4月 252014
 

ラオスの話(2) だれが地域を守るのか? 世間の‘水’をちょっと飲んでみた若者たち

わたしはラオスのワンウィアンにあるプディンデン青少年センター(Phoudindaeng Youth Center)でボランティアをしている。2007年に開所したセンターは、ラオス内外でかなり有名だ。地域で長い準備期間を経て設立され、いまは若者たちが大人の助けを借りることなく自分たちで運営している事例として広く知られている。現在、ここの若者たちはプディンデンセンターを運営するだけでなく、ワンウィアン地域の村々の青少年活動を支援したり青少年センター設立を助けたりしている。

センターがプディンデン村にあるため、名前はプディンデン・ユース・センターで、プディンデン村で育ち熱心に勉強し、はしゃぎまわっていた子どもたちが、青少年センターの職員になった。10年前に初めて会ったときはちびっ子だったが、いまは立派な大人になり、自分の弟妹たちを教えている。そのためかセンターと自分たちに対するプライドが高い。「ぼくがセンターの主人だよ。」「ここでずうっと働いていますよ。」「ワンウィアンではどこに行ってもぼくはよく知られていますよ。」センターを訪れる人びとに笑いながらよくこんなことを言う。

うちのセンターの若者たちはこのようにプライドを持ち、やり甲斐を感じつつ地域で働いているが、ラオスの環境が急激に変化していっているために、かれらの気持ちもその変化につれてそわそわと落ち着かない。周りの友だちが首都のヴィエンチャンに勉強しに、働きに出て行くのを見ると、かれらのように出て行きたくもなるだろう。これまでセンターの仕事をしながらいろいろな経験を積み、世の中も少しは知ったが、地域の村と共に働くこと、国内外の協力者たちと仕事を調節することは簡単ではない。

今、センターでは、プログラムの担当者3名、カフェ担当1名、刺繍班5名のつごう9名が働いている。今日はそのうち4人の若者の話をしようと思う。都市化と開発が早いスピードで進んでいるワンウィアンに暮らす20代のラオスの若者たちの暮らし、かれらの悩みと希望は何だろうか?

20歳で初めてコーヒーを飲んだ‘ケオ’

青少年センター内には‘スムスン’という名のカフェがある。ローマ字ではZoom Sun と書く。ラオス語では‘地域社会’という意味だ。センターは活動の自立だけでなく、経済的自立もしなくてはならないので、少しお金を稼ごうとして作った。このカフェを作るとき、韓国の‘共に働く財団’が運営するSmile Together Project (STP) がコンサルティングをして、センター建設と運営も支援した。

‘共に働く財団’がカフェを支援する理由は、海外の社会的企業を育成しようというものだ。ところがラオスではこれがとても難しい。ラオスは効率と競争を追求する韓国の現実とはとても違うからだ。そしてセンターにはまだカフェで収益をあげるほどの経験と知識がない。時間が長くかかりそうだ。

ケオ(Keo TAMONG)


それで財団でこの事業支援を担当していたイ・ヨンファ チーム長はかなり心配した。期待したほど収益があがらないからだ。それでもわたしは言いたい。「いったい社会的事業とは何だ?雇用を作り出し人々の能力を育てればいいじゃないか。どうして全部が全部、儲かるか?大人たちが命がけで事業をしても大半は失敗すると言う。だからあまり期待しすぎるな。」そうは言ってもそうやって澄ましているのも贔屓の引き倒しだ。それで付け足す。「それでもあなたの手に何かを掴ませよう。いずれにしても収益が出ればそれで青少年をもっと雇用しようというのではないか?人を育てようというんじゃないのか?」こうやってわたしたちが得た、いわゆる収益は、まさに‘ケオ’だ。

センターのペット、ケオ(Keo TAMONG)は花の20歳だ。昨年7月からカフェで働き始めたが、当時高校をやめて農業に従事していた。祖母・父母・弟妹4人の8人家族。経済状況が厳しく学校を続けることができなかった。韓国でもかつては姉たちが弟妹を学ばせるために学校をやめたように。ラオスでは現在進行形だ。

一昨年末、カフェを開き、職員募集のために周囲にその話をした。すでに周辺にはうちのセンターで勉強し、ワンウィアン市内のカフェやホテルで働いたことがある若者たちが多かった。その若者たちを連れてくれば人を探すのも楽でカフェの運営もたやすかったが、わたしたちはそうはしなかった。隣村のウィアムサマイ村の若者たちに機会を与えたかったからだ。ウィアムサマイ村は相対的に貧しく、若者たちは勉強もあまりできず、社会進出の機会が少なかった。ウィアムサマイ村の指導者たちにも会い、住民たちにも話をしたが、人探しは簡単ではなかった。わたしたちは、農業に従事している若者が多いので、簡単に人を得られると思っていたが、若者たちはおびえたのか、簡単に名乗り出てこなかった。6か月かかってようやく得られたのが、ケオだ。

ケオはコーヒーを飲んだことがなかった。英語での挨拶ひとつできなかった。それではどうしようか。カフェを運営しなくてはならないのだから、コーヒーを一口飲んでみろと言った。一口飲んで「コム リイ リイͲͲͲ(とっても苦い)」。それから練乳をたっぷり入れておいしく飲んだ。職員たちの口から出たことば、「ヤレヤレ、大変だ」。
 
そんなケオが、いまは英語をかなり話す。コーヒーもおいしく入れる。ケオのもっとも大きな長所は何よりも明るいことだ。冗談もよく通じる。わたしはセンターでケオに会うと‘おばあさん、今日は’という意味の「サバイディ メタオ」と挨拶する。村の友だちはもう嫁に行って子どもまで生んでいるが、まったくその気配がないケオをからかっているのだ。するとケオは「サバイディ ポタオ」と迎え撃つ。ポタオはおじいさんという意味だ。無邪気だったラオスの若者ひとりを立派に育てたわけだ。

数日前ケオに尋ねた。
 “お母さんが嫁に行けと言わない?”
 “うん、まだそんな話はしてませんよ。”
 “きみは?いつ行こうと思うの?”
 “25歳ぐらいで。”
 “じゃあ、このままでおばあさんになるんだね。”

ケオの関心は何だろうか?どんな夢を抱いているのか?田舎で生まれ育ち、コーヒー‘水’を一度も飲んだことがなかったケオが、いろいろな国から来る外国人たちに会いつつ、どう思っているのか?職場で遅刻・欠席を当たり前のようにする普通のラオスの若者たちと違って、きちんきちんと働きに来るケオの力は、どこから出てくるのか?

いま韓国人たちがラオスにたくさん遊びに来る。センター運営の金も稼がなくてはならないから、ワンウィアンに来たらケオに会いがてら、青少年センターに来て見物してカフェでコーヒーを一杯飲んでくれるといいのだが。村の5人の娘たちがとてもきれいな手工芸品を丁寧に作っている。わたしたちも少し収益を上げなければ、センターを助けてくださる方々に申し訳ない。

肩にいっぱい力が入った‘カムディ’

新旧の通学バスと運転手カムソン、カムディ

青少年センターは通学バスを運営している。去る2003年に始めてから10年経った。田舎の村の中学生60人あまりを市内の学校まで朝夕乗せていく。7年前に中古で買ったバスは、いまは丘の上から押さないとエンジンがかからないほど古くなってしまった。それで、この夏、新しい通学バスを買うためにアジアのいろいろな国で大掛かりな募金活動をして、今度は中古ではなく新車を買った。各国にあるアバン(AVAN:Asian Volunteer Action Netwerk)の会員たちが率先して金を集め、多くの人々が‘十匙一飯’(訳注:何人かが少しずつ力を合わせれば一人の人を助けるのはたやすい)で参加した。とくに意義深かったのは、ここの村でもたとえ小額であっても気持ちを集めたことだ。わたしも最初からしっかり言っておいた。「みなさんたちも10年間バスを利用したのだから、今度は自分も参加しなければならない。これは‘プロジェクト’ではなく、人々が心を合わせてすることですよ。みなさんが募金に参加しなければ、わたしも外国にいる友人たちに頼みませんよ。面目がないです。」海外援助を多く受けているラオスでは、プロジェクトだと言えば当然何でも来るものだと思っている。三つの村の人々はわれわれの志を理解して熱心に真心を集めた。

いま韓国にも通学バスがたくさんある。田舎の村の学校を統廃合して、学校がなくなった村の生徒たちを村内の学校に乗せて行く。わたしたちがしていることと同じだ。わたしはひとり呟く。「そうしてみると韓国人たちはとっても変だ。韓国では田舎の学校の門を閉ざし、ラオスに来ると躍起になって田舎の村に学校を建てている。」学校について話したいことは多いが、今日は若者の話をしなければならないので、学校についてはまたにしよう。

新しい通学バスができたついでに、深い山奥にあるナケ(Nakhe)村にも運行し始めた。これまでも行きたかったが、道が険しくて中古車では行けなかった。ナケは乗用車でも行くのが難しい峠を越えなければならない山里だ。バスが通り始めたので、村では大騒ぎになった。「とうとう子どもたちが学校に行けるようになりました。ほんとにありがとう。」「わたしたちは貧しいですが、子どもたちはしっかり勉強してすばらしい人になれますよ。」朝晩、村の住民たちがバナナや野菜などを持ってきてセンターの職員に渡し、嬉しい気持ちを伝えている。わたしたちセンター職員もつられて、村人たちのように浮かれている。中でも、生きがいがあると言ってもっともニコニコしている若者がいる。誇らしい仕事をしていると、肩に力も入った。人々が格好いいとささやいている若者、‘カムディ’だ。

カムディ(Khamdee SULIPHONE)は、ケオと同じ20歳だ。昨年8月からセンターで働き始めた。通学バスを運転し、センターの施設を管理し、ちびっ子たちの英語教室を担当している。プディンデン村出身のカムディは、都会の水をほんの少し飲んだ。昨年5月高校を卒業し、首都ヴィエンチャンで、3ヶ月間自動車学校に通ったからだ。

英語も上手で勉強にも関心があるカムディは、高校卒業後、大学に行きたかった。しかし貧しい家庭の長男にそんな機会はあたえられなかった。金がなくて進学することができず、失望したカムディをセンターは積極的に勧誘した。運転を習って通学バスも運転し、センターで働くのはどうか、と。センターでは新しい職員が必要でもあった。カムソンはすでに6年も通学バスを運転したので、いまや役割を変えてやらなければならないからだ。カムディは提案を受け入れ、センターではカムディがヴィエンチャンの自動車学校に通えるように授業料を貸してやった。カムディは免許を取るや否やプディンデンに帰ってきてセンターの職員になり、毎月、月給の一部を割いて借りた金を払っている。ふだんは口数少なく沈着なカムディは運転がとても上手だ。しかし、ひとつ欠点がある。スピードを出しすぎることだ。わたしも言ったが、みんながいつまでもそうしていると大変なことになると警告したので、いまはかなりよくなった。しかし、カムディのもっと大きな問題は、人を怖がることだ。昨年カムディに、通学バスの予算を管理しなければならないから銀行に行って通帳を作れと言った。しかし住民登録がきちんとされていなかったので、まず警察に行って確認をもらってから銀行に行かなければならなかった。けれども警察に行くのが怖くて半年間行かなかった。警察は普通の人々も怖がるところなのでそうかもしれないが、新しい通学バスを買うためにセンター付近にある自動車販売代理店に行ってトラックの値段を聞いて来いと言っても、怖くて行けなかった。

このように怖がっているので、昨年、人の多いヴィエンチャンでどうしていたのかわからない。少し前、カムディと話す機会があった。「この一年間センターで働きながら、いちばん多く学んだことは何か?」「人に会うことです。」わたしが見るにはまだまだだが、自分なりには人に会うのがとても上手になったと思っているらしい。

カムディは、まだ大学進学の夢をあきらめていない。しかし今度は弟のウィサイ(Voexai)が大学に行こうとしている。弟に譲ると決心したので、かれがすぐ大学に行くのはどうにも無理だ。センターで働きながら、ひたすらお金を稼ぎ、いつか進学すればいいのではないかと慰めてはいるが、わたしはそれが簡単ではないことを知っている。

いまや古参となった‘カムミン’と‘カムソン’

うちのセンターをすでに知っている人たちは、センターを思うときいっしょに思い出す若者たちがいる。カムミンとカムソンだ。このふたりはこれまでにいろいろな国から来た多くの人びとに会い、韓国にも二度行ったことがある。韓国でもこのふたりの若者について、機会があるたびに話したので、またかという感じが少しするかも知れない。どうしようか?それでもわがセンターの象徴だから紹介しなくては。

カムミン、カムソンと村の友人たち

カムミン(Khamming DOUNGSAMON)は25歳、カムソン(Khamsone PHONGSANIT)は27歳だ。カムソンが2歳上だが、ふたりは一緒に育ち、学校にも一緒に通った友だち同士だ。ヒンフプ(Hinheup District)地域のとても深い山奥で育った二人の若者は、1999年プディンデンに来た。当時、山奥の村で伝染病が流行って続けざまに人が死に始めると、カムソンの母はあわてて子どもたちを村から送り出した。そしてあちこち尋ねた末、プディンデンに送った。ここに送ったのは、親戚が住んでいたからでもあるが、中学校と高校があったからだ。

ふたりが中学校に入ったとき、わたしがボランティア活動をするために参加していたAVANがプディンデンで活動し始めた。新しい世界に飢えていた少年たちは、わたしたちが始めた英語教室やキャンプなどあらゆる活動に積極的に参加した。少年たちは目を輝かせて英語の勉強に夢中になった。歩きながらも英単語を暗記するほどだった。その結果、いまはワンウィアンでもっとも英語が上手だと知られている。ネイティブから見ればそれほど上手だとは言えないかもしれないが、プディンデン村の青少年たちにとってはお手本だ。田舎の寒村から徒手空拳で出てきて成長し、ラオスの人々が行きたがる韓国にも二度行って来た。

カムミン、カムソンの韓国訪問

2009年度、長いあいだ計画して来たプディンデンの若者たちの韓国訪問が実現した。カムミンとカムソンだ。ユネスコ韓国委員会が開催した国際青年キャンプ(International Youth Camp)に、ラオス青年代表に選ばれて参加したのだ。カムソンはソウルの道峰区にある「緑の国」子ども図書館で、カムミンは済州の‘コッチャワルの人々’で2週間活動した。

実は地域の若者たちを韓国に招くのはたやすいことではない。経費が少なからずかかる。しかしお金の問題ではなく、誰を送るかという点がずっと難しい。うっかり選び方を間違えればごたごたが起こるだけだ。わたしが気に入っているからといって、その人を送るわけにはいかない。公平に選べなければ、ほかの若者たちはねたみ、本人は偉そうな顔をする。プディンデンで共に学び共に育ったすばらしい若者たちはたくさんいるが、このふたりはすでにセンターで職員として働いており、誰が見ても熱心に活動に参加して来たので、選ばれて当然だった。

一般に、現地の人々の韓国訪問を軽く考える傾向がある。成果であり実績だと考えたりもする。もちろん韓国に来れば学ぶことが多い。けれども韓国に来たからといって必ず学べるとは言えない。この若者たちは何を見、何を学ぶのか?やたらにうらやましがり浮つくのではないか?裏通りで悪いことを覚えるのではないか?心配がたくさんあったが、わたしはこれまでかれらの成長過程を見てきて、充分バランスが取れた考えを持つことができるだろうと思っていた。豊かな国、韓国に対して正しい考えを持つことができるだろうと期待していた。

「道路がどうしてこんなに多いのか?」「このたくさんのコンクリートはいったいどこから来たのか?輸入したのか、韓国産か?」「車がとても多いが、なぜみんなひとりだけで乗っているのか?」「真昼間にどうしてこんなに明かりをつけてあるのか?」「どうしてこんなにエアコンがきついのか?」「人々はたがいにきょとんと眺めるばかりで、どうしてあいさつしないのか?」

ふたりが一か月間韓国で暮らして浴びせて来た質問だ。ラオスの若者カムソンとカムミンは不思議な国、韓国を見、豊かな国、韓国の裏に潜む暗い実相をちゃんと見たのだ。

ソウルに来てから初めの2日間、ミョンドンと市内を回った後、若者たちはわたしに尋ねた。「ヨング兄さんがどうしてこんなにいいところを捨てて、ラオスに住むのかわからない。」ところがラオスに帰る途中、飛行機の乗換えでハノイの空港に座っていたとき、二人は用心深く打ち明けた。「いまこそなぜヨング兄さんがラオスに住んでいるのかわかりました。」ヨングはプディンデン青少年センターでのボランティア活動を終えて、ラオスに定着した韓国の若者だ。

カムミンとカムソンは、このように世間の水、外国の水を飲んでも、ちゃんと飲み方を知っているすばらしい若者たちだ。以前プディンデンに来たヨーロッパのある国のプロジェクトからの、月給をたくさん出すという誘惑も振り切った義理に厚い若者たちだ。プディンデンを、ワンウィアンを、ラオスを守ろうとする二人の若者。ところで、今ふたりの悩みはだんだん深くなっている。ふたりとも貧しい家の長男なので、結婚は選択の問題ではなく必須であるラオスで、父母の「結婚しろ」という催促が並大抵でない。しかし、いまだにこの格好いい若者たちの目をくらませる相手はいないようだ。ケオがおばあさんなら、カムミンとカムソンはほとんどひいおじいさん格だ。そうしてみると、うちのセンター職員たちはみな長男か長女だねえ。

だんだんたくさんの人が大学に行き、すでに何人かの友だちが大学を卒業して、またワンウィアンに帰ってきて働いているが、カムソンとカムミンは貧しいために大学に行けずにいる。今かれらは地域社会で尊敬される働き手であるが、将来はどうなるだろうか?これから先、ラオスでも出世するには学歴が問題(?)になるだろうか?あるいは現場の経験と個人の能力によって、充分やっていけるだろうか?

いろいろな思いが沸く。かれらにわたしの考えを話した。「いまから大学に行くにはかなり遅い。ラオスにある大学に行くまでには、時間がとてもかかる。そして卒業証書をもらうだけなら何の役に立つか?ここでまじめに働きながら経験を積みなさい。」かれらも同意した。けれどもこのままにしておくわけには行かない。大学に行かないとしても勉強は必要だ。悩んだ末に外国での短期研修を勧めることにした。学位課程ではないが、1年ほど外国に行って研修すれば、見聞を広めることができるだろう。

この若者たちの研修費用はどうしようか?また私は頭をかかえた。幸い、救い主が現れた。昨年11月、ソウル市ボランティアセンターを通じて海外ボランティア活動担当の管理者たちがプディンデンに研修に来た。研修を終えたのち、プディンデンの援助に参加したいと言うので、職員の海外研修を支援するのはどうかと提案した。研修生たちは韓国に帰って‘ラオス14’という組織を作り、フリーマーケットなどの募金活動を通じて職員研修のための金を集めている。来年からひとりずつ隣国のタイか中国で1年間研修させる予定だ。ふたりのうち先に研修許可をもらって準備ができたものから行く。

ラオスの若者たちはなぜ勉強しようとするのか?何になろうとしているのか?何をしようとしているのか?こんな問いを思い浮かべると、勉強はたくさんしたのに‘物知りの役立たず’になってしまった韓国の青年たちの姿が目に浮かぶ。この若者たちが勉強して帰って来たとき、ラオスはどのように変わっているだろうか?その中でこの若者たちはどんなことを言うだろうか?またラオスの若者たちに対する思いが溢れる。

ああ、ラオスの若者たちを思いつつ、歳月がまた過ぎていく。これはこの若者たちの悩みなのか、わたしの悩みなのか、判断がつかない。わたしの悩みは何か?わたしの悩みはだれが聞いてくれるのか?

文: イ・ソンジェ/ODA Watch 実行委員、プディンデンの村人
翻訳: コリチーム(波多野淑子)
原文: 라오이야기 2. 누가 지역을 지키나? – 세상‘물’ 좀 먹어본 청년들
http://www.odawatch.net/

ラオスの話(1) 地元を守る若者たち