り返る余裕がありませんでした。しかし今回、天人(あまんと)や北芝地域の若者たちと出会って、刺激を受けました。自分にとってまちとは何か、自分が暮らしているまちについて自分自身はどれだけ知っているかについて考えるようになりました。そして、地域活性化において、若者の力と斬新なアイディアは大きな役割を果たしていることがわかりました。

今回の反省を踏まえて、今後自分が暮らしている地域とどのようにかかわっていくかはまだがわかりませんが、まずは、同じマンションに住んでいる方たちに笑顔で明るくあいさつをすることから始めようと思います。^_^

文: キム・ソヒ<立教大学学生>