10月 242014
 

ラオスの話(7)   垂直の人生から水平の人生へ

ミャンマーへ旅行に行って来た。韓国でおよそ20年暮らし、故郷へ帰ったマウンジョさんに会いに行った。彼は韓国で難民として暮らしたが、難民の地位を諦め、自身の故郷であるミャンマーで己のやるべき事があると言って帰って行った。民主化運動をして韓国へ来た為に、ミャンマーへ帰ったら何かあるのではないかと、多くの人が心配をした。しかし2か月ほど経った今、彼はとても上手く適応し、己のやるべき事をやっていた。表情も良く、元気そうにみえた。故郷の水が合っているという事のようだ。

ミャンマーといえば、黄金の仏像、イギリスの植民地、軍事独裁、アウンサン・スーチー女史などがまず思い浮かぶ。長い隠遁の歳月を終えて、まさに世界へ向けて扉を開き変化を始めたミャンマーを振り返ると、まるで人々が乾季の真っ只中にいるようだった。開かれた世界に対する渇きと言うべきだろうか?どのようにミャンマーが、ミャンマーの人々がこの渇きに耐えられるのだろうか?地方へ行って見たら、人々はヤシの木に似せて作った“タンッピン”の木から採取した、マッコリに似た“タンヤ”を飲みながら喉を潤していた。ところが乾季に喉を潤すのは、タンヤよりも通りのあちらこちらに置かれている水甕のおかげだ。どこへ行っても1,2個の、あるいは3,4個の水甕が、それぞれ異なる姿で、道を行く彼等へ水をプレゼントする。誰でも思い切り水を飲めるのだが、人々に尋ねて見たところ、古くからの伝統だという。

今、ミャンマーはすごい速さで変化している。変化は良い表情と険悪な表情を同時に突き付けている。物価が上がり人々の生活が厳しくなるばかりだ。すでに地価は天にも昇るほど高い。それでも私は、この水甕を見て、ミャンマーの人々が現在の貧困を賢明に乗り越えていくだろうと予感した。こうしてお互いに分け合う心がある限り、お互いを慈しみながら暮らして行けるだろう。前号のラオの話でも、ラオの人たちがお互いに面倒を見て、思いやりながら暮らしている話をした。今回も人々の暮らす話をもう少ししてみよう。

年齢は重要じゃないですよ

韓国の大学生が集まった。海外支援活動に行ったという。円になって座り、紹介を始めた。色々と自分自身について話しながら‘年齢’を明かすのは必須事項だ。年齢を明かすという注文が無かったにもかかわらずだ。そうしてずっと回りながら紹介をして、年齢を確認したら、いわゆる‘序列’が決まっていった。それ以降は年長者が若い人へは敬語を使わず、お使いもさせた。こうした雰囲気になったら、グループ内での水平的な意思疎通はもう図れなかった。討論なんて不可能だ。年長者が話せば、それがまさに法であり、規則になる。

韓国の若者たちが年齢に敏感なので‘○○○○年の早生まれ’という、おかしな年齢もある。誕生日が1~2月なので、学校へ早く入学して、前の学年になろうとする。1歳でも多く取らせようとしているのだ。韓国人はこうしてまで細かく序列を決める。人々の間で喧嘩がおきると‘お前ちょっと住民証見せてみろ’と言う。街で軽い接触事故が起きて、どちらが悪いかで喧嘩になるのが代表的な例だ。どちらか一方が言葉につまると(相手が自分より年齢が若いこと推定して)すぐ“お前、いくつだ?”と言うのが普通だ。さらに相手の年齢がとても若い事が確認されると、決まって言う言葉がある。“○○は乳臭い奴だ!”

ラオでは韓国のように年齢に敏感ではない。大人を敬うが、目上の人の前でも臆することはない。単に、年齢を尊重するだけだ。“年代が上手く混じり合っていない私たちの国とは違い、この地では老若男女問わず1つに混ざり合って祭りを楽しみ、各々気分のままに体を揺らし、運動音痴な韓国人も気にせず楽しく遊ぶ事が出来る。”韓国の支援活動家ペ・ヘジョンさんが、行って来た村の祭りの風景を思いだしながら熱く語った。

格差の無い飲み会

私が韓国で大学に通っていた時にしても、家柄や出身に関係なく誰でも友達になり、一緒に酒も飲んだ。友人の中には農夫の息子も、国会議員の息子も、会社員の娘もいた。互いの両親の職業が何なのか良く知らないし、大して関心も無かった。ところがいつからか雰囲気が変わり始め、現在では以前のように身分や格差に関係なく一緒に酒を飲んだりしないというのだ。お互いを区分して、交わらないのだ。

現在のラオスの酒の文化は、昔の韓国と似ている。職業、身分、民族、年齢に大きく関係なく一緒に酒を飲む。タバコも目上の人と一緒に吸う。私が暮らしているヨング農場の、一番親しい飲み友達は’レー(Lae)’だ。職業は大工なのだが、街の工事をして、私たちの農場の仕事も任されている。農場に来る韓国のお客さんもそこそこ知っている位、レーは私たちとよく飲んでいる。レーだけでは無い。トン、アム、ポンも飲み会の重要なメンバーだ。彼らは農夫や建築の仕事をしている。2か月に1度の大きな飲み会では、この友人たちが欠かせない。

酒だけでは無く、食事も特に気にせずに一緒に食べる。時々ワークキャンプや支援活動のプログラム運営等の為に車を貸し切る場合があるのだが、食事の時になると、運転手も当然のごとく同じテーブルで食事をする。特に気兼ねもせず、自らの主人意識(?)がある。仕事をする時も端っこで眺めているだけでなく、一緒に仕事を手伝っている。ワンウィエン(Vangvieng)からトゥクトゥクを運転する‘ホン(Hong)’私たちはホンの常連客だ。最初は仕事で出会ったのだが、今では友達同士になった。一緒に遊びに行ったりもしたし、飲み会にお互いを招待もした。先日の村の宴の際にはホンの家へ行き、一日中たっぷりと食べて遊んだ。韓国で、仕事で出会ったバスの運転手と友達になる人がどれだけいるだろうか?

体裁の違う人々

ある韓国の若者と、ラオの結婚制度について話をした。

“ラオは韓国よりも離婚率が思いがけず高い。”“そうなんですか?だとしたら社会的に何か問題があるのでしょうか?”“いや、そうじゃない。比較的簡単に離婚をするからなんだ。”“本当ですか?”“人の視線を大きく意識しないからだ。離婚すると、失敗したという認識ととらえる韓国とは全く違うだろう。”“それはとても大きく違いますね。”

韓国で離婚とは絶対の禁忌だった。現在では少しずつ変わってきているが、一時は女性の実家の両親は離婚したら家の恥さらしだから、絶対にダメだと言った。離婚したとしても家には行けないから、そのまま婚家の霊になれと言った。

韓国は体裁が非常に重要だ。他人が私をどう思っているのかが個人の人生に大きな影響を及ぼす。人の様子を窺う事は、身だしなみに注意させる良い一面もある。しかしいつも自身の考えよりもっと、人の目を意識して重要視する事は、少し行き過ぎではないだろうか?
韓国は、差し出がましく、よく人の仕事にも干渉する。だから若者達は、自身のしたい仕事が出来ない。両親が家の体裁を取り上げながら人の目に見合うような(?)仕事をするように、要求する。体裁とは何だろうか?

国語辞典で体裁とは‘人に対するにやましくない道理や顔’と出てくる。ラオスにも体裁があるけれど、韓国とは意味合いが少し異なる。ラオスでその道理を尽くそうとすると、貧しい人を助けなければならず、家をしっかりと導かなければならず、欲をかいてはならない。欲をかくと人々に後ろ指を指される。このように、どこでも体裁は重要だが、無用な体裁を繕っていない。人の体裁は見るが、金の体裁は見ない。

私は時々早朝、ワンウィエン市内にある市場へ行く。人々と挨拶を交わすのだ。挨拶をする沢山の‘おばさま’方は、学校の先生達だ。先生達は畑で育てた野菜や、家で作ったおかずを朝市へ売りに来る。せっせと商品を売り、時間になったら学校へ行く。平凡な日常生活だ。韓国の先生たちはどうだろうか?‘くそ…恥をかかせて…どうして教師が市場で野菜を売るんだ?体裁があるだろう。’何の体裁だろうか?誰に対する体裁だろうか?なぜ先生は市場で商売をしたらいけないのだ?

同じ、だけれど違う

少し前に首都ワンウィエンを訪れた際、非常に新しい経験をした。タイ‐ラオの国境でビザを受け、市内に来るバスの中。私は席が空いておらず、通路に立っていた。車掌が運賃を集め始め、私の前に座っている女性がお金を差し出したのだが、何だか少し違和感を覚えた。詳しく見ていると、右手の親指が2本だ。いわゆる‘六指’だ。その手で運賃を差出し、水差しも握っていた。手を覆い隠す事無く堂々と出しているのだ。韓国ではまず見られない風景だ。

後程例を挙げるが、韓国のある民間団体が支援しているラオスのある村には、手の指が六本だったり、足の指が六本の子供が多かった。手の指先は六本でも生活出来るので大きく不便な点は無いが、足の指が六本あると靴を履くのに苦労する。それでこの団体が手術をしてあげようとしたのだが、村人たちが断ったのだという。足の指が六本あるという事は福を授かるという事なのに、こうして手術をして無くしてしまうのかと聞かれ、そうする事が出来なかったと言っていた。嗚呼、本当に違うな~~。

翌日、家へ行こうとワンウィエンへ行く市街バスへ乗った。ワンウィエンを経て、カシー(Kasi)という場所まで行くバスなのだが、そこに何か仕事があるのか、バスには人が一杯だった。バスが出発して市内を抜けて行ってもところどころ止まってお客さんを乗せていた。中間で新たに乗った男性が、席が無く私の横の平らな場所に置かれていた袋に座った。バスが揺れるたびにその男性の身体も一緒に揺れるのだが、姿勢が少し不安だ。よく見てみると、右手が少しおかしかった。右手の2本の指を糸で縫い合わせてあったのだが、完全に切り取られた人差し指と中指の二本を糸で縫ったのがあらわに見えていた。指先を包みもせず、そのまま素手で通っていた。私は見た瞬間、むごくて目を見開いた。ところがラオの人々は全く意に介さず、むしろ言葉をかけていた。‘どうして怪我したの?どうやって治療した?’私は心の中で感嘆した。やはりラオの人々は‘クール’だ。

韓国だったらどうだろうか?もしや‘見たくない。隠して来い’と話さないだろうか?嫌悪感を抱いたような事を言うかも知れない。ラオの人々が面白がる言葉がある。‘クッカン テ タンッカン’。同じだがお互いに違うという意味だ。自分と違うからと人を無視せず、干渉しないのだ。その為だろうか、私はラオの人々が酒を飲んで喧嘩するのを見たことが無い。時々酒の席で声が大きくうるさいことはあるが、喧嘩ではなく、楽しいからそうなるのだ。自分と違うことに寛大だ。もしかして多民族国家ゆえにそうなのだろうか?韓国は単一民族だから、そうやって自分と違う人を押しやるのだろうか?

百姓を尊ぶ

韓国で‘農業は国の根本’はすでにかなり昔の話となってしまった。農業に対する人々の関心は完全に平らだ。ピカピカの携帯電話と自動車を輸出すれば豊かになり、新しい情報にいち早く適応しなければならない今の世の中において百姓はぞんざいに扱われる存在となった。

ラオスでは、農業をする事を大切に考える自分が食べて生きる米を自らで耕す事に、大きな自負心を抱いている。農繁期に人々に会うと、農業の話から始まる。‘田植えは終わったのか?何の種を植えたんだ?今年の追水はどれくらいやった?’私も村へ行くと村の人たちに農業についてよく尋ねる方だ。どれだけ農業を行うかによって、その家の生活事情を推測できる。

家族が食べても米が残り、市場で売ったら、多少豊かに暮らす事が出来るラオの人々は基本的には皆、農夫だ。だから職業を持っている人も、韓国式に表現すると、大部分はTwo-job,Three-jobだ。教師、公務員、会社員は、田植え時期の7月と追水時期の11月にはサボるのだ。韓国の人達が見たら情けない事だ。‘何、先生が授業を放って農作業しに行くって?’とても悪い人間だと考えるだろう。しかし、そこの実情を知らずにする話だ。私が見るからには、こうして各自が農業をする事が人と社会を安定させる道だ。人から給料を貰うが、自分が食べる物は自分で作るのだ。だから人生に自負心がある。度胸が付くのだ。ヨング農場でも米作りをしている。人々は韓国人のヨングがラオスで農業をする事を大変素晴らしいと見た。‘外国人が農業して暮らすだって?’人々に会うと自由に農業の話から始まり、賞賛を送る。‘ヨングは偉いね~~’

プディンデンセンターには組織図が無い

プディンデン青少年センターには職員が6名いるのだが、職責が無く、皆が同じ職員だ。以前に職員達の中の何名かずつ回りながら1,2ケ月ずつ代表職員を任せる制度をやって見たのだが、今はやめてしまった。センターには代表もいないし、大人もいないが、青年たちが自分たちで運営している。センターを利用する青少年たちも会員制だったり特別な組織が無い。だから別途に組織図が無いのだ。

私が会社で働いている時、毎年国際青年野営(IYC)という大規模なキャンプを開催していた。キャンプの資料集を作成しながら私は、一般的に使われていた組織図を垂直から水平に変えた。組織図の一番上にキャンプディレクターが居るのでは無く、一番左側にディレクター居て、右側の水平に本部の要員達、そしてそこから更に横に伸びて参加者が居る仕組みだ。何度かこのようにして行い、異なる姿を試みたのだが、今回は組織図を木で描いた。ディレクターは木の根に当たり、本部の要員達は木の幹。もっとも重要な参加者は花と葉。実になる仕組みだ。この、木の組織図は水平ではないが、偉い人、上に居る人々が誰なのかについて少し考えを変える仕組みだ。

もしかして今、記事を読みながら、自分たちの団体、会社の組織図を描いただろうか?大部分の組織図は垂直になっているだろう。一番上に代表が居て、その下に副代表、役員、そして一般の構成員が居る。こうした組織図を見てみると、自然と垂直の仕組みに慣れていく。

差し出す手ではなく、取りあう手

昨秋、光州国際交流センターで働く、キム・ジヒョン幹事がプディンデンへ遊びに来た。2週間滞在しながらプディンデンのあちこちを回り、人々と会ったのだが、ワンウィエンオーガニックファームの主人、タノンシおじさんもインタビューをした。

“ずいぶん前から海外支援活動者を受け入れていると聞いたのですが、何故そのようにされたのですか?”“農場で働く人が必要だったのですが、それよりもっと興味があった事は、外国の活動家たちが色々な国から来るので、多くを学べて、様々なアイデアを聞けると考えたのです。”“どの国から多くの人が来ましたか?”“うーん…色んな国から来ますが、ヨーロッパ、特にフランス人が多いですね。”

さらにフランス人について話が続いた。フランスのラオ植民統治、身体が大きく怖かった人々…。ところがおじさんが言うには“だけど、支援活動をしに来た人たちは皆丁寧で大人しかった。”私は隣で話を聞いて、稲妻の如く一つの考えが浮かんだ。‘そうだ。同じ国の人間でも、支配しに来る人と支援活動をしに来る人の姿は異なるのだ。’支配する事は、垂直の事柄であり、支援活動は水平の事柄だ。垂直で、上から差し出す手では無く、水平で取りあう手だ。その為に、支援活動家たちは丁寧なのだろうか?私たちはどうしているだろう?

ずいぶん前、私とアジアの友人達は、日本で1年間支援活動をしたことがある。私も、アジアから来た友人達の国も、日本より貧しかった。人々は不思議に思ったのか、続けて尋ねた。“何故貧しい国の若者が、豊かな国を手伝いに来たの?”“豊かな国にも貧しい人、不便な人がいます。人の手が必要な場所が非常に多いです。何故決まって豊かな人が貧しい人を助けなければならないのですか?貧しい人が豊かな人を助けてはいけませんか?”

垂直を水平に

垂直の人生では無く、水平の人生を作ろう。そしたら全てがもう少し楽になる。1尺にも満たないてっぺんに登ろうと気を使う瞬間、全てが小さく変化する。例えその上に登ったとしても、そこにいる時間はほんの数秒ににしかならない。誰かが一瞬のうちに私を踏みつけて登って行くからだ。そんな不安なてっぺんに何故登ろうとするのか?

水平になれば、たとえ辺境にいても過ごせる。必ず中央に、中心にいなければならないのか?たまるにたまって崖に落ちない限り、そこまで不安に暮らさなくても良いのだ。水平になれば、人を踏みつけなくても良いのだ。位置は少し異なるが、同じ目線で一緒に暮らせる。隣の人と簡単に手を取り合える。やろうと思えば、互いに肩を組むことも出来る。

今号では住民から、拝する水平の、低い‘心’を紹介する。一つはODA Watchで2010年ラオス援助総合評価の為に村を訪れた時。お寺で出会ったおばあさんに拝する青年活動家の心だ。更にもう一つは、現在は韓国に帰ったが、カンボジアで浄土会(JTS)活動をしていたキム・ジェリョンさんが学校を建てた村の住民達に拝する心だ。現場にいる私にも道を説いてくれるその方の航海日誌の中で、500日目の写真を共有した。航海日誌の内容はキム・ジェリョンさんのフェイスブックを尋ねると良いだろう。現場の話が沢山あるからだ。

文: イ・ソンジェ (ODAウォッチ運営委員/プディンデン村民)

原文: 라오 이야기 7. 수직의 삶에서 수평의 삶으로
http://www.odawatch.net/?mid=articlesth&category=27158&document_srl=45157

翻訳: コリチーム(竹内未記)

ラオスの話 (1) : 地元を守る若者たち
ラオスの話 (2) : だれが地域を守るのか? 世間の‘水’をちょっと飲んでみた若者たち
ラオスの話 (3) : ラオスを訪れる韓国人たち
ラオスの話 (4) : 韓国の青年達の感受性を育てる
ラオスの話 (5) : 現場の言い分
ラオスの話 (6) : システムではなく人が生きている