6月 302015
 

何日か前に、韓国にいる友人と、このところ韓国を揺るがしている「マーズウィ
ルス」について話をした。その友人は、不安と恐怖を感じるといいながら、最後
に「次は何が起こるんだろう」とため息をついた。最近、マスクをしている韓国
の人々をテレビなどで見ると、友人の最後の言葉が脳裏に浮かぶ。去年の「セウ
ォル号」から「マーズウイルス」まで、大きな事故に遭遇した多くの韓国の人々
は同じことを思っているのではないだろうか。人は日常が日常でなくなると恐怖
を感じる、とある本で読んだ記憶がある。日常生活の中で、「次は私かも」とい
う不安と恐怖を感じるだろう。多くの人が感じている不安と恐怖を、単に個人の
問題だと片付けていいのだろうか。

長年、外国で生活をしていると、韓国のニュースを一歩引いて見るときがある。
自分の日常生活に直結する問題ではないときにそういう見方をする。しかし、リ
アルタイムで韓国のニュースを読むことができるこの数年間は、時折落ち着かな
い気持ちになり、普段の生活ができないときがある。毎日ニュースを確認し、し
ばらく連絡しなかった親戚や友人たちの安否を聞いたりしながら、自分は、彼ら
が感じている不安と怒りにどのぐらい「共感」できているだろうか、と考えざる
を得ない。

この数年間の、韓国での事件・事故とその処理過程を見ると、さまざまな行政上
のミスなど、人災と言われても仕方がない。その根底には「共感」というキーワ
ードが一つあると思われる。最近、韓国では「クールに」という言葉が流行って
いる。冷静に、客観的に物事をみるという意味で使われている。「クール」な人
は、格好よく、現代社会が要求している人間像のように思われている。それも必
要な部分だろう。しかし、「クールさ」ばかりが強調され、自分以外の存在の気
持ちに共感し、一緒に泣いたり、笑ったりすることが軽視されているのも現実で
ある。

「共感」は、他者との関係で最も基本になる感情ではないだろうか。人の痛みに
共感できない社会は、利己主義が蔓延し、その痛みは社会の底辺にいる人々に集
中して現れることをたびたび見てきた。人の痛みに「共感」できる社会こそ「と
もに生きる社会」と言えるだろう。

韓国で様々な事件・事故に遭った人々に「共感」できたら、もっと根本的な解決
ができたはずなのに、と思ったりしながら、いま私は何をすべきかを考えるこの
頃である。(日本在住のJIN)