6月 262014
 

ハンギョレ21
忘れないために彫らなくてはならない入れ墨
[イ・ミョンスのよき人:セウォル号市民アーカイブネットワークのキム・イッカン明知大学記録情報科学専門大学院長]
「最終目的は安山(アンサン)共同体の最小限の幸せ」

セウォル号トラウマに関して二度インタヴューした、心の癒し手チョン・ヘシンは残された人たちが経験することになるもっとも大きな苦痛は、忘れられることに対する恐怖だと述べた。どうにかして記憶を維持することが癒しの始まりだと彼女は強調した。心に刻み、呼びかけたとしても、忘れられないことにはならないだろう。記憶喪失症にかかった『メメント』(訳注:2000年制作のアメリカ映画)の主人公のように、忘れてはならないことをその都度自分の体に入れ墨することもできない。

記憶の維持が癒しの始まり

どうすれば忘れないでいられるか。その問題に頭を悩ませていたが、セウォル号の惨事に関する追慕記録を保存するための「セウォル号市民アーカイブネットワーク」(訳注:アーカイブは記録や資料を保存すること、または保存されたもの、保存機関のこと)が全羅南道のチンド(珍島)で活動していることを聞いた。そのネットワークのコントロールタワーにあたる記録専門家、キム・イッカン(金翼漢)明知大学記録情報科学専門大学院長に会った。私たちが珍島に行こうと思ったが、かれがソウルにやって来た。初めはこんなに長い日程になるとは思わなかったが、処理しなければならないことがあるので、着替えも用意してやって来たそうだ。三日分の着替えだけを持って修学旅行に出かけたのに、一ヶ月を過ぎても帰って来ない子どもたちや先生たちのことを思った。セウォル号の惨事とかかわりのある人たちは、いまやだれも元の暮らしに戻れない。人びとが生きながら水葬される生々しい光景を目撃した数千万の市民たちもセウォル号関係者だ。

キム・イッカン教授

そのときまでは明らかに生きていた、という文に関連した証拠資料や推論に接するたびに、体のどこかが崩れていく感じだ。傾いていく船の中でヘリコプターが出動した音を聞いた。ほっとしただろう。窓から人びとが救助されるようすも見えた。次は自分の番だと思ったが、すべてあてがはずれた。どれほどあわて、どれほど途方にくれただろうか。かれらは問うている。自分がなぜ死ぬのか、理由も分からないままこの世に別れを告げた。私たちはかれらに死の理由を知らせる義務がある。だから徹底した真相糾明が必要だ。

同時にひざまずいて亡くなった人たちに聞かせてあげなければならない。父母兄弟がどんなにかれらを愛し恋しがっているかを。私たちはどれほど申し訳なく思い、怒っているかを。かれらの残された父母兄弟を慰め保護するために、必死に努力し共感している人がどんなに多いかを。そうしなければ、かれらはこの世を去ることができない。それが哀悼だ。だから追慕記録を保存して共有することが重要なのだ。そういうわけで全国に散らばっている追悼記録をみんな集めて「セウォル号市民記録貯蔵所」を作るつもりだと言う金翼漢教授は、私には記録専門家というより心の癒し手のように感じられる。

―セウォル号市民アーカイブネットワークとは何ですか?
「セウォル号の惨事に関連したすべての記録を収集し、保管し、整理する市民記録団です。記録専門家たちで構成された諸団体がそれぞれ熱心に活動し、ある時点でネットワークを作って相乗効果を出そうというのです。」

―どんなことをするんですか?
「行方不明者の家族たちとボランティア、記者、警察、現場支援公務員などを対象に口述記録をとり、かれらが現場で撮影した携帯電話の写真や映像、活動日誌、メモなどを収集したり、寄贈を受けたりしています。ペンモク(彭木)港のテントに書かれた文をはじめ、黄色いリボン、メモなどはもちろん、記者たちの取材手帳も含まれます。セウォル号関連のローソクデモとか、ツイッター、フェイスブックなどのソーシャルネットワークサービス(SNS)に載ったセウォル号事故の記録も収集対象です。」

記録収集の意志がない国家

―そのようなことは本来国家がすべきでしょう?
「本来はそうでしょう。私たちもはじめは記録保存を手伝うボランティアをしようと思って、珍島に行ったんですよ。たとえばガラス窓にポストイットが貼ってあるでしょ。ポストイットひとつに込められた内容に意味があれば、それをはがしてくればいいのですが、その配列に意味がある場合が多いんですよ。そういう場合は、サイズが合った板にそのまま移して順序を残さなくてはなりません。その順序に意味があるからですよ。ところが公務員たちはそんな方法を知らないし、何をどう保存すればいいか計画するのも簡単ではないですからね。だから、記録専門家が行って適切な収集活動をした後、状況がおさまったら公共機関文書としてちゃんと保管するようにしようとしたんです。けれども、行ってみるとそういう状況ではなかったんです。記録のあり方がとても複雑で、思ったより専門的な取り扱いが必要なだけでなく、国家には関連資料を収集する考え自体がないんですよ。それでボランティアたちは、珍島郡の記録収集を手伝うことだけをして、「セウォル号市民アーカイブネットワーク」はそれとは別に動いているんです。」

―記録専門家たちの間では、政府に記録保存を任せることについて、早くからいろんな意見があったと聞きましたが?
「ええ、そうです。半分以上は政府の責任である惨事の記録をどうして政府に任せられますか。国家情報院に国家情報院の改革をしろと言うのと同じです。セウォル号を記憶し、セウォル号記録保存所を作ることは市民の役目です。われわれ市民たちがしなくては。政府に援助してもらう必要はありません。今度行って現場を見て、そういう気持ちが信念のように固まりました。」

―セウォル号関連の記録は二種類あると思います。ひとつは徹底した真相糾明のための正確な事実の記録で、もう一つは追慕記録でしょう。前者の記録がセウォル号の記録の骨と肉だとしたら、後者の方はそこに命を吹き込む血管のようなものではないかと思いますが?
市民アーカイブネットワークには真相調査に関した資料は入れないでしょう。私たちは「セウォル号市民記録貯蔵所」という名前をもう提案していますからね。そこにはセウォル号惨事に関わる美しい真実を入れなければと思っています。それとは別に、セウォル号に関する政府側の記録、いわば罪悪の記録ですね。それは完全に残しておかなければなりません。そこで必ず守らなければならないのは、リライアビリティ(Reliability)、記録学では「信頼性」と言いますが、自分の行動をありのままに記録し、それを変更することなく保存しなくてはなりません。審判はわれわれがするということです。ところがもう破棄したり歪曲したりした事実が明らかになっています。市民と専門家と政府の一部が一緒になった真相糾明機構を通じて、公共記録を対象にして真相を明らかにしなくてはなりません。」

―市民アーカイブネットワークで収集する記録の究極の目標は何ですか?
「忘れられないようにすることです。私が珍島に行った最初の日、行方不明者の家族たちはとても心細く不安だという感じを受けました。ああ、この方たちを心細くさせていてはいけないと思いました。この方たちがいちばん恐れているのは、結局忘れられることだというのは、私が現場で確実にわかったことです。積極的に記録してこの記憶を市民たちが共有するようにして、その記録を展示して忘れられないようにしなくてはなりません。それをしなければ、この方たちに対して罪を償うすべがないと思ったのです。」

社会的記憶になる人びとの美しさ

彼と私は同時に胸が詰まった。その罪責感とはどういうものか、同級生だけが知っている高校の担任の先生のあだ名のように、すぐ理解できた。初対面の50代半ばの男ふたりが、きまりが悪いとも思わず一緒に泣いた。

―それが「社会的記憶」というものですね?
「そうです。絶望と悲しみの記録ですが、互いに共有して次の世代に伝えつつ、心の傷を癒し、改善策を探していけば、それが社会的記憶になります。社会的記憶は、客観的記録と多様な個人の経験値が結合して形成されると見ることができます。私たちも、セウォル号の一連の過程で経験したことが、社会的記憶になるようにしていきます。それが何なのか、いまは正確にはわかりませんが、人びとの美しさがセウォル号の社会的記憶になるだろうと、私は確信しています。」

―どうしてそう思われるのですか?
「たとえばボランティアたちが撮った写真と映像を収集しましたが、不思議なことに行方不明者の家族を撮った写真は一枚もないんですよ。わけを尋ねると、申し訳なくて…家族を撮ることができなかったと言うんですね。」

もう一度胸が詰まった。それが本質なんだなあ。そのような配慮が記録されなくてはならないんだなあ。ティッシュペーパーを取ってしばらく黙っていた彼がまた話を続けた。

「証言となる口述記録をたくさん取ってくれた珍島出身のボランティアが、漁民の話をしてくれました。流れ出た遺体がないかと船に乗って捜索に当たったため、経済的活動ができなくて損失がとても大きいじゃないですか。いま珍島の郡民たちもそうなんですよ。けれども、村の人びとが一緒に暮らしの心配をしていて、そんな話をする自分たちをとても恥ずかしがっているそうです。もちろん例外的な場合だと言う人もあるでしょうが、私が見たところではそれが実態ですよ。それを記録しなければね。私はいびきがひどいんですよ。それで体育館の二階で寝ると邪魔になるかと思って、外にあるテントで寝ました。毛布を3枚ぐらい重ねて寝ましたが、すごく寒かったんです。朝起きて、げっそりしてご飯を食べに行ったら、ボランティアのある方が、それでは我慢できないでしょう、と心配してくれたんです。その夜、またテントで寝ようとしたら、体育館の2階にマットレスを敷いて寝床を用意してくれてあったんです。その方はボランティアの中で一番忙しい方でした。しなくてはならないことが多くて。それなのに、まだ来て一日にしかならない私にまでそんな配慮をしてくれるんです。私もこれまで誰かを手伝ったこともあります。しかし、これは完全に次元が違う経験です。セウォル号以前とは違う暮らしを生きているんだな、と予感しました。」

「心」がアーカイブの核心

彼は、青銅の鏡をきれいに磨いて自分の顔を映してみる人のように、個人的な領域だけではなく、自分の専攻分野に関してもしきりに懺悔の告白をした。自然なことだ。その気持ちが分からないことがあろうか。どうして分からずにいられるか。

―セウォル号の記録は他の現場記録とは違いがありますか?
「あります。三つほどに要約しましょう。まず、記録化作業では、一番中心になる被害者家族を省いているということです。今はあの方々に近づくことさえ申し訳ないですから。エキスを除いた記録化をするという点で、ほかの領域のアーカイビングとは違う経験です。二つ目には、現場で感じる記録化対象の領域がとても広いです。ほかの事件に比べて、記録しなければならない主体の種類がとても多いということです。人びとの気持ちもその対象です。私の立場でもこれほどの規模の記録化対象に接したのは、初めてです。三つ目は、これまでは主に紙、文書などが記録化の対象でしたが、今度は紙ではなくいろいろな形態の記録物を集めるしかありません。口述記録が重要なようです。段階的にそれらすべてを記録してはじめて、セウォル号惨事の真実がきちんと明らかになるでしょう。セウォル号の惨事は朝鮮戦争に次ぐトラウマだということを珍島に来て、いっそう実感しています。」

― 正祖(ジョンジョ)が父、思悼世子(サドセジャ)の墓に行幸しておこなった8日間の祝祭を精密に描写した8巻の儀軌は、記録文化の極みだと評価されていると聞いています(訳注:儀軌とは、王室の行事などを文と絵で記録したもの)。見えるとおりに描いていて、王よりも民衆を大きく描く遠近法が画期的でした。お話を聞いていると、セウォル号アーカイブも韓国記録文化にとってひとつの転換点になるだろうと思えます。
「そうですね。私たちの記録管理の分野でも、セウォル号を契機にして方法の変化をよく考えてみるといいと思います。私は、セウォル号の記録の核心は惨事そのものを再現することではないと思っています。惨事の過程と結果に関する人びとの気持ちが、セウォル号アーカイビングの核心ですよ。また美しく純粋な気持ちを抑えている構造に対するアーカイビングになるはずです。これまで使われてきた平面的な方法では、セウォル号惨事の中で発見したさまざまな姿を描くには限界があると切実に感じています。今度のセウォル号市民アーカイブネットワークの領域も、一次的には京畿道安山共同体の構成員たちが最小限の幸福感を感じるときまで、アーカイブという機会によって、寄与しなければならないと思います。場合によっては、アーカイブをおこなわなくてもいいと思います。最終目的は安山共同体の構成員たちの最小限の幸せだと見ています。」

正祖時代の遠近法のように、新しい変化が始まる歴史の現場に立っている感じ。セウォル号以前とまったく異なる、もっと深く清らかな記録の世界が広がることを願う。その世界が、人々がセウォル号を忘れないようにする上で、決定的な助けになるだろう。私はそう信じている。

―セウォル号アーカイブと関連して、今後どんな計画がありますか?
「市民の力でしたいことが二つあります。ペンモク港の駐車場の後ろにある丘を造成して引揚げられたセウォル号の船体をその上に載せて芸術的作業を加え、子どもたちを悼むシンボルを作るといいでしょう。そして南から北に向かう船も北から南に行く舟も、ペンモク港のそばを通るときには、必ずそのシンボルの前で船長が三度汽笛を鳴らすようにすることです。その次には、早い時期に安山に愛に満ちたセウォル号市民記録貯蔵所を作ることです。ペンモク港のシンボルは一旦作った後は、基本的な維持・補修をするぐらいでしょうが、安山アーカイブは市民たちとともに引き続き記録をアップデートしつつ、生きて息づく空間にしなくてはと思います。アーカイブが完成するのは5年後になるか、10年後になるか分かりません。」

愛に満ちた記録貯蔵所になること

彼の希望が実現することを切に願い、また願う。ペンモク港を通るどの船も、責任感がある船長が鳴らす三度の汽笛をかすかに聞いたような気がして、胸が熱くなった。その音が忘れるなという三度の低い叫びであることを誰も忘れないだろう。忘れられないだろう。どうして忘れられようか。一つ一つがこのような記憶なのだから。

「母さんの足指の匂い 父さんの足指の匂い あなた、足の裏に幼いわたしの足の裏を当てて笑ったことがあったっけ 草原を過ぎ石ころだらけの坂道を過ぎて 靴を枕にして寝そべれば 首の後ろに満ちてくる 先に逝った靴たちの 低い声」 
ユ・ジョンイン「靴を枕に」

セウォル号市民記録貯蔵所には、このような記憶が満ち溢れるだろう。ひとつの巨大な惨事ではなく、みな「靴を枕に」のようだったセウォル号に関係した人たち一人ひとりに集中すれば忘れない。生きていく上では忘れないことが誰にとっても大きな慰めであり、勇気であり、希望であると同時に、正義だ。あなたにとっても、わたしにとっても。

審理企画者:イ・ミョンス  録音:ナ・ヘリ  

原文(韓国語): 한겨레21: 잊지 않기 위해 새겨야 할 문신
http://h21.hani.co.kr/arti/society/society_general/37129.html

翻訳:コリチーム(波多野淑子)