9月 282015
 

洗濯物を干すのは下宿の屋上で。夏は最高によく乾く。

洗濯物を干すのは下宿の屋上で。夏は最高によく乾く。

午後4時。鍾路の路地裏にあるビルの一室に足を踏み入れると、入口脇の机には既に本日の即興翻訳の課題用紙が置かれています。ほとんど余白なく印刷されたA4の用紙には、天声人語やらスポーツエッセイやら、その日掲載された日本の新聞記事。そのプリントを手に、まだ誰も来ていない教室の最後列窓際の席に陣取ると、そこから授業開始までの2時間ひたすらハングルに翻訳です。なんで40過ぎてこんなところで髪振り乱して外国語と格闘してるんだろう、なんて疑問を抱いている暇はありません。狭い行間に、ただただ翻訳文を書き付けていく…。そのようにして、2014年8月の私は、修行の日々を送っていました。

“日韓の大使が束になってもできなかったことを、一人の俳優が成し遂げた”。そう、冬ソナが巻き起こした韓流ブームは、日本に興奮の渦を巻き起こしました。その渦の端の方に私もいて、ひっそりとハングル教室に通ったり、好きなドラマを楽しんだりしていたのでした。それがどういうわけか、あの頃の仲間が一人、また一人とハングルから離れるなかで私だけは妙に深みにはまり(笑)、気がつけば韓日翻訳などに手を出すようになっていました。

そうなると、体系的に学んでいないことや韓国での生活経験がないことがひどく不安に感じられます。さまざまに調整して、やっとこさ昨年夏、わずか3週間の短期留学を敢行しました。ところが、語学堂、特に私が選んだ大学の授業は文法が中心で、翻訳スキルを習得したいという目的とはうまくかみ合いません。午前で授業が終わるのももったいない。そこで飛び込みで、鍾路にある翻訳学院に1ヶ月だけ聴講をお願いしたのでした。

日韓翻訳授業の担任は50代と思われる学院長の男性でした。日本で通訳案内士試験に合格されただけあり、日本に関する知識は半端ではありません。最初の授業のとき、「佐賀県で有名なものは何か」と問われ、答えにつまった私は「…みかん、ですかね。」と答えて失笑を買いました。正解は「やきもの」。朝鮮出兵時に朝鮮半島から同行された陶工が伝えたのが始まりとされています。その日、私は「何も知らないネイティブ」というあだ名を頂戴しました。

がんばった日のご褒美は、ケランキンパブ(계란김밥)

がんばった日のご褒美は、ケランキンパブ(계란김밥)

授業は、院長が当日準備する即興翻訳の課題が1時間、続いて、予め渡されているテキスト15ページ分の翻訳発表が2時間です。生徒は20名ほどで日本人は私だけ。課題は全て日→韓の翻訳なので、私以外の生徒は外国語を母国語に置き換えるわけですが、私はその逆です。スラスラと巧みなハングルで訳していく同級生を片目で見ながら、文章も幼稚なら発音も稚拙な私=「何も知らないネイティブ」は明らかに劣等生。とにかく人の倍やるしかないと覚悟を決めました。語学堂の授業が終わると大学の図書館に籠ってテキストを予習し、さらに授業開始の2時間前には教室に一番乗りして即興翻訳をこれまた一人でしこしこ訳す。ソウルにいるのに明洞にも東大門にも行かず、ひたすら710番のバスで大学から学院に通い、470番のバスで学院から下宿に戻る日々…。

しかし、2時間早く教室に行くと、その分さまざまな光景を目にしました。

あるとき、無人のはずの教室で院長と大学生らしき男子がNHKの政治ニュースの動画を使って通訳練習をしていました。日本の国会審議を伝える内容は、日本人の私にも難解な部類です。学生は途中で訳せなくなり、少しふてくされたように、「僕、もともと政治に関心ないんです。」と言い放ちました。すると院長は、授業とは別の厳しい表情で「これくらい訳せないと通訳兵は難しいんだ。お前の状況では、通訳兵以外、選択肢ないんだろ?」と低く返しました。2人の間に沈黙が流れ、最後列にいた私も、できるだけ目立たぬように、背を丸めていました。

また、教室に入ってみると私の定位置の席にコーヒーが置かれていたことがあります。誰かの忘れ物かと持ち上げてみると「ネイティブ、ファイティン!」という手書きのメモが貼り付けられていました。もちろんうれしかったのですが、それ以上に、声をあげて泣きたくなるような切なさに襲われたことを覚えています。

最後の授業で。この日本語を訳すならこういう形容詞のほうがいいんではないか、と珍しく自己主張してみると、院長は軽く口笛を吹いてこう言いました。「おお、いいね。じゃあウリ・ネイティブの選んだ形容詞で訳そう!」。ハングルを学んで10数年、おそらく私はこの時初めて、自分に「ウリ」が付加される?体験をしました。そして、付加されてはじめて、ウリという言葉の暖かさを知りました。

言葉と言葉、人と人。そこに何かが通い合い、また生まれる何か。きっとそのような積み重ねが、歴史を刻むべきなのでしょう。耳をすまして相手の言葉を聞き取り、丁寧に言葉を選んでいく。翻訳という作業を通じてですが、あの夏だけではなく今も、私の修行は続いています。

文:小山内園子/ハングル翻訳・リサーチャー