8月 272015
 

大日方先生3国境を超えた活発な民間交流にもかかわらず、慰安婦問題などの歴史認識の違いで日韓関係の溝が深まってしまうように、日本・中国・韓国の間で歴史認識を共有することは、今後の東アジアの平和のために、難しいながらもいつかは解決しなくてはいけない課題だと思います。このような考えから、私たち「希望の種」のメンバーは、日中韓3国の執筆者が書いた『新しい東アジアの近現代史』という本に興味を持ち、昨年、一緒に読み意見交換をする読書会を開きました。出版するまで6年がかかったこの本は、日中韓3国の専門家が一緒に議論をして執筆しただけでも、大きな意義があると思いました。また、近現代史における民衆交流と、ある歴史上の事件について日中韓の歴史認識の違いを併記した部分は、3国の専門家が一緒に書いたからこそ可能だったのであり、その点が特に興味深いと思いました。

「日中韓3国共同歴史編纂委員会」の日本代表で、私たちが読んだ『新しい東アジアの近現代史』(2012)と『未来をひらく歴史―東アジア3国の近現代史』(2006)の共同著者の一人である早稲田大学文学学術院教授の大日方純夫(おびなたすみお)先生に、去年の12月、インタビューをすることができました。これらの歴史教材を出版することになった理由や背景をはじめ、言葉が違う3国が一緒に執筆作業をする際に大変だった点、各国の歴史認識の違い等、気になっていたことに関していろいろと伺いました。(編集担当:ナ・ヌリ/日本希望製作所インターン)

インタビュー日時:2014年12月4日19:30-21:00
出席者: 李貞善(イ・ジョンソン)、李素軒(イ・ソホン)、金ソヒ(キム・ソヒ)、 朱世演(ジュ・セヨン)、羅ヌリ(ナ・ヌリ)

(1)「東アジア三国共同歴史教材」編纂の舞台裏

Q:まず、この本の背景について教えてください。

A:2001年に日本では靖国神社の問題、また既存の日本の歴史教科書が自虐的だということで、日本の過去の戦争や植民地支配を肯定的に書いた歴史教科書が登場し、これらに対して韓国や中国から厳しい批判が寄せられるなど、歴史教科書を巡る問題が非常に深刻になりました。そこで、このような論争を越え、どうすれば日中韓三国が歴史認識の共有に向かっていくことができるのかを考えました。当時問題になったのは中学校の教科書だったので、日本の中学生が読める本を作ろうということで、日中韓三国で話が始まりました。
しかも、その背景には単に本を作るだけでなく、東アジアの平和を実現したいという気持ちがありました。南京事件とか「慰安婦」問題等を含めたそれらの問題を克服したいと思う日本のメンバーにより日中韓の対話がスタートしたので、最初からこれらの問題での対立はありませんでした。いわゆる「慰安婦」は嘘だとか、南京事件は幻だとかと言っていたら対話にならないですね。日本の中でそうしたことをちゃんと総括しながら対応しようという動きから出発しているので、最初から仲良く話し合いができるテーブルが作られていたわけですね。

そこで2002年の夏から作業が始まって、2005年5月、最初に『未来をひらく歴史―東アジア3国の近現代史』(日中韓3国共通歴史教材委員会・2005年5月発行)を作ったわけですね。その後、よりレベルの高いものを作ろうということで、2006年から2012年かけて『新しい東アジアの近現代史』の執筆作業を進めました。最初に作った『未来をひらく歴史』の方は中学生を念頭において書いたのでわかりやすいですが、三国の教科書をまとめたという印象が強く、新しい研究の成果を反映させるという点で、研究者にとっては不十分だったといえます。一方で『新しい東アジアの近現代史』(上・下、日中韓3国共同歴史編纂委員会・2012年9月発行)は一般の人の向けということもあって、少し内容が難しくなりました。

Q:この本の出版に参加することになった動機は何ですか。

A:歴史認識を交換しながらお互い同士を知り合い、またそれぞれの過去に関する事実を共有しながら、その捉え方について交換し合うためです。国によって発想も違うし、歴史認識も違うので、多分、完全に一致することはありえないですね。しかし、重なる部分は必ずあるだろうし、それから事実については共有していかないとまずいと思います。例えば、日本の若い人が知らないというのは、自分の認識のある部分が欠落しているわけですね。お互いに情報を共有し合って、それを考えるための素材にしなくちゃいけないのに、日本ではなかなかできない。ですから、まず、ちゃんとした情報を提供することが必要だと思いました。多分、韓国でも当時の日本がどんなだったかはあまり見えていないのではないでしょうか。日本でも、植民地支配ということは日本がしたことだからそれなりにわかるけれど、韓国の側がこれをどう受け止めたのか、抵抗はどうだったのか、どういう暮らしをしていたのかは見えてこないですよね。見えないことを見えるようにすることによって、認識をより更新できる素材が入ってくるはずです。このような気持ちがありました。

Q:役割分担はどうしましたか。

A:まず三国が大体同じ分量を担当することにしました。会議を通じて全体の章の組み立てと執筆をどうするのかを相談しました。それぞれの章に対して、書き手が書いたものを担当した国のメンバーが議論し、それをまた三国で共同して議論しました。つまり、一応分担はしましたが、出来上がったものはみんなで合意したものです。

Q:それぞれの国で著者はどういう方がなるんですか。

A:日本の場合は、比較的東京の研究者が中心で、市民も参加しました。そして、中国の顔ぶれは、『未来をひらく歴史』の場合、中国の各地から参加し、また、中国社会科学院という国家的な機関が中心となりました。韓国の場合は、ソウルにある教科書問題の市民団体が中心です。それぞれの国で成り立ちが少し異なります。但し、ある程度歴史のとらえ方に関する共通点がないと一緒には書けないですね。例えば、日本の場合、日中韓ですから、日本史だけではなく中国史をやっている日本の研究者とか韓国史をやっている日本の研究者が加わりました。それぞれの委員会の中では共通する歴史認識の空間を共有し、そこで書かれたものを練ったり議論したりして、意見をミックスした形で出します。でも、実際はやはり書き方とかとらえ方の違いが出てくるので、そこでかなり激論になりますね。

大日方先生と希望の種Q:原稿を書く時に三国の言語の違いはどのように解決しましたか。

A:最大の問題ですね。各原稿はそれぞれの国の言語で書くことになります。例えば日本側が担当すれば、日本語で書いてそれを中国と韓国に送る。すると、送られた原稿を各国の担当者が翻訳します。そして意見を出し合って、その結果を中国語や韓国語で日本に送ります。さらに送られたコメントを日本でまた日本語に翻訳して、それに即して原稿を検討する形になります。

Q:何回も翻訳するとことで誤解が生じたりすることはなかったですか。

A:行き違いはありますね。一番難しい問題ですね。メールの場合もそうですけど、会議もそれぞれの言葉で話して、それを通訳するので、三倍の時間がかかります。例えば、この間(2014年11月)の中国・北京の会議では、韓国の人がしゃべったものをまず中国語に訳して、それを日本語に訳しました。一番望ましいのは日中、中韓、日韓の間にそれぞれ三人いればいいんですけれど、普通は二人ぐらいの通訳でやります。ただし、実際には相手側の言葉が話せる人がいますから、通訳を待たずに、そこで「違う」とか「こうだ」と話を切ることもあります。結局、原稿ができても翻訳がうまくいっているかどうかは大きな問題で、それによって読みやすかったり読みにくかったりしてしまうという問題は残ります。

(2) 歴史観のズレ、それを乗り越えるためには?

Q:執筆者同士で意見が違って論争になった時に、その部分はどのように意見を調整し、どのようにまとめて記述しましたか。

A:まず、意見の違いをそのままにしながら、逆に勉強に役立てようということで、コラムとして入れた場合があります。『未来をひらく歴史』以来ずっと決着がつかない問題(たとえば、日清戦争に至る経緯)がありますが、そういうのは、むしろ結論が出ないことに意味があると思います。それは歴史の捉え方の違いと関係があるでしょうね。

それ以外の問題については、議論しながら組み込んで、書き手や書き手の国の評価だけではなくて、新しい研究成果を取り入れて、それを生かしていこうとしました。それでも意見が違うところは、該当するその国の最新の研究成果を反映させようとしました。

Q:下巻の第8章(戦争と民衆-体験と記憶)は韓国側の執筆者二人で書いたとされていますが、章末に「本章の記述に対する日中両国委員会からのコメント」が付け加えられており、現行の第8章の内容や構成に対して異論があったことが伺えましたが…。

A:8章については、そのコメントに書いてあるように、原稿が遅れたため、検討が十分にできず、残念ながら意見の一致ができませんでした。ただ、読者からはそのおかげで「一致できない部分は何なのか」がよく分かったと言われたりしました。ですから、次に出す本では、一致できない部分もちゃんと示すような形がいいかなと思っています。共有できる点とそれぞれのスタンスが違う点を示すことで、論点がはっきり出てくるということですね。

Q:具体的な例でいうと、どのような点で意見が異なりましたか。例えば、(韓国側の執筆者が書いた)下巻8章(戦争と民衆-体験と記憶)で描かれた靖国神社のあり方とか、広島・沖縄問題を単純に同列化した点は、問題があるというのが日本側からのコメントとして書かれていましたが…。

A:その点に関して、韓国側からすれば、広島と靖国は同じ「過去の歴史に対するロマン化」だと。日本からすれば、それはとんでもないと。広島と靖国は一緒にされてはならないし、それは日本の戦後の歩みというのを、ある種、否定するというか、批判することになるので、受け入れないと。もちろん広島と靖国に共通する面はあるけれども、戦争を肯定する立場と戦争を超えようとする立場があることを無視してしまって、一緒にするということはありえないだろうということです。沖縄に関しても全く同じですね。

特に、8章で描かれた戦争や植民地支配に関しては、中国からも厳しい批判がありました。なぜかというと、韓国も中国も日本の被害者だとされていますが、中国からすると、実は朝鮮半島は日本の植民地となっていて、中国に対して侵略戦争をする側にいたのではないかと。植民地支配と戦争ではぶつかった相手が違うというのです。ですから中国側としては、納得できないということが強くありました。

このように、韓国、日本、中国それぞれの国が戦争の体験の仕方ということで違うし、またそれに対する戦後における捉え方が違うので、単純に一つの立場だけでまとめると、やはり大きな問題が生じてしまいます。ここが最大の争点で、単純に解決できないと思うし、これからもどうなるかちょっと分からないですね。

同様なことが「日清戦争」を巡ってもありました。日本と清国の戦争だけではなくて、それは朝鮮半島の支配をめぐる戦争という問題があったわけですね。中国からすると、中国と韓国は共に日本の被害者であるが、韓国からすると、我々は中国からも日本からも狙われたというので、そこで「ズレ」が生じます。

Q:意見の違いはそうだとしても、事実の問題として、例えば戦争で殺されたのが何十人なのか、何万人なのかという問題は、やはり意見を一致させなければならないように思われますが…

A:たしかにその通りですが、それもやはり難しくて、例えば南京で死んだのは何人かという問題では、事実を確定すること自体ができないわけですね。あった事実は一つだけれども、その事実を我々がどのように知ることができるかという点では、「知り得ない」こともあります。正確に数えることができたものは誰もいないのですから。したがって、いろんな説を並べて書くしかないですね。不確かなものは不確かなものとして併記するしかないということです。数の問題はともかくとして、虐殺があったのは事実だ、という捉え方になります。

大日方先生1Q:歴史観のズレによって生じた、経済的利権を争う国家間の対立や紛争では、互いに譲り難い姿勢で臨んでいますが、どのように解決できると思いますか。

A:時間を取って対話することが必要ですね。どちらが正しいかということになると必ず対立します。外交交渉で即結論ではなく、議論を継続して対話できるようなステージを作ることが重要です。

Q:歴史叙述や構成の仕方は、国別に異なりますか。

A:国別と言っても、国なのか人なのかが問題ですね。但し、韓国のスタイルとして感じられるのは、例えば、植民地支配に関していうと、「武断政治」と言われている力による支配の時期から、「文化政治」と呼ばれている時期を連続的につなげて書いていると思います。しかし、日本の捉え方だと、武断政治に対して抵抗が起こって、その結果文化政治になったというように見ています。ダイナミックにいうと、支配があって、運動があって、その運動の結果次の支配が生まれてくると捉えた方がいいのではないかと。

歴史の叙述というのは、大きくいうと「時間の流れ」と「テーマ別編成」の二つがあって、それを組み立てることで初めて歴史の叙述が成り立ちます。テーマ別だけで書くとその時代の構造がわからないし、時間の流れだけを重視すると年表になってしまいます。したがって、年表的な流れとその構造をどう組み合わせ書くのかが、歴史教科書等を書く時の一番の悩みです。

Q:地球全体や広い範囲で歴史を考えようという動きがあると聞きましたが、歴史研究の枠はどうあるべきでしょうか。

A:グローバルヒストリーは最近盛んです。しかし、グローバルな視点は重要ですが、逆の言い方をすると、国境と国家というのを飛ばしてしまって、グローバルとか世界市民とかを語ることができないのも現実です。アジアにおける戦争の責任とか過去のことは日本を抜きにして語られないわけです。もちろん、領土問題も現在、存在しているわけですね。その存在を認めながらも、超えるというスタンスを持つことによって、より広い視野が生まれてきます。ですから、発想力として国を超えたものを持ちながらも、足場はその国にはっきりと据えることが重要です。そこで実践することをやらないと、夢物語みたいなものに終わってしまうということだと思います。批判することは批判し合って、学ぶべきは学んで行くことが大事だと思います。

(3)歴史観を育てる歴史教育、その現状は?

Q:日本における歴史教育現場の現状はどうなっていますか。また、今回書かれた本は、学校で教科書としてどのぐらい使われていますか。

A:日本の教育現場での歴史教育は、主に暗記することが中心です。また、大学受験勉強のための歴史教育であるため、細かいことをいっぱい覚えなければなりません。しかし、歴史教育において大切なのは暗記力、知識の量ではなく、その質だと思います。こうした現状をなんとか変えなければならないと思います。

また、『未来をひらく歴史』は教科書ではなくて、元々中学校の副教材として作ろうとしたものです。大学では教科書にすることができますが、中学や高校では、文部科学省の検定を通過したものでなければ教科書にすることができません。日本の歴史科目は「日本史」か「世界史」かですから、三国で作った近現代史の本は、「世界史」というには東アジアが中心で他の地域の国が落ちているし、「日本史」としては中国や韓国のことがいっぱい出てくるので、どちらにも合っていません。また学習指導要領というものがあって、これに沿って本を作らないと教科書としては通過できないので、そもそも教科書にはならないだろうと思いました。

Q:歴史にあまり興味を持っていない学生や生徒たちにどのように興味を持たせるか、アピールできるかが気になります。

A:歴史に興味を持たせるためには、単に覚えるのではなく、考える力を養うこと、つまり、自分を歴史のなかに入れてみることが重要だと思います。例えば、この時、もし自分だったらどうなるんだろうとか。あるいは、もし自分が違う国で生まれ育ったらとか…。時代や空間を超えて自分の捉え方を洗い直すということですね。

そうした具体的なところから入って、それを検証し、調べることによって、その裏には何があるんだろうと問いかけをしながら、大きなところが見えてくるような形です。身近なところで言えば、自分のおじいさんの話とかを入り口として、その時代はどうだったのかということに乗っかりながら、自分との関係も見えてくる。こうすることによって学生は歴史に興味を持つことになるのです。つまり、歴史というのは、小さいところに全部宿っているわけですね。

Q:韓国の歴史教育についてどう思いますか。

A:客観的な意味付けをしないとならないのに、民族の英雄的な部分に強い思いを持って書くことによって、一つの物語、ある種の「神話」になってしまう側面があると思われますね。同じく日本でも、日本の戦国の武士とか明治時代のエリートだけを取り上げていますが。少数ですが、実際に朝鮮・韓国と協力し、手伝おうとした日本人もいます。このような人たちの話も取り上げるべきだと思います。

Q:日本の歴史教育では、植民地支配に関してあまり詳しく触れないようなイメージがありますが…

A:それは知りたくないから。自分の身を切ることは、あまり勉強しないわけです。ロマンがあるような英雄の話とか戦国時代とかは、ドラマチックだから、みんな関心を持ちますね。でも、朝鮮を植民地にしたことは、あんまり勉強しないし、知ろうとしません。これは両国の間にものすごいギャップがありますね。韓国人の人たちは自分の歴史の重要な部分だから絶対に勉強するわけです。日本の人も、国民的な歴史の体験とか、広島・長崎のように受けた被害については知っています。これはやられたことですから。しかし、加害については身を切ることになるし、痛めることになるから追及しないわけです。

Q:歴史観というのは大人になっても変わるんですか。

A:もちろん変わります。歴史観は、新しい研究や新しい発見があってそして、日々刷新していくものです。60、70歳になっても、習って新しい視点が入ることによって刷新される可能性があります。特に、韓国の歴史を日本の人々はよく知らないのです。中国の歴史は教科書などでそれなりに分かりますが、『未来をひらく歴史』を読んで韓国の事がはじめて分かった、という反応がありました。自分が持っていた観念のどこかを全面的に、または部分的に修正するということは十分にありうると思います。

Q:これからの歴史の行方は?これからの日中韓は?

A:一国だけの歴史では、自国中心の閉鎖的な認識に陥りがちです。共通の事柄を、一方からだけでなく、多面的に照らし出し、複合的な認識力を高めていくことによって、共通部分に対する認識は深まります。また、それぞれの状況を知りあうことを通じて、相手側に対する認識は深まり、認識の範囲が拡大されていきます。共通の歴史教材によって和解をめざす対話を重ね、一国のなかで閉じられた認識をひらいていくこと。それが、対立と紛争を越え、日中韓の未来をひらいていくことにつながるに違いないと思います。

Q:最近、ヘイトスピーチや領土紛争等、日中韓の関係が冷え込んでおり、このような現状は歴史認識とも深く関わる問題と思われますが、これに対して「歴史」の観点から提案できる解決策はどのようなものになるのでしょうか。

A:1985年5月、ドイツ敗戦40周年にあたって元ドイツ大統領ワイツゼッカーがおこなった演説は、「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」というフレーズで有名ですが、彼はこの演説の最後の方で、「ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とを掻きたてつづけることに腐心しておりました」と述べています。そして、「若い人たち」に、「他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい」、「たがいに敵対するのではなく、たがいに手をとり合って生きていくことを学んでいただきたい」と呼びかけています。私はこれに大いに共感します。

Q: 最後に、「希望の種」に一言お願いします。

A:歴史家の入江昭氏は、民間レベルで「知の共同体」をつくり、お互いに人類の歴史、自然の歴史、地球の歴史を共有すれば、主権や領土を問題にする国家間の緊張が高まったときも、それを相対化する視座が拓かれる、と述べています。時間はかかりますが、私たちも、歴史認識の交流を通じて東アジアに「知の共同体」をつくり、国家間の対立を相対化できる「知」の基盤を築いていきたいと思います。みなさんが、そうした「希望の種」となってくださることを願ってやみません。

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