4月 292015
 

[週間プレシアンビュー] 私を恥ずかしくさせた一言

知識の軽さ

4月16日、この文を書きます。無気力な1年を過ごし、祈りの気持ちで私自身を空にします。空っぽにしないと、もはや耐えられないので。すまないと言う瞬間、涙が流れます。一つや二つではなく、私が生きていること自体が申し訳ないので、涙を流すしかないのです。進歩という言葉を好んで用いていたことをこの上なく恥ずかしく思います。 天国へ行ってしまった子供たちに私の人生全てを捧げてごめんなさい、と言います。すべてを空にした体が流す涙は、悲しいというよりは何か漠然としています。その漠然とした終わりをとらまえて、新たな生活を続けていこうと思います。

4月11日の夜、記憶貯蔵所展示館の天井に陶器で作った子供の記憶箱が掲げられました。陶芸家キム·テゴン先生の真心のこもった手が感じられる記憶箱です。幸いなことに、遺族の方々が、私の子供の記憶箱だといって黄色の星で印をつけて行きます。16日が過ぎたら、その記憶箱に子供が好きだった人形や日記、写真を入れておく、とおっしゃって。頻繁に訪れて、子供の夢と愛を記憶しながら生活を続けていかれるそうです。記憶貯蔵所展示館が、遺族と世界の人々の癒しの空間となることができたのは、せめてもの幸いです。しかし、記憶箱の下に立っている私という存在は、その重みに耐えられずに16日の今日もふらついています。

記憶箱の重みが私の生の軽さ、知識の世界の軽さを悟らせてくれます。進歩的な知識世界を追求し、社会の変化に向かって何かを実践してきたことが決して免罪符にならないことを、年月の重みが教えてくれます。私の知識の軽さ、実践の空白が、結局、子供たちを水の中に葬ってしまいました。進歩を真心で満たすことができなかった罪、子供たち一人一人と共感して夢と幸せで満たしてあげられなかった罪、制度革新の成果だけを信じて、いざ実在する痛みに対しては目を閉ざして生きてきた罪。私にとって4月16日は、知識人としての知識の軽さについて心から反省する日でなければなりません。

進歩的思考と日常の分裂

人を生かす知識を得ることもできず、社会的実践もやはりお粗末極まりなかったのですが、何よりも私が反省させられることは、分裂症であることです。進歩的思考で現象分析した文章を書いたりもしましたが、振り向くと目の前の現実においては、金と私事に関する欲を捨てられませんでした。本当の生の豊かさを努めて忘れ、ただ物神主義に陥って高価な食べ物、高価な服、高価な家を求めました。安山で会ったある活動家が、私の車に乗って「高級車がやはりいいね」と皮肉った瞬間を忘れることができません。惨事を経験して安山に出入りしながらも、私の子供には「それでも勉強は一生懸命しなければ」と「しつけ」するその自分を省みずにはいられません。

記憶貯蔵所の展示館にかかった「子供の空き部屋」の写真が私に向かって言います。分裂症を取り払い、真に豊かな生活を実践するように、そしてそれに基づいてしっかりとした進歩を追求しろ、と。ビデオジャーナリストを夢見ていた檀園高(2年)2組のスジョンの空き部屋には、夢を語った記録でいっぱいです。惨事から1年の間のお母さん、お父さんの壮絶な実践である生き様が、空き部屋の中に一緒に入れられて。黄色い風車とリボンと遺族であることを表すネックレスは、人間中心の世界を作っていくシンボルです。スジョンの空き部屋は、今日16日以降もそのように満たされていくでしょう。そのような遺族に比べて、私は分裂症的な生活を続けてきました。私の分裂症は、実践の限界を引き起こした主犯でもあります。わざわざ割いた時間だけに、それも恩恵的思考を完全に払拭することができないまま、無責任に活動しました。遺族たちは私の助けを必要とはしていません。むしろ彼らの実践が、ゆがんで歪曲されている私の生を正してくれています。彼らを助けると勘違いして自分の人生をしっかりと革新できないことで、結局、私の闘争は徹底しないものになるしかなかったのです。私が満たしてあげることができず、また、われわれ市民社会がしっかりと役割を果たすことができなかったために、遺族たちは頭を丸めることになってしまいました。その残酷な結果をもたらした原因の一つは、私をはじめとする進歩的市民皆が分裂症だったからなのです。

エリート主義の偽り

安山でいろんな活動家、遺族たちと活動していたときでさえ、私は限界だらけでした。「解釈」し、「発想」して提示するだけで、共感して一つになることができませんでした。毎週火曜日に安山へ行き、仕事をして酒も一緒に飲みましたが、結局、私はエリート主義の偽りの世界から抜け出せなかったのです。活動家たちの話を聞いて共感するより、私の「発想」をもとに説得し、時には強制するのが常でした。遺族たちの痛みに共感しながらも、いつの間にか慰めて「しつけ」する、軽くて生意気極まりないエリートになっている私に気がつきました。船を沈め、子供たちを水の中に葬ってしまった罪から自由にならない私が、いまだに目を覚まさずに間違った習慣を繰り返しているのです。

去る11日土曜日の夜遅く、顔に催涙液を受け、嗚咽する遺族を残したまま、私たちは皆、自主的に撤退してしまいました。8000人余りが集まった集会だったにもかかわらず、遺族を保護するどころか、彼らを前面に出して「激しく」戦わせただけでした。数十人の活動家、学者、宗教者が逮捕され、翌日まで何千人もが一緒に徹夜で座り込みをしても足らないのに、私達は後方に抜けていて、遺族たちが警察に獣扱いされることになってしまいました。壮絶な戦いの後、遺族たちに迫ってくる悔しさと空しさを推し量ることができなかった仕打ちでした。

遺族が頭を丸めて子供たちの遺影写真を掲げることになったのは、市民社会の全員が自らの役割を果たしていなかったために生じたことです。土曜の夜の無責任な「大激戦」も、私たちの不徹底さが招いたことです。市民社会にいまだに残るエリート主義が問題の背後にあります。十分に耳を傾け、心の底から共感し遺族たちと市民の考えを集めて活動するよりは、「指導部」が判断して、習慣的に「リード」するエリート主義の偽りの世界が、結局皆を傷つけるのです。11日の戦いの数日後に頭を丸めた状態で記憶貯蔵所を訪れたあるお母さんの話に、私は胸が張り裂ける思いがしました。「頭でも剃るくらいしかできないじゃないですか。それでも頭の形がいいと言ってくれてよかったですよ」と、うっすらと笑みを浮かべた。私たちをしっかりひっぱっていってくれ、というお願いまでされて、私は恥ずかしさでまた涙ぐみました。

知識人には見えないもの

知識人に簡単に見えるもの、すなわち権力による暴力を例に挙げれば、3月末から始まった不法な「施行令」攻撃や、稚拙な「賠償·補償」攻撃などがその代表例です。* 私もやはり強く問題提起をし、ユ・ギジュン海洋水産部長官の解任、大統領の遺族と国民に対する公式謝罪、ムン·ジェイン野党代表と議員らの海洋水産部抗議訪問、トップ会談の提案などを直ちに要求しました。しかし、要求したのは何だったでしょうか。彼らだけのやり方に捉われて、微動だにしないのですから。海洋水産部に乗り込んで占拠し、座り込みでもしなければいけないのですが、私たちの能力がそれに及ばないことも遺族たちにもどかしい思いをさせる理由の一つなのです。

よく見えることにもしっかりと対応できず、胸がひりひりとうずきながらもきちんと見ることすらできず、放り出すことがあまりにも多いです。海洋水産部が賠償·補償受付を開始すると同時に、遺族は「密かに近づいてくる」権力による暴力が原因で、別の痛みに耐えなければなりません。傷口が広がり始め、われわれはなすすべもなく、ただ見守っているだけです。私は、安山を行き来しながらも生活の現場がよく見えていませんでした。上から簡単に見える制度の問題、権力の直接的な暴力にだけとらわれていました。兄弟姉妹たちが通う学校では、1周忌を迎えて複数のイベントをしますが、入試地獄の中で行うイベントは、形式的であるだけでなく、子供心を傷つけるだけです。それでも家庭を守ろうといやいや通う会社は遺族たちにとって負担であると同時に、申し訳ない気持ちでもあり、悲しいばかりの労働の現場に過ぎないのです。幸せで価値のある労働などは、彼らには存在しないのです。近所で一杯やるとき、八百屋でおかず一つを買うときでさえ遺族たちは、もうやめるように求める無言の圧力を感じるのです。権力による暴力は、このように生活のあちこちで「文化」の仮面をかぶって働いているのです。

私は、下から共にすることができず、真の意味で共感できていないために痛みの存在を正しく見ていませんでした。このような生活の悲惨な状況を引き起こす見えない権力を解体できませんでした。今後もこのような無気力な時間を過ごさなければならないと思うと、後悔と恥ずかしさに苛まれます。国会議員が無気力で無責任であると叱責したり座り込みをして批判したりしていますが、もしかしたら私も彼らと変わらないかもしれません。現場を知らずに行う権力争いや、目にあまる知識人のふるまいはもうやめなければならない、と自分自身に繰り返し言い聞かせます。

私を恥ずかしくした一言

記憶貯蔵所展示館の端にある空き部屋に展示された写真と一緒にこのような文句が書かれています。 「お母さん、ちょっと辛くて痛いので、少しだけ理解してください」。6組のウォンソク君の気持がそのまま込められた言葉です。子供たちはこのようにすべてのことを知っていました。辛くて痛いこともわかっていて、それを心配する大人に気遣い、待ってくれれば自分で何とか乗り越えようと努めていました。しかし、知識人である私は、子供を傷つける現場の権力をほったらかしにしたまま、格好つけの言葉を吐き、陣営の戦いに振り回され、体制の革新にだけ目を向けていました。夢多き美しい子供たちが罪深い大人に気を遣っている間、「しつけ」に没頭し、責任を取れなかった欲だけを子供に浴びせていました。子供を理解するどころか、ただ学ばなければならない対象として扱いました。表現と行動の方法に私が慣れていないだけで、子供たちは、常に言い続け、お願いし、愛を送っていたにもかかわらず。こうした子供たちが天国へ行ってしまいました。私たちの無責任で横柄極まりない、欲望の塊に閉じ込められて抜け出せない歪曲された生き方のせいで。
 
金と権力の欲に浸っている不届きな政権は、審判を受けなければならないのです。彼らを審判するために、絶え間なく戦っていかなければなりません。しかし、4月16日今日一日だけでも私自身を省みようと思います。私自身の考え、習性、偽りが、悪の存在を容認しました。大人よりも大人だった子供たち、世界の不条理になんの責任もない子供たち、それでも大人に愛の信号を送り続けてきた子供たちは、二度と戻れない道へと旅立ってしましました。寒い海の中で爪が剥がれるほどもがいて生きようとしたにもかかわらずです。私は今もその子供たちに何の答えもできずにいます。私が迎えた4月16日は、とてつもなく恥ずかしい日です。
 
ウォンソク君に言いたいです。「辛くて痛い思いをさせて申し訳ない」、「最後まで君の愛を忘れない」、「君が望むなら待つし、待ちながら自省する」と。 今日4月16日は、私たち皆が真に生まれ変わる日であってほしいです。私たち自身の小さな変化、実践を一つ一つ積み、さらに積み上げながら、天国に行った子供たちにこれ以上恥ずかしくない大人になる日にしたいと思います。

文:キム・イッカン/明知大学記録情報科学専門大学院教授

原文(韓国語): http://m.pressian.com/m/m_article.html?no=125705

*【訳注】セウォル号沈没事故の真相究明のために特別調査委員会が設置されたが、委員の構成を官僚中心とする特別法施行令を海洋水産部が立法予告したことに対し、「委員会の独立性が保障されていない」として遺族らが反発。一方、犠牲者に対する賠償・補償金の支給基準が3月31日の賠償・補償審議委員会で決定したことが報道されたが、遺族たちが巨額の賠償金を受け取るかのように報道されたため、遺族たちは「賠償額の問題ではなく真相究明が先だ」として光化門広場で座り込みを続けたり、中には断髪式を行った遺族もいた。