10月 242014
 

【はじめに】
 韓国で6月4日、4年に1度の統一地方選が実施された。朴槿恵(パク・クネ)政権が2013年2月に発足した後に行われた初の大型選挙とあって、選挙結果は政権の「中間評価」となる。韓国では大いに注目された。
 結果は異例だった。開票作業が一部で5日未明までもつれ込む接戦となったが、同日朝、韓国メディアは一斉に「ムスンブ(無勝負)」と報じた。ムスンブとは「引き分け」を意味する韓国語。実際、政権与党のセヌリ党、最大野党の新政治民主連合(以下、新政治連)のいずれの政党も、勝利や敗北を宣言せず、いつもの選挙のように、敗北の責任を取って辞任する党幹部も現れなかった。
 そもそも今回の選挙の直前、韓国では痛ましい旅客船の沈没事故が起きて政権批判が高まったため、野党側にとっては有利な状況となったはずだった。にもかかわらず、なぜ「引き分け」に終わったのだろうか。選挙戦を振り返ってみたい。

【「セウォル号」で与党が不利に】
 4月16日午前、韓国南西部の珍島(チンド)沖で、済州島行きの旅客船「セウォル号」が沈没し、修学旅行中の高校生ら304人が死亡・行方不明となる惨事が起きた。私も発生翌日から珍島入りして、行方不明者家族らが待機する体育館などで取材した。そこでは、潜水士による船内捜索が進まない中、家族の焦りが朴政権への怒りとなって爆発していくのを目の当たりにした。
 事故では当初、「高校生は全員無事」との誤報が流れ、行方不明者の家族たちは安堵から絶望に突き落とされていた。その後も政府の行方不明者数の発表は二転三転し、事故原因については、船長らが乗客を見捨てて逃げたことや、運行会社や監督官庁の安全管理がずさんだったことも判明し、韓国社会にショックを与えた。体育館を訪れた朴大統領は罵声を浴びせられ、国務総理は水の入ったペットボトルを投げつけられた。
 沈没事故が起きたのは、統一地方選の投開票の1か月半前のことだ。当然、選挙戦にも大きな影響を与えた。
 沈没事故までは与党セヌリ党が「楽勝」するとの観測まで出ていた。理由は朴大統領の高い支持率だ。世論調査機関・韓国ギャラップによると、就任1年を過ぎた3月上旬の支持率は約60%。同じ時期の李明博(イ・ミョンバク)前大統領の支持率が約30%だったのに比べてみると、いかに高かったかがわかる。
 ここ数年の韓国の選挙では、与野党は給食の無料化や大学授業料の減免、老人年金の増額などの「福祉」や「暮らし」に重点を置いた政策で競い合ってきた。だが、大統領選後にこうした政策論争は一段落つき、今回は「争点なき選挙」とも呼ばれていた。沈没事故までの野党側は、朴大統領やセヌリ党を攻撃する材料を探しあぐねている状態だった。
 沈没事故後、朴大統領の支持率が目に見えて下がり始め、40%台にまで落ち込んだ。これに合わせ、各選挙区の情勢も、セヌリ党候補が軒並み不利になった。
 影響をまもとに受けたのは、ソウル市長選だった。3月現在では、新政治連の現職・朴元淳(パク・ウォンスン)市長と、セヌリ党から出馬を表明した元国際サッカー連盟(FIFA)副会長で、知名度抜群の鄭夢準(チョン・モンジュン)氏は支持率でほぼ互角だったが、事故を機に朴市長が大きくリード。鄭氏は、息子がフェイスブックに「国民が未発達だから、国家も未発達だ」と行方不明者家族を批判するような書き込みを行っていたこともわかり、ますます劣勢となった。公式選挙戦に突入した後の鄭氏は、「ソウル市では農薬混じりの給食が出されている」「地下鉄内の空気が悪い」と朴市長を攻撃したが、有権者の目には「悪あがき」としか映らなかったようだ。最大の注目区であるソウル市長選は、実りある政策論争を行わないまま、勝敗が決してしまったと言えよう。

【与野党とも「安全」をアピール】
 「災害救助に関わる消防士を増やす」「通勤バスの車内の環境改善を」「老朽化した原発は廃止すべきだ」――。沈没事故がきっかけで、与野党の候補は「安全」をテーマにした公約をひねり出して、競い始めた。
 この時期に印象に残っているのは、沈没事故で、韓国社会全体が「我々は経済成長を優先するあまり、安全をおろそかにしてきた」と自らを責め、苦しんでいたことだ。
 ソウルの市庁舎前にも、犠牲者追悼のための記帳所が設けられ、市民の長蛇の列が続いた。壁面の横断幕に大書された文字は、「ミアナムニダ(ごめんなさい)」。亡くなった子どもたちに対して、大人がみんなで平謝りする。韓国全体が、そんな自己反省の雰囲気に満ちていた。
 ここで韓国政治の流れを理解するためにも、「統一地方選とは何か」について、おさらいしておきたい。
 統一地方選は今回が6回目。朴大統領の父親の朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領が1960年の軍事クーデターで実権を掌握した後、韓国では地方自治制が廃止。このため、初の統一地方選は民主化後の1995年にようやく実施され、以降は4年ごと(98年の第2回のみ3年後)に行われてきた。今回は、ソウルなど8大都市と日本の県に当たる9道の市長・知事や、一般の市の議員など、全国で計3952人を一斉に選出した。
 ポイントは、5年ごとの大統領選と実施時期にズレが生じることだ。このため、過去の統一地方選も、政権の「中間評価」や「大統領選の前哨戦」と呼ばれ、総選挙並みに注目されてきた。
 前回、李明博政権の発足2年後である2010年に行われた第5回統一地方選も政権の「中間評価」と位置づけられたが、当時も沈没事故が起き、これが原因で与党ハンナラ党(現セヌリ党)が予想外の大敗を喫した。
 選挙の約2か月前に、韓国海軍の哨戒艦「天安」が黄海で爆発して沈没する事故が発生し、その後の調査で、北朝鮮による魚雷攻撃を受けたことが判明。李政権は、北朝鮮に強い姿勢を打ち出して、「安保」の強化を訴えたが、「子どもたちが戦争に巻き込まれる」と不安に感じた有権者が野党票に流れたと分析されている。

【頼みは「選挙の女王」】
 選挙前の最後の日曜日となった6月1日、ソウル駅前。全国の主要自治体の首長選に立候補したセヌリ党候補ら約10人が横一列にひざまずき、地面に頭を近づける韓国式のお辞儀をして、通行人らの目を引いた。
 「クンジョル」と呼ばれるこのお辞儀は、本来は祖先や目上の人への敬意を表現するものだが、この日のクンジョルはまさに日本式の土下座。現場で取材していた私にも、「なりふりなんて構っていられない」との切迫感が伝わってきた。
 候補らの演説にも驚かされた。代表して声明を読み上げた、京畿道知事候補の南景弼(ナム・ギョンピル)氏は「罪人になった気持ちで、朴大統領と国家改造に取り組む」と叫んだ。ほかの候補たちも「朴政権を助ける」と口をそろえた。セヌリ党が最終盤ですがりついたのは朴大統領だった。
 セヌリ党はこの数日前から、朴大統領を前面に押し立てる作戦に出ていた。「安全」に関わる公約をいくら掲げても、劣勢を挽回できないと考えた末の戦術だった。
 陰りの出た朴大統領の支持率に「下げ止まり」の傾向も見えていた。朴大統領は沈没事故から1か月が過ぎた5月19日、「国民向け談話」を発表した。事故に対処できなかった最終責任は「大統領である私にある」と重ねて謝罪し、海洋警察庁の解体などの大幅な官僚機構改革を行うと表明。最後に、自らの命を犠牲にして他の乗客を助けた高校生らの名前を1人ずつ読み上げた際、涙を流した。
 「氷の女王」とも呼ばれ、就任後に人前で涙を見せたことのない大統領が、テレビ各局が生中継する中で見せた涙。韓国メディアにも驚きを持って報じられた。セヌリ党は「朴槿恵」の名を連呼し、保守層、もしくは朴槿恵ファンの結集を図ろうとしたのだ。
 そもそも、沈没事故で低迷したといっても、朴大統領の支持率は40%台だ。朴大統領のコアな支持層は50歳代以上の中高年層で、韓国では「コンクリート支持層」とも呼ばれる。この世代は、奇跡の経済発展を成し遂げた朴大統領の父・朴正熙元大統領の時代を懐かしがり、何が起ころうとも朴大統領を応援し続ける人たちだ、と評される。選挙直前、ある専門家は、「コンクリート支持層が世代交代で全員死なない限り、朴大統領の支持率はこれよりは下がらず、セヌリ党も大敗することはない」と断定してみせた。
 朴大統領は国会議員時代、難しい選挙を率いて勝ち抜いており、「選挙の女王」の異名を持つことでも知られる。2006年の統一地方選では、野党だったハンナラ党代表として遊説途中、暴漢にカッターナイフで右ほおを切られて重傷を負い、「同情票」を集めて勝利。2012年総選挙では惨敗も予想されたが、当時の李明博大統領に距離を置く姿勢を強調し、国会の過半数議席をキープしてきたからだ。

【勝敗つかず】
 全国17の主な市長・道知事選の選挙結果は、セヌリ党の勝利が8か所、新政治連が9か所。数だけ見れば、新政治連が上回ったようにもみえるが、セヌリ党が沈没事故という劣勢ムードの中でも8か所を死守した、と見る方が妥当だ。
 特に、与野党が最大の勝負所としていた首都圏(ソウル市、仁川市、京畿道)に注目すれば、セヌリ党の善戦ぶりは明らかだ。
 ソウル市でこそ新政治連現職の朴元淳市長が危なげなく再選を果たしたものの、仁川市では、朴大統領の側近として知られるセヌリ党の劉正福(ユ・ジョンボク)前行政安全相が事前の劣勢を覆し、新政治連の現職を下した。劉氏は、大統領府とのパイプの太さを強調し、まさに朴大統領のおかげで勝利をもぎ取った。
 京畿道は、道内には沈没事故で多くの生徒が犠牲になった高校があることもあり、新政治連候補が追い上げたものの、49歳の若さながら国会議員に5選したセヌリ党の南景弼氏が逃げ切った。
 韓国第2の都市、釜山市長選では野党側が統一候補を立て、初めての野党系市長誕生かと注目された。だが、朴大統領の側近として知られるセヌリ党の徐秉洙(ソ・ビョンス)氏が、街頭演説で朴大統領が涙を流す写真を掲げてアピールし、辛勝した。
 このように見れば、結局、野党側は朴大統領ひとりに撃破された、とも言えなくもない。だが、沈没事故後の状況を生かし切れなかったことも大きい。
 2012年12月の大統領選で、民主統合党(当時)の文在寅(ムン・ジェイン)氏が朴大統領に競り負けてから、野党側はまったく精彩を欠いてきた。同党は2013年5月、民主党に党名を変更し、今年3月には、大統領選で台風の目として注目され、土壇場で文氏に野党統一候補の座を譲った安哲秀(アン・チョルス)氏の勢力と新政治民主連合を結成し、「次期大統領選で政権交代を成し遂げる」と高らかと宣言した。
 ただ、新政治連は、結成時こそ支持率31%を記録したものの、統一地方選まで20%台に低迷し、40%台のセヌリ党に大きく離されてしまった。支持率低迷にあえいだ大きな理由は、既得権層を批判して「新しい政治」を掲げ、若者ら無党派層の圧倒的な支持を得ていた安氏が、民主党と合併したとたん、「既得権層」入りしたとみなされ、支持者が離れていったことだろう。
 今回選挙では、野党勢力の「聖地」といえる光州市長選で、新政治連の公認候補に安氏に近い新人を指名し、立候補を表明していた現職市長が反発して離党、対立候補として出馬する騒ぎもあった。安氏は自らの影響下にある人物を登用し、新政治連内での勢力を築かねばならないが、党内の他の勢力にけん制され、これをメディアが書き立てる。党内の主導権争いが招いた「内紛」のイメージばかりが先行していたように思える。
 選挙の最中、新政治連の関係者からは、「『安全』でセヌリ党を攻撃しても、ブーメランのように自分にも返ってくる」と警戒する声が上がっていた。韓国社会が「安全」というものを置き去りにしてきたのなら、それは朴政権や与党セヌリ党だけの責任ではない。そうした社会や政治のシステムを作った責任は野党側にもあるからだ。

【おわりに】
 統一地方選から2か月近くがたった7月30日、韓国では国会議員の再・補欠選挙が全国15の小選挙区で実施された。今度は与党セヌリ党が、11議席を獲得して圧勝した。首都圏の6議席のうち5議席を確保したほか、新政治連の地盤である全羅南道でも、保守政党としては民主化以来初めて議席を獲得。朴大統領の支持率は依然として40%台に低迷しており、「予想外の圧勝」(聯合ニュース)だったと言える。
 この選挙でも新政治連が自滅した感が強い。またもや公認候補選出での内紛が大きなニュースとなり、選挙中は沈没事故にからめて朴政権の「審判」ばかりを訴えた。これに対し、セヌリ党は経済再生など前向きなメッセージを前面に押し出した。新政治連の安哲秀、金ハンギルの2人の共同代表は、選挙翌日に引責辞任した。
 結局、朴政権批判に終始し、党内の主導権争いばかりが目立つ新政治連に、韓国の有権者は「責任野党」の姿を見い出せずにノーを突きつけたと言えるだろう。韓国の次回の大型選挙は2016年春の総選挙までない。国会での与党優勢が固定化するなかで、今後は野党内の再編が加速していくとみられる。

文: 中川孝之 / 読売新聞ソウル特派員