6月 232014
 

ラオスの話(4)  韓国の青年達の感受性を育てる

去る6月、自身のFacebookに1つの投稿をあげた。
「会社を退職してから、これから何をしようかと思い巡らせた末に、生涯の関心事である‘青年’と生きてみようと思いました。それでFacebookと、新しく作った名刺に、堂々と‘青年の友人’と掲げました。ところが、それは欲張りすぎたようです。今日も青年を守ることが出来ませんでした。もう、‘青年の友人’を辞退して、ただの‘田舎者’になろうと思います…。」
多くの書き込みが上がったのですが、その中の一つを紹介すると、「青年を守ろうとなんて思わないで下さい。青年自らが自分を守るべきですよ!さっさと振るい落としてしまう方がいいでしょう…自分の子供も守れない時代なんですよ!青年の友達よりも、ひげ面の先生の方がもっと切実に求められている役割があるはずです!」 こうして青年の友人を辞退した。確かに今のような大変な時代に、誰が青年の話をし、誰が青年を守ると言うのだろうか?わけもなく向こう見ずになるだけだ。

青年はどこにいるのか

青年がいないというのは、もはや昔の話だ。韓国では、この10年余りの間に青年が消えて行った。いまや、誰が青年なのかも定かではない。私たちが青年と名付けた者達は、前に飛び出し、10年余りの間に経歴を積み重ねた。脇目も振らず、自分一人で生きて行くと、でなければ自分が生き残れない、と声を張り上げた。当然のことだ。韓国社会が彼らを競争と効率社会の中に押し込めたからだ。

数年前、私が会社へ通っていた時も状況は同じだった。青年の為に働く場所だったが、出来ることが無かった。ただ単に、自分が働くチームの名前が 青少年チームから“青年チーム”に変わっただけだった。 青年という単語が永遠に消えないように、そして青年を覚えていられるように、最小限の抵抗をするだけだった。ところが私が退職したので、会社は青年チームを“次世代チーム”へと再度名前を変更した。それは青年達に向かって、大きな声を出さず、不満を言わず、ただ未来の心配をしながら今日を持ちこたえろという意味だ。そうやって最初から露骨に、今じゃなく次の時代に生きろ、と求めた。

こんな渦中に、いくつか生きている声がある。その中のいくつかを聞いてみると、ソウル市道峰区の“プム青少年文化共同体”、テジョン(大田)の“共感万歳”、チョンジュ(全州) 南部市場の“青年モール”、グァンジュ(光州)の“学閥のない社会の為の光州市民集会”等、各地域から様々な形で声をあげている。昨年の国会議員選挙の時には、“青年会希望プラン”と言う青年政党が現れもした。近年では、“青年の仕事ハブ”が様々な集団、団体、個別の青年たちを一つの所に縛り付けている。最近では“みなさん、お元気ですか”という風変わりなところも出てきたのだが、これらをあるマスコミは「高麗大 大字報の奇跡。学生たちが集まった。」と表現した。もしかして青年たちがもはや一人ではこの世の中を上手く生きられないと言うことを知ったのだろうか?隣の友人も自分のように辛いという事を知っているのだろうか?一緒に行かなければ、という事を感じ始めたのならば良い事だ。

なぜ青年達はラオスに来るのか

私が“青年の友人”を辞退した理由は、ラオスに来た青年を韓国に帰した為だ。Facebookに載せた投稿を再度引用してみよう。
「そんなつもりは無かったのに、韓国の学生一人を帰国措置としました。原因・理由は多いのですが、結果的には私が離してはならない紐を手離してしまったのでしょう。韓国の青年達をヤワで臆病者にした韓国社会のせいにしながら、自分の元へ来た青年達はそうならないようにしなければと思いました。ところがそうやって韓国社会を責めながら、私も似たようなことをしてしまったのでしょう。気をもませる若者達をもう少し、あと少しだけ待たなければいけないのに、つい最後の瞬間に、お役所的に事を処理してしまおうと思ってしまいました。」

先月の投稿にも書いたように、ラオスには韓国人が沢山やって来る。青年達も沢山やって来る。韓国は毎年爆発的な数字で青年達を海外に送り出していて、ラオスも例外ではない。青年達はなぜ、ラオスに来るのだろうか?“助け、分かち合い、遊び、経験を積みに、あるいは経歴を積みに”来るのだ。互いに似ているが、少しずつ違う理由で来た。共通して彼らは“豊かな国から来た韓国の青年達は、貧しいラオスの青年達よりも優れていた。”と考える。果たしてそうだろうか?ラオスの青年達が劣っているのだろうか?

数年前、私と同僚は『支援活動はボランティアではない』と言う本を書いた。非常に挑戦的な題名のこの本で、私達は、韓国の青年が貧しい国に行って、一方的に‘与える’のではなく、‘平等’の交流をしなければならないと主張した。ODA ウォッチから発行しているアウル79号(2013年7月)は、「青年達よ、幻想とイメージから抜け出し、人生の現場に出て行こう!」という文章を通して、青年達に語りかけた。「‘彼らのために’という名目で、日常の煩わしさや政治の矛盾には関与せず、’善良な他人’として暫くの間現場へ行ったり来たりする役割を担う危険性がある」と。

当然の話だが、韓国の青年達は、韓国で学び身に付けた通りにラオスで生活する。‘本来の性格は直せないのではないだろうか?’競争と効率社会の中で生きてきた人々だから、ラオスの青年達をそんな目で見るのではないか? そのまま一度も心を開けずに生きてきた青年達が、ラオスに来たからといって、心を開く事が出来るのだろうか?裕福な国の青年というものは、殻を被り、自分の本当の姿を隠してしまうのではないか?ラオスに来た青年達に会うたびに、いつも心配が先に立つ。こんな自分が不満だ。

恐怖に震える青年。上手くやろうとする青年

今年2回ほど、韓国に青年を送り返した。最初は戸惑ったが、1度やったから2回目は遥かに容易に出来た。悩みも少なかった。それだけ自分が悪くなっていっているのだろうか?一人の青年は6ヶ月間活動する予定だったのだが、4ヶ月を過ぎて送り返した。もう一人は、1年活動する計画で来たのだが、6ヶ月を過ぎて帰った。2人ともかなりの期間を活動していて、もう少しだけ耐えれば、予定された期間を満了できるというのに、そうさせなかった。期間を満了する事が、何か役に立つのか?どうして耐えなければいけないのか?その時間が青年自身にとって幸せでなければ、耐えさせる事よりも辞める方が正しいと考えた。実績や成果よりも、人が優先だろうと、自分を慰めた。

2人とも、ラオスへ援助の為に来た。ラオスと親しくなろうと思って来た。しかし結果的にはそうならなかった。そうはいっても、何か悪いことをしたり事故を起こしたのではない。韓国で生きて来た、人生の方式がここで現れただけだ。それを我慢できなかっただけだ。

2人の青年とも’恐怖’が多かった。誰がこんな臆病者を作ったのだろう?韓国の青年達は、何を恐れているのだろうか?昨年、プディンデンへ来た青年に尋ねてみた。「君は何が怖いの?」「失うのが怖くて、無視されるのも怖くて、手に入れられないんじゃないかと思って怖いんです。」 取り残されたら死ぬんだと思って来た韓国の青年達の実状である。しかし私には疑問が浮かんだ。恐怖の実態は何だろうか?もしかすると、恐怖の実態が無いのではないか?ただ漠然とした、社会が作り出した恐怖ではないだろうか?

1人の青年はいつも笑っていた。上手くやろうと思っていた。いや、上手く見せようと思っていた。ところが私が見たところ、無理に笑い、無理に食べ、内容の無い話をしているようだった。しかし一生そうしていけるのか?大変な事がもっと多く、毎日間違えながらも生きて行くのが人生だ。1人でどれほど心を病んだのだろうか?辛い心をどうやって癒したのだろうか?これほど大変で、いざ現場で大きな困難が近づくと、1人では解決ができなかった。それでも最後まで1人で上手くやろうとした。へこみそうだと、助けてくれと、手を伸ばす事が出来なかった。

別の青年は自分が活動している所で掃除をしなかった。韓国で暮らしていて、体を使う仕事をしていなかった為に、力を使う仕事は出来ないのかもしれないが、掃除は違う。支援活動家の基本、いや、人々が集まって暮らす場所で基本的にしなければならない仕事に関心がないというのは、深刻な事だ。他の人より自分のことが先だと考えるのだ。自分の物は一生懸命片付けるのに、他の人の物は後回しだ。何が自分の仕事なのかを綿密に計算して、そうじゃ無いことは己の事だと、なるべく受け入れないのだ。

二人とも、事故が起きたり、問題が起きたから帰国させたのではない。自分の居場所を見つけられずに、ひたすら人に押し付けた為だ。ここに居る事に意味がないから送り返したのだ。事故が起きる前に予防することが大切なのだと考えたのだ。何が彼等にとって手助けになるのか分からない。最後まで耐えさせて、経歴を残す方が良いのかも知れない。しかし、この機会に「自分は誰なんだ」ということをもう一度考えて見るのも、また良い機会だ。人生を長い目で見たら…。

自転車に乗れないミナと、天然なソダム

韓国の青年たちは、上手にやろうと言う。しかし、慣れないことばかりの場所でどうやって上手にやれるというのだろう?当たり前に出来ない事が多いだけじゃないのだ。更に他の韓国の青年2人を紹介する。ラオスで生き残った青年たちだ。ところがこの友人たちが生き残ったのは、優れているからではなく、不器用だからだ。特に上手な事など無いように見える青年たちだ。

ミナは本当に、出来ることが無いように見えた。韓国名は、イ・ジョンミンなのだが、ここではミナと呼んでいた。プディンデンに来て、3ヵ月居たのだが、はっきりと何をして帰って行ったのかは明確ではない。ところが人々がずっと覚えている。恋しがっている。青少年センターの職員たちだけでなく、村の人々、それだけではなく、たった1度だけ会って、一緒に酒を飲んだ村のおじいさん達までもがこう尋ねる。「ミナはいつ帰ってくるんだ?」

自転車に乗れないミナ、食べられない物が多いミナ、飲食も出来ないミナ、シャベルで土を掘ることは当然出来ない。ただ一つ上手なのは‘飾らない事’だ。ある日、ミナとセンターの職員のケオが市場へジャガイモを買いに行った。店のおばさんが、傷の沢山付いているジャガイモを沢山混ぜてくれるや否や、ミナが言った。「マンパラン チェプ ライライ(ジャガイモがとても痛い)」ミナは、ジャガイモが悪くなっていることを表現する為に、知っているラオ語を総動員した。その言葉を聞いた店のおばさんとケオが笑い転げた。ケオは、当然、センターへ帰ってから、この話を言いふらした。その後ろからミナを見た子供たちが「チェプ ライライ」と叫んだ。

ミナはヘタクソだと後ろ指を指される事を気にしていなかった。ただ、ありのままを見せようと思っていた。感じるままに行動した。最後まで美しい姿を残したい人。出来ない事が無いように振る舞う人。まるでラオスの人々が、食べられない物を食べているかのように軽蔑する人。目で食べ物を食べる人々が正常に見える世の中に、鈍感なミナがいた。そうは言っても、ミナに悩みが無かったのだろうか?ミナが私に聞いた。「子供たちは理解して上手に出来て、私は出来ることが何一つ無いのに、なぜ自分がここに居るのか分かりません。」私は答えた。「あなたが何かをする必要はありません。子供たちが何かできるようにする事が、あなたに出来る事です。」そして、ミナはそうやって暮らしていった。

もう一人の青年は、グッドネイバースで支援活動をするイ・ソダムだ。ソダムは、去る9月に1年の活動期間を終えたのだが、延長をしてまだラオスに居る。来年の2月に帰って大学に復学する予定だ。今は田舎町の現場に戻って生活しながら、ラオスの職員達と働いている。少し前にそこへ行き、再会したのだが、完全に村人と化していた。私がソダムにつけたあだ名が‘天然’。私の目にはそう見えた。素朴で謙遜しているからだろうか?しかし、そう見えるだけだ。一緒に働いているラオスのお兄さんたちの心をぎゅっと掴んでいる。どんな仕事もよく出来る、と。職員達がそう言う。ラオス語もとても流暢だ。

ソダムがワンウィエンに遊びに来た帰り道。バスターミナルに連れて行ってくれる車の中で、ソダムが私に尋ねた。「ワンウィエンにいらっしゃって、いつが一番幸せですか?」「さあ…一番幸せだって事は無いかな?流れていく川の水が一番幸せな時はいつかな?ただ流れているだけでしょう。たまに滝に出会うと痛いし、沢山曲がりくねって戻らないといけないとしたら、力も入るでしょう。それでも川の水の中に魚が十分に暮らし、川辺の木や草に水を与える時に幸せなんじゃないだろうか?」ソダムがこっくりと頷いた。今度は私がソダムに尋ねた。「なぜ1年間活動して、延長をしたの?」「ラオスが好きだからですよ。」「何が好きなの?」「ありのままがですよ…^^」彼女が、私の答えと同じ様に禅問答をした。

人情の常だ

7月末に忠南大学の学生たちが、村で生活をしに来た。5ヵ月の間、村の青年たちと一緒に勉強をし、走って遊んだ。村から帰って来た日、私は一緒に夕飯を食べながら、村を離れる日の雰囲気を聞いてみた。ある村は村全体が涙の海になったのだが、ある村はとてもぎこちない感じだったという。私が尋ねた。「その差はなんだろう?なぜそんなにまったく違う雰囲気になったんだろう?」学生たちは、きちんとした返事が出来なかった。学生たちと話をしながら、ふと人之常情が浮かび上がった。私が宿題を出した。「NAVERで人之常情がどんな意味なのかを調べてみて、自分が考える人之常情が何なのかを明日の朝までに宿題としてやって来なさい。」

辞書には、人之常情が“人間ならば誰しもが持っている当たり前の心”となっている。例えば、「哀れな人達に同情するのは人之常情ではないでしょうか?」「不安な気持ちの時、誰かに頼りたくなるのが人之常情だろう。」ところが韓国の学生たちはいつも、そうする事が出来なかったのだ。感じた事をありのままに表現出来ず、自分自身を放っておくことが出来なかった。そうする事と、出来なかった事との差が、村を離れる時に全く違う雰囲気を作り上げた。

ラオスの青年たちは、韓国の青年たちを尊重し、尊敬している。知識が多く、自分たちに教えてくれるからだ。ラオスという見知らぬ場所に来て、暮らしているからだ。豊かな韓国という国から来たからだ。ラオスの青年たちは、いつも韓国の青年たちを中心にして考えている。ところが、韓国の青年たちが中心に置いているのは自分だ。自分が、何かをしなければならないと考えるからだ。自身の動機と期待しか無い。ラオスの青年たちがなぜここに居るのか、そして何を望んでいるのかを多くは考えない。管理の見返りばかりを期待したり、評価しようとしている。

そんなだから、韓国の青年たちにとって学ぶことが非常に多い。現場ではそんなに役に立たない知識がいっぱいだ。現場は、ありのままの人々が暮らす所だ。頭の中にある数えきれない程の、国際開発の論議、謝礼、方向、目標。こういった事は大きな無駄だ。ミナとソダムのように、人々と上手に暮らせば良いのだ。

感受性を育てるラオス

私は、韓国の青年たちには‘感受性’が無いと思う。‘外の世界の刺激を受け入れて感じる性質’であるところの感受性が殆ど無い。自身をさらけ出そうという方法のワークショップやゲームを負担に感じているようだ。こうして自分自身を雁字搦めにしてしまい込んでいるというのに、どうやって一緒にいるラオスの人々が見えるというのだろうか?この人たちと心を分かちあえるのだろうか?

ある時、韓国で感受性を育てる訓練が流行したことがあった。現場は、特にラオスはこの訓練に非常に適切な場所だ。人々の感性が満ち溢れ、村がそのまま生きているためだ。韓国の青年たちがここで他人を眺められる眼と心を育ててくれたら嬉しい。刺激を受け入れて、感じる事のできる人間になってくれたら嬉しい。それで人目も気にせずに泣いたり、恥ずかしがれる青年になれたら嬉しい。理性だけでなく、感性の豊かな青年になったら更に嬉しい。

私が韓国を離れてラオスに来る時、チョハン・へジョン先生に「韓国にも青年たちとやる事が多いのに、なぜラオスにいくんだ?」と叱責されたと言った。直接お返事を差し上げることは出来なかったのだが、私の気持ちは「ここにも一緒に行動をして働く青年が沢山居ます。そして、ここは韓国の青年たちが疲れたらやって来て休む場所。人の暮らし方を教わる場所を作りたいんですよ。韓国の青年たちにはこんな場所が必要なのに、韓国にはこれ以上の場所は無いんですよ。」
私は、韓国の社会が少し精神を鍛えて、どこだろうと何をしようと、教わろうとする時にラオスが必要なんだろうと思う。韓国が失ってしまった、忘れてしまった物を探し、学ぼうと思ってラオスに来るだろうと予想する。今週、全南大キャンプが始まった。23名の青年たちが2つの村に分かれて行った。村にはすでにこの1年間一緒に勉強しながらチームワークを固めたラオスの青年たちがいるのだが、韓国の青年たちは1か月間この青年たちと喧嘩しては仲直りしながら生活する。私の考えをよく知っている全南大の引率者のユン・イル先生が笑いながら言った。「私たちは本当にお金を沢山出して感受性の訓練を受けに来ました。」

青年たちよ、韓国で大変な暮らしをして来ただろうけど、ここで温かい心、お互いに励ましあう気運を感じ合おう。私にはこの青年達を守る事は出来ないが、自らを守れるように手伝えるはずだ!また始めてみよう。

文: イ・ソンジェ/ODA Watch 実行委員、プディンデンの村人

翻訳:コリチーム(竹内未記)

原文(韓国語): 라오 이야기 4 – 한국 청년 감수성 키우기
http://www.odawatch.net/?mid=articlesth&category=27158&document_srl=39058

ラオスの話 (1) : 地元を守る若者たち
ラオスの話 (2) : だれが地域を守るのか? 世間の‘水’をちょっと飲んでみた若者たち
ラオスの話 (3) : ラオスを訪れる韓国人たち