6月 292015
 

『進歩執権計画』。 参与連帯などの市民社会を主な活動舞台としていたチョ・グクソウル大法学部教授を、「大衆的」あるいは「政治的」領域に呼び出した本である。イ・ミョンバク(李明博)政権の2010年、チョ教授は、2012年の大統領選挙で進歩陣営が政権を取り戻すことを前提に「プラン」を検討し、その後、同教授は、保守勢力の集中ターゲットになった。名誉毀損などで届いた告発状だけでも10件以上に上ったという。最近<京郷新聞>に書いたコラムにより、「殺人教唆」の疑いで告発されたりもした。2012年に「進歩執権計画」が実現しなかったために起こったことである。

刑法が専門のチョ教授が最近出した著書『節制の刑法学』を通じて批判する「過剰犯罪化」の事例の一つが「表現の自由」の問題だ。「国民統合」、「経済の民主化」という大統領選挙公約を事実上放棄したパク・クネ(朴槿恵)政権が頼ることができるのは、「支持者の結集」だけであり、「法治」という美名の下に、司法機関を操って保守政権とその支持者の政治的な「訴願受理」方式の統治をしているということだ。「パク・クネ大統領はセヌリ党の根っからの支持者である35〜40%の人達のためだけの大統領を追求している」と、チョ教授が1月7日<プレシアン>とのインタビューで明らかにした見解は、同月12日、朴大統領の年頭記者会見を控えた「予言」となった。朴大統領は、記者会見でチョン・ユンフェ内部文書流出による波紋に対する特検も、キム・ギチュン青瓦台秘書室長といわゆる“取っ手3人衆”(【訳注】政権内部と外部の人とを統制する役割の人のことをいう。政権に接触するためには権力下の側近を通さなければならないことから、部屋に入るために開ける“取っ手”に擬えた言い方)の退陣をもすべて拒否した。

最終的にはパク·クネ政権の熱烈な支持者ではない多くの国民は、この国では、ホモサケル(Homo Sacer、裸の生【訳注】主権権力の外に位置する者のこと)となっている。「大韓民国という共同体を現政権が自ら壊す“パク·クネ式”統治」は、チョ教授が2017年汎進歩勢力が政権を取り戻さなければならないと主張する決定的な理由だ。

無論、現在の野党の状況を見ると、決して楽観はできない。2月8日に予定された野党第1党の新政治民主連合の党大会に一般の人たちはあまり関心がない。チョ教授は、「今回の党大会は、新政治民主連合の矛盾を前提に進めざるを得ず、現在の状態を確認する党代表選挙になるだろう」と述べ、「このままでは、今後の総選挙・大統領選挙に勝つのは難しい」と予想した。

チョ教授は「新政治民主連合の命運も2015年の政党改革にかかっている」と強調した。新年の初めにチョン・ドンヨン前大統領候補の離党で可視化された新しい進歩政党の結成の動きなど、汎進歩陣営の状況は混乱しているが、2016年の総選挙と2017年の大統領選挙を目指し、徹底した改革と革新が必要である。チョ教授は「新政治連合の新しい党代表、そして進歩政党の各々の人が政党改革と革新をしていかなければ、2016年の総選挙と2017年の大統領選挙の機会が台無しになる」と述べ、「今は新政治連合を含む汎進歩革新の時期であり、革新された汎進歩を前提に、「進歩執権(政権奪還)プラン」が新たに出なければならない」と強調した。

チョ教授とのインタビューの主な内容を一問一答形式でまとめた。 (<プレシアン>編集者)

パク·クネ、“35%大韓民国”の大統領?

プレシアン: パク·クネ大統領の大統領選挙公約の一つが「100%大韓民国」でした。政治的·社会的対立を減らすというものでしたが、むしろ深刻化しています。あと3年ありますが、大統領として何をしたいのかがよく分かりません。

チョ・グク: 2012年にパク·クネ大統領候補が公約したうちの30%の中でも「経済民主化」の約束は守るものと考えていました。ところが、パク·クネ大統領が過去2年間にしたことは何かといえば、公約実行の意志がないという事実が再確認されただけです。特に、経済の民主化はする意思がなく、経済を再生させる能力がないと思います。

大統領選挙の時でなければ、誰もが経済民主化を打ち出しました。パク·クネ大統領候補もキム·ジョンイン博士(全国民の幸福特委委員長)を連れてきて強調して話をしました。国民の中で「経済民主化が大勢であるが、私はムン·ジェイン候補よりもパク·クネ候補が好き」という意見が51.6%でした。 パク·クネ大統領は政権をとって2年の間に経済民主化を自分のものとするべきでした。

「経済再生」には、結局財閥を優遇するしかありません。しかし、財閥を優遇することは経済民主化を完全否定することになります。イ·ミョンバク政権下で、財閥本位の新自由主義政策はすでに失敗しました。パク·クネ大統領候補が「労働と福祉を強化して経済を生かす」と言いましたが、政策(経済民主化)を自ら放棄したため、経済は回復しないでしょう。

経済が回復しなければ、何で拍手を受けるのでしょうか。大韓民国を守った人でなければなりません。だから、統合進歩党を解散させ、汎保守陣営の拍手を受けたのです。「100%大韓民国」は放棄されて久しく、生粋のセヌリ党の支持者35〜40%の大統領になることを希望しているようです。

“イミョンバク(パク)クネ”政権で韓国汎保守勢力の実力と元手がすべて露見し、消失しました。 残っていたのはキム·ジョンイン、イ·サンドンくらいですが、パク·クネ政権発足直後にすぐに捨てられました。現在、パク·クネ政権の人材を見ると、キム・ギチュン青瓦台秘書室長を含むオールドボーイ、公安保守派と成長論者たちだけです。

敵と自分とを分けて、線を引いて支持者を結集すること。パク·クネ大統領は「選挙の女王」であり、「政治の女王」です。2002年にハンナラ党を離党して韓国の未来連合を結党した時も非常に良くやりました。父に教育を受け、ほとんど生まれながらの政治家です。しかし、パク・チョンヒ(朴正煕)元大統領は「国民統合」(100%大韓民国)を追求したことがないのです。

「ホモサケルには希望を与えない」

プレシアン: 政治的に最も簡単な方法である「支持結集」を状況打開策としているというのですが、政治的枠組みを超えたことが何度も発生しており心配しています。「日刊ベスト」の会員が「シン・ウンミ/ファンソン統一トークコンサート」で硫酸をまいたことですとか、絶食中のセウォル号惨事遺族の前で暴食闘争をするなど、対立が表出しています。

チョ・グク: パク・クネ政権は、“イルベ”の硫酸テロや暴食闘争について公式に賛否の立場を明らかにしませんでした。これは、借刀殺人(他の人を利用して他人に被害を与えること)するのと同じです。“イルベ”と呼ばれる極右的·野蛮集団が自分たちの世の中が来たかのように思って“表に出ても大丈夫”との考えで行動しているのです。

パク·クネ大統領は、12月15日、「シン・ウンミ/ファンソン統一トークコンサート」に対して「従北コンサート」であると言いました。民主主義国家の保守右派大統領だったら、同時に硫酸テロを批判するべきでした。保守的な立場で、朴大統領の統一トークコンサート批判を理解しても、実際の犯罪行為である硫酸テロに言及していなかったことは非常に珍しいことです。逆に言えば、朴大統領がテロを行った高校生を心の中でどのように考えているのかを推測することができます。

ドイツ保守政党出身のキリスト教民主同盟のメルケル首相であれば、どのようにしたでしょうか。メルケル首相は断固としてナチスを批判しています。その点において、パク·クネ大統領はメルケル首相になることもなく、二人には違いがあります。朴大統領が大統領候補だった時の自分の言葉を守ったとしたら、メルケル首相になることもできたかもしれない。朴大統領は、大統領選挙前に「メルケルコスプレ」をしたというわけです。

大韓民国という政治 – 社会共同体が壊れようとしています。まず、執権勢力が共同体をぶっ壊しています。国を敵味方に二分して味方だけの国、つまり自分たちだけの国を作ろうとしているのです。第二に、ホモサケル(Homo Sacer、裸の生)、数多くの捨てられた人間を量産しています。非正規職であろうと、青年であろうとホモサケルには希望を与えないのです。過去に奴隷制社会で王が奴隷に希望を与えたことがあったでしょうか。鞭を打っただけでした。現執権勢力は、相当数の国民に希望を与えることを放棄しました。 さらにいえば、意図的に希望を与えないようにしているという気もします。

「大韓民国」という共同体は、進歩·保守·左派右派皆が共に生きなければならない国です。しかしながら、ホモサケルを量産して放置しているような状況が続けば、2022年までずっとこの状態が続くのではないでしょうか。ぞっとします。2022年になったら、2008年の李明博政権発足当時に生まれた子供たちが15歳になります。子供たちは「大統領は毎回セヌリ党から出て、野党はいつも無能で、知識人たちは自分にとっていい話だけをして、ママとパパは時折不満を爆発させるが、世の中は変わらない。さて、私は何をすればいいのだろう?」と考えるようになるでしょう。変化の希望がなければ、人々は自暴自棄になるものです。何が何でも、2017年に政権交代を実現しなくてはなりません。

「過度に右傾化された法治、払い落とさなければ・・・」

プレシアン: 本の話を少ししましょう。昨年12月に『節制の刑法学』(パクヨンサ出版刊)を出されました。厳格に法が適用される方がいいという人が一般的だと思うのですが、この著書では刑法の節制を述べています。

チョ・グク: 1987年に“政治的民主化”が実現し、“87年の憲法体制”(民衆の要求による自律的憲法)も作られました。 財閥、福祉国家、労働に関わる“経済的民主化”については、2012年の大統領選挙の前後に大衆を巻き込んだ議論が始まりました。「刑法の民主化」または民主主義の内容のうちのいずれかです。

韓国では、権威主義政権と日帝植民地時代などの影響で、保守·進歩どの政権でも刑法の過剰現象が続きました。OECD諸国でそもそも法的に処罰していないことでも、私たちは「罪として治めなければならない」と考えます。経済民主化の領域では、市民自らから乗り出して、財閥はよくなければならないと考えているかのように。

刑法が使われるということは、簡単に言えば、警察·検察が個人の家と体を締め付けるようなものです。罪が確定されると、極端にいえば、生命·身体·自由·名誉·財産などが剥奪されます。有罪判決が出なくても、検察・警察の捜査を受けたとたんに、社会的烙印を押されてしまいます。

「刑法が最も慎重に使われなければならない」というのは、民主主義国家の合意です。しかし、私たちは、道徳的保守主義や政治的保守主義が連携して刑法を過度に使うことに同意しています。市民たちも同様です。私は刑法を介して、特定の道徳や思想を強要したり、表現の自由をはじめとする憲法的基本権を制約·抑圧することに反対です。

プレシアン: パク・クネ政権の2年間、“法治”を過剰に強調してきましたし、大衆は法治をすばらしい“善”だと考えています。パク・クネ政権が検察と裁判所をこのように利用してきました。これを政治的言語で解こうとすると、大衆の反発と批判がつきまといますが、“法”によるものだといえば、大衆はそのまま受け入れるのではないでしょうか。

チョ・グク: 法自体が神聖化されているのです。大衆は、法の神聖性、法の中立性自体を信じています。政治的な話よりも、法を先に立てれば人々はうなずくしかないのです。

“法治とは何か”の前提は、「法が民主主義と人権の観点からうまく作られている」ということです。 民主主義と人権の観点から法が3つの軸、すなわち“制定-解釈-執行される”前提で、人々が法治を信じるのでしょう。人はそれぞれ政治的·道徳的に立場が違いますが、法律だけで合意したと思うので、法を守ったときに力が生じるのです。

OECD諸国では、“労働者のストライキは、基本的権利である”“ストライキに刑法は介入しない”ということを左派と右派が合意したため、ストライキは法を守ることで権利を行使することなのです。 だから保守側も批判しない。軍人の間の同性愛や姦通問題についても道徳的問題であるため、左派も右派も関与していません。殺人、強盗、企業犯罪、強姦などにおいては、政治的·道徳的保守派であろうと政治的·道徳的進歩派であろうと、合意事項を作って無条件に守ります。残りの部分は、“政治的自由”として右派または左派の「表現の自由」という側面で認められます。“プライバシーの問題”また各自が処理することとして認めるのです。このように、双方の同意の下に“法を守る”という言葉が強い力を持つのです。

しかしながら、“法治”の内容自体が過剰に右傾化した状態にあります。政治的に過剰に右傾化していて、道徳的には過剰に倫理化されたまま固定されてしまっています。このような状態で、保守派は“法治”という言葉を快く受け入れ、常に強調します。しかし、進歩派は“法治”と言いながらも受け入れるのは容易ではありません。何か少し不利なことのように感じるのです。

“法治”の観念を変更しようとすれば、既存の法でも、特に刑法秩序と制度を払い落とさなければなりません。整理しなければならないことがあまりにも多くあります。表現の自由領域に送られる事柄、個人のプライバシーの領域に送ることを整理した後に“法治”を強調しなければなりません。

プレシアン: パク·クネ式“法治”の中で問題だと指摘されているのが、“法の適用が不均衡”であることです。 代表例は、労働者と企業人です。

チョ・グク: 法の制定-解釈-執行の不平等の問題です。以前よりもかなり良くなりました。有銭無罪・無錢有罪に対する批判があまりにも多く、2007年に量刑委員会(最高裁傘下の量刑政策研究機関、初代委員長キム・ソクス)が設立されました。2013年から4期量刑委員会が活動中で、2009年から2011年まで2期量刑委員会の委員を務めました。

昔と違って、今はチェ·テウォンSKグループ会長が刑務所にいます。“持てる者”への刑罰が強化されたのは事実です。このような点から、私たちの社会に進歩があったと見ています。

しかし、労働者のストライキは、簡単に言えば、王朝時代の民衆の反乱レベルで鎮圧されています。 刑事的には業務妨害罪でつかまり、民事的には仮差し押さえ請求して月給·家·保証金·預金等を皆奪いとるのです。ストライキは、憲法上の権利ですが、これを行使すると、刑務所に行き、身を滅ぼしてしまうのです。夫婦は離婚し、子供とは離れ離れになってしまいます。

同じ程度の重さで企業犯罪を処罰しているかを振り返ってみなければなりません。昔に比べれば強化されましたが、刑事· 司法権力が労働者に対する態度を見れば、そうとはいえません。 今も、企業家の仮釈放について熱く議論されています。企業家には、寛容の原則が先で、労働者には不寛容の原則が先に来ます。どちらの方が先であるかを見れば、差別は明らかです。

「2017年、新しい“進歩執権計画”が必要だ」― ソウル大チョ・グク教授<プレシアン>インタビュー (2) につづく>

原文(韓国語): http://www.pressian.com/news/article.html?no=123126