5月 282014
 

ラオスの話(3)  ラオスを訪れる韓国人たち

突然雰囲気が変わり、人々の目が輝き始めた。よくある団体訪問だと思っていた参加者の表情が変わった。11月、ソウル市のボランティアセンターが主催する「ボランティア管理者海外研修」の参加者とラオスの首都ビエンチャンで「フォンシヌアン・ボランティアグループ(PVG; Phonsinuan Volunteer Group)」との交流会の席でのことだ。
「長い間ボランティアをやってきて、得たことは何ですか?」
いつもの団体紹介があと、紹介を担当していたラ(Laa)さんに参加者から質問があった。
「様々な経験ができました。」
「報酬やインセンティブはないのですか?」
「はい、特にありません。ボランティアを通じて、色々な人と出会うことができたし、興味のある分野で経験を積むことができました。ボランティアをする理由ってそういうことじゃないでしょうか?」

ラさんはPVGができた時からこれまで、10年以上活動をしているが、今日も団体を紹介するために、仕事を休んでボランティア活動をしている。何かほかの答えを期待していた参加者たちがざわついた。「そうだ。ボランティアってそういうことだよな…。」
韓国ではこのように、経験のためとか、誰かを助けるためにボランティアをするということはない。これまでボランティア活動を活性化するため、海外から先進的な手法を取り入れ、先進的なシステムを構築してきた。より多くの人々が参加できるように様々なインセンティブ制度を作ってきたが、それがボランティア精神を汚してしまった。経歴を積むためだけの制度は、ボランティア修了証を乱発させている。

研修する国?ラオス

「ボランティア研修に行くって?ならば先進国に行くべきでしょう?ラオスのような途上国で学べるの?韓国の方がよっぽどボランティア先進国だと思うけど。」
昨年、ソウル市ボランティアセンターが「ボランティア管理者海外研修」の準備に取り組む中で、よく耳にしたことだ。これが、貧しい国ラオスに対する一般的な印象である。だから、ラオスに研修に行くということは珍しいことなのである。

一般的に韓国人がラオスに行く目的は何か。私なりの分析であるが、まずは旅行である。
最近話題の国ラオスを訪れ、人や文化に触れる。しかし、そこで直面する「違い」や「不便」を受け入れようとする気持ちは持ち合わせていない。
次に、仕事、宣教、外交などだ。これは、私の生活圏にいない人々なので、詳しくない。
そして、3番目にあげられるのは、ラオスを助けるためだ。NGO、民間団体(KOICAなど)、大学や財団などから派遣される人たちだ。この中には、私が一緒に活動する人もいる。ラオスにとって助けになる人もいれば、そうでない人もいる。
そして最後は、ラオスに学びに来るとか、ラオスの人たちと分かち合いのために来る人たち。私が会うのは、主にプディンテンに来る人たちだが、前で述べたソウル市ボランティアセンターの研修生、テアン学校の学生、国際キャンプの参加者たちだ。

貧しくかわいそうな国ラオス

よく知られていることだが、ラオスは非常に貧しい。その為、多くの人はラオスの人をかわいそうだと思っている。また、一部の人たちはラオスの貧しさは、ラオスの人が怠けているからだ思っている。ラオスに来るほとんどの韓国人は、このような否定的な考えを持っている。常識的な見方であると言えるが、私はこの常識とやらが、邪魔に思える。

私が暮らすヴァンヴィエンは有名な観光地であるため、韓国からの観光客が多く訪れる。韓国人との出会いを苦痛に感じることが、少なくない。

隣町のビエンサマイで各国の青年たちとウィークキャンプをした時のことだ。村に建設する青少年センターの土壁を作るため、日干しレンガを作っていた。突然、大きな声で「コンカオラ、コンカオラ」と、聞こえてきた。村の子供たちが「韓国人だ、韓国人だ」と叫んでいたのであった。声のする方を見てみると、韓国人を乗せた大型バスが、私たちが作業をしていた小学校に向かってきていた。
韓国からの旅行客で、貧しい村や学校を訪問し、贈り物を寄贈するというツアーだったのだ。良心を利用した感動ツアーである。

バスから30人ほどの韓国人が下りてきて、学校の中に入って来た。そして、私たちが作業する場所へと入ってきた。私は彼らに会いたくない気持ちだったので、反射的に体を隠し、知らんふりをした。不精髭に粗末な作業服を着た私は、話さなければ韓国人だとわからない。うまい具合に隠れたと思っていたその時、彼らはチームの韓国人青年に気付き、その青年に責任者が誰なのかと聞いた。青年が指すその指の先にツアー客らの視線が注がれ、視線の先にいた私に彼らは矢継ぎ早に質問をした。

「何をしているんですか?」「大変な苦労をなさっていますね。」「このようなボランティアを募集するサイトがあるのですか?」「とてもいいことをしていますね、どの教会からきたのですか?」「なぜ、セメントではなく泥で壁を作っているのですか?」「アイゴ-、こんな大変な作業を機械ではなく、手作業でするのですね。」「子供がこんなにたくさんいるなら、お菓子でも持ってくればよかった。」「子供たちはなぜ、裸足なの?」「皆さんぼろぼろの服を着ていますね。韓国ではマンションで古着を集めたりしているのですが、どうすればここに送ることができるでしょうか?」

私が答える。「外国から来た支援者と村の青年が一緒に働くので、大変ではありません。」「ボランティアは公募していません。サイトもありません。」「こうして土壁で家を作るのには理由があります。外部からの支援で村に建物を建てる場合、普通は外部から技術者を雇用し、さっさと建てて、去って行きます。しかし、こうして村人と支援者が一緒に作業をして土壁で建物を建てると、村人は建物に愛着を感じます。」「私たちは、古着はお断りしています。」

ただ簡単に、親切に答えればいいのに、私はいちいち難しく長い説明をしていた。
この方たちも善意でここを訪れていて、私たちの活動に興味があって聞いているだけなのに、親切に答えられなかったことに心が痛んだ。このような出会いが苦手で、ついつっけんどんな対応をしてしまうのは、韓国人は固定観念を持って質問してくることが多いからだ。
質問するというより、自分の考えの確認だったり、その考えをこちらに一方的に押し付けたりするので、こちらの話を聞こうとしない。

短い時間に見て回るので時間も足りないし、聞く耳を持たない相手にどうやって伝えようか。この子たちは皆、貧しいけれど同情されることを望んではいないこと、履いているのはスリッパだけど天気の良いここでは運動靴より楽だということをどうやって伝えればいいだろうか。あめやお菓子を与えたからといって、学用品を与えたからといって、彼らの暮らしが良くなるわけではないということをどのように伝えればいいだろうか?

私がこんなことを考えている間に、一行は約30分間騒がしく過ごした後、色鉛筆2セット、鉛筆5ダースを寄贈して帰った。何より大きな自己満足というプレゼントと共に。

また別の話をしよう。以前の記事でも紹介したように、プディンテン青少年センターには「スムソンカフェ」がある。カフェの売り上げには韓国の団体ツアー客が大きく貢献している。大人数で一気に訪れては、飲み物を頼んだり、またカフェで販売している雑貨をたくさん買っていったりするからだ。いわゆる「お得意様」である。しかし、今年はその「お得様」をお断りした。韓国のツアー客が村の青少年をかわいそうだと決めつけるからだ。

センターで楽しそうに遊ぶ子供たちを見て、「かわいそう」だと嘆く大人の姿は、見るに堪えない。かわいそうだと言いながら、その「かわいそう」な子供たちと記念写真を撮りたがる人たちを見たくないからだ。そればかりじゃない。センターの子供たちを売り物扱いし、詐欺を働く旅行会社の職員たちが許せないからだ。ツアー客が募金を集め、センターに寄付金を渡すと、さっと近づき、センター長の手にあったその寄付金を「ねこばば」するということが、少なからず起きていた。もちろん、韓国人ツアー客には気付かれずに。

センターの広場で民俗遊びやゴム飛び、鬼ごっこ、バトミントンを楽しむ子供たちを見て、元気いっぱいだ、たくましいと思わないのだろうか?この村の子供たちは皆、貧しく不便な生活をしているが、誰も自分をかわいそうだとは思っていない。それなのになぜ、ここを訪れては子供たちをかわいそうだと連呼するのだろうか?洗脳でもしているのか、それとも、本当にかわいそうになることを望んでいるのだろうか?…こんなことを思う私は、考えすぎなのかもしれない…。

韓国の色から脱却すべきラオス

私たちはプディンテンで10年ほど様々な活動をしてきた。この活動のため、長期あるいは短期で韓国人が多数訪れた。そのせいで、プディンテンは少なからず韓国の色に染まった。私はこれが良くないことだと思った。一つの国があまりにも大きな影響を及ぼすことで、この地のバランスと多様性に問題が生じるのを懸念したのだ。だから、そのバランスのために様々な国からボランティアを募ろうと努力をした。

韓国の色に染まるとは、どういうことだろうか?
私は青少年センターで韓国語講座を開講してはいけないと思う。しかし、ここの青少年たちは韓国語を習いたがった。そんな時、私は決まって職員と口論になった。
「今度ボランティアが来たら、韓国語教室を開きましょう。」
「なぜ、韓国語教室を開きたいと思うのですか?」
「村の子供たちが韓国語を習いたいと言うからです。」
「韓国語を習って何をしたいと言っていますか?」
「何をしたいということではなく、ただ習ってみたいと言っているのです。」
「それはわかりますが、センターがどんどん韓国っぽくなってきています。だから、私は今回も反対です。」

すでに東南アジアに広がっている「韓流」がラオスでも流行していて、センターのダンス教室でも若者たちがK-POPを楽しんでいた。プディンテンを訪れる韓国人を通して、様々な方法で韓国の文化と人に接しているので、私はそれで充分だと思うのである。
また、心の片隅では、センターが韓国の支援をたくさん受けているので、これ以上韓国に依存してはならないという思いも膨らんでいた。
しかし、ラオスには私と正反対の現象が起きていた。わざと韓国の色に染めようとする人がいるのだ。これは、機関、団体、個人にかぎらず非常に一般化している。代表的な現象として、わざわざ韓国という国名を刻み、痕跡を残そうとする。そればかりか、個人名も刻もうとする。ラオスの学校に韓国式の学校名をつけることが当たり前のようになっている。
数日前に韓国の地方紙の記事を見て、開いた口がふさがらなかった。
「ラオスの首都ビエンチャン周辺のプアン地域には韓国名の学校が3校もある。『ヘウォン』『プライム』『Yes Gumi』などである。すべて寄贈者である、A氏の意向だ」

ラオスに学校を建設したら、その地域に合う現地の人々に意味のある名前にすべきではないか?韓国の学校で外国人の名前が付けられているのを見たことがあるだろうか?
と言っても、私は自分の主張が正しいのか実はわからない。本当に韓国色からの脱却が必要なのか?
子供たちが望むのに、こうして、かたくなに主張する私が間違っているのではないか?
しかし、どうしてもそうしたいのだ。
韓国のセンターではない、“みんなのセンター”、“ラオスのセンター”を作り上げたいのだ。

私は、韓国の大学生が海外ボランティアに行く際に胸に太極旗(韓国の国旗)を付けているのに対しても、これまでに何度も指摘した。彼らは国家代表ボランティアか?誰が国家代表の資格を与えたか?
単純に韓国の青年が近隣諸国の友のため、共に働き、共に活動をするということではいけないか?そんなに韓国を前面に出す必要があるだろうか?国旗を胸に付けなくても、ラオスの人たちは青年たちが韓国から来たことをよく知っている。みんな韓国に感謝を示してくれる。

共に夢を追い、分かち合うラオス

私は、韓国で仕事をしていたということもあるが、ネットワーク型で仕事をしていたので、知り合いが多い。私がラオスにいると言うと、様々な機関、団体からラオスに行ってもいいかと連絡を受ける。私は当然、来てもいいと答えはするが、実はそれはそんなに簡単ではない。

ラオスに来ようとする人たちの中で、私は面倒な人として知られている。たくさんの質問を通じて、細かくチェックをして、ここの状況やここでの心得を説明しようとするからだ。地域と人を中心にした支援をせず、一方的な奉仕と援助、施しを与えようとする人にはご遠慮いただいている。

では、韓国人はプディンテンには足を踏み入れることはできないのか?
そういうことではない。難しい条件(?)をクリアして、プディンテンに到達する人はいる。こうして、書きながら整理してみると、実に様々な人がプディンテンに来た。

昨年から今年にかけての2年間にプディンテンに来た人たちを思い出してみよう。
まずは、2つの大学が地域の村に入った。全南大は1カ月の短期キャンプを、忠南大は6カ月の中期プロジェクトを計画した。ウォークキャンプとしては、アバン(AVAN)が夏と冬に定期的に開催するキャンプに参加し、村の人々と共に地域調査を行った。
「アオコン(私が先に飲みますという意味のラオス語)キャンプ」、韓国芸術総合大学学生たちの文化キャンプも行われた。キア・グローバルキャンプに参加するための大学生も毎年夏になるとやって来た。道端で学ぶ学校「ロードスコラ」の学生たちと江原道鐵原郡の青少年国際ウォークキャンプに参加した青少年たちもプディンテンを訪れ、村の若者たちと共に、汗を流し、思いっきり笑い、大声をあげていた。



大学生や青少年が自ら小さなチームを作ってくることもある。ODA Watch青年活動家たち、慶熙大KICの学生たち、グローバル活動家らが特定のテーマを持って一帯を訪ね歩いた。
実務者グループとしては、ソウル市ボランティアセンターが主催するボランティア管理者の海外研修生たちが、昨年と今年にわたり、プディンテンでボランティア活動と地域社会の関係について学んだ。
また、光州の「世界をつなぐ紐」のメンバーが訪ねてきて、韓国とラオスの医療保険分野について学んでいった。
その他に珍しい訪問客としては、エネルギー気候政策研究所とカフェ「スロービー」からの訪問客だ。世の中を別の角度から観察し、世の中を変えようと試みる人たちと私たちは酒を酌み交わし、ラオスとプディンテンの人たちについて語り合った。

休息と充電のために訪れる人、プディンテンセンターのうわさを聞きつけ、公正貿易のために訪れる人、センターのカフェを手伝うために訪れる長期滞在者。ラオスの首都ビエンチャンで活動する韓国の青年、幼い子供を連れて休暇を楽しみに来た人、世界旅行の最中に訪ねてきた夫婦、以前キャンプに参加して、プディンテンが懐かしくて再び訪れた青年、等々…。プディンテンを通して知り合った縁は数え切れないほどだ。
皆、プディンテンの大切なお客様であり、共に夢を見た友人たちだ。

昔求めていた未来がある国、ラオス

昨年と今年にプディンテンでの研修に参加したソウル市ボランティアセンターの管理者たちは、自分がなぜ、他人を助けなくてはならないのか、助けるということは何なのか、そしてどのようなコミュニティを築き上げるべきなのかについて、深く考えた。村のコミュニティが現存しており、システムではなく人で動いているここラオスで、ボランティアの原型を学んだ。そして、人が活動の中心にあるボランティアの形を、ここラオスで見つけた。


研修が終わる時、私は彼らにもう一度聞いた。
「ラオスがどんな国になることを望んでいますか?」
「幸せを求め、ベンチマーキングしに来る国」「アイデンティティを守り、変化し続ける国」「昔求めていた未来が、今ある国」になることを、望んだ。

このような夢はラオスの人々の力だけでは実現できない。彼らが夢をはぐくみ、夢を実現できるよう私たち韓国人が手助けできればいい。「ラオスの話」の最初の回を読んだある後輩が私に言った。「ずっと昔に夢見た未来を見たようだ」と。

「そうだ。未来を探しに戻ってみよう。」これが今、私がここにいる理由だと思う。

文: イ・ソンジェ/ODA Watch 実行委員、プディンデンの村人

翻訳: コリチーム(チョン・クミ)

原文: 라오 이야기 3. 라오를 찾는 한국 사람들
http://www.odawatch.net/

ラオスの話 (1) : 地元を守る若者たち
ラオスの話 (2) : だれが地域を守るのか? 世間の‘水’をちょっと飲んでみた若者たち