9月 282015
 

ここのところ、「落選運動」という文字を頻繁に目にするようになった。今回、「W-ing」の続きを書く予定だったのだが、「落選運動」に質問されることが多くなったので、「W-ing」をお休みし、韓国の落選運動を取り上げてみたい。

古巣に顔を見せた朴元淳市長

古巣に顔を見せた朴元淳市長

2001年の第4回社会文化の大会(http://japansocio-culture.com/taikai/)では、当時参与連帯事務総長だった朴元淳(パク・ウォンスン)氏をスピーカーに迎え、「落選運動」についてのお話をしていただいている。「落選運動」は、正式には「落薦・落選運動」という。議員資格がないと判断した候補に対し、政党が推薦(公認)することに反対し、それでも推薦するようだったら、落選運動をするという2段構えがこの「落薦・落選運動」だ。

2000年の「落選運動」について詳しく紹介されていないか、改めて参与連帯のホームページを見てみた。設立20周年にあたる2014年に、参与連帯の機関誌『参与社会』で、創立メンバーの一人であるチャ・ビョンジク弁護士が当時を振り返る連載をしている。出だしの部分はこんな文言から始まっている。

“この7人の人物は戦死です。銃と刃物を持たな戦士です。”
 2001年6月28日、当時ソウル地方裁判所4階の刑事法廷で総選挙連帯事件の弁護人はこのように弁論を始めた。“被告人は闘うためにこの裁判の法廷に立ったのではありません。
被告人がこの法廷に立つ前に闘ったその闘いの正当性に対する評価物を得ようと、被告人という一時的な修飾語を拒否しないということです。”
 7月12日、ソウル地方裁判所第23刑事部はチェ・ヨル、チ・ウンヒ、パク・ウォンスン、チャン・ウォンに、罰金500万ウォンずつ、チョン・デファ、キム・キシク、キム・ヘジョンには罰金300万ウォンずつを宣告した。罪名は公職選挙および選挙不正防止法違反だった。7人の戦士は、市民を代表して政治行動に出たのであり、市民の意思にかなっている限りは、選挙法違反も恐れなかった。※

以下。チャ・ビョンジク弁護士の文章を要約、抜粋する形で紹介したい。

1999年には、参与連帯をはじめとした40の団体が、「国会議員の評価」ということを目標に、「国政監査モニター市民連帯」を発足させた。しかし、議会の常任委員会の傍聴はいくつかしか許されず、市民団体に露骨に横暴な態度を示した議員たちに対する怒りが、「反民主的意識を表わした議員は翌年選挙で落選させなければならない。」ということに繋がっていったのだという。しかし、労働運動以外の団体は選挙運動ができないという壁に阻まれたが、2000年には、参与連帯、環境運動連合、女性団体連合が中心となり、総選挙市民連帯準備委員会を結成したのだという。始めにまず、50ほどの各団体に提案書を送り、参加するという返事が30団体から帰ってきた。事前に500名に世論調査をしたところ、落選運動に賛成するという意見が79.8%、不法でも押し切らなければならないという意見が71.8%だった。

当時の臨場感あるやり取りを、チャ弁護士が書いている。

2000年1月初め、朴元淳は実務者に激しく叱責した。「政界と市民社会の真っ向勝負だ。
500以上の団体が参加しなければ、最初から発足など考えるべきではない。」
戦略修正のための会議が開かれた。首都圏に限定しようとした落選運動の範囲を全国に拡張する計画は不安で自信もなかった。だが、その日の夜、300通を越える提案書を発送した。その結果は、まるで落薦落選運動の結末を予告するかのように驚くべきだった。
毎日100団体ずつ加入申請をしたが、1月12日スタート宣言は全412団体の名前で行うことができた。※

相当な覚悟をもって始まった運動だった。不正行為、宣教法違反、反人権の前歴、不誠実な国会での活動など、選定基準を7つ設定し、対象名簿を作成した。本格的に運動を開始しようとしたとき、1,054の団体が「総選挙連帯」のもとに名前を連ねた。2週間の間に2億ウォン(約2千万円)の寄付金が集まり、数100人の市民や学生たちがボランティアを支援したという。そして、対象者を決定するのに、検討会を積み重ねている。

政策諮問団と弁護士諮問団、そして有権者100人委員会の検討を経て86人の最終的な名簿と22カ所の集中的に運動する地域を確定した。※

このように、多くの人たちの検討を経て対象者が確定されたようだが、その過程は、一筋縄ではいかなかったと、チャ弁護士は回想している。
運動を進めるにあたっては、マニュアルが作成され、執行部メンバーは、対象候補を一人ずつ担当して街頭に出て訴えたそうだ。また、当時のことをこう書いている。

各地区ではしばしば衝突が起きた。
落選運動家が該当地区の候補の支持者にと思えば、払いのけられるかと思えば、小麦粉の洗礼を受けることもあった。
雑音で騒がしくなれば、すべて総選挙連帯の責任が問われることは明らかだった。
朴元淳が機敏に平和規則遵守を宣言した。
“殴られたら、甘んじて殴られる。
物品を奪うのならそっくり奪われる。
暴力や悪口の前では平和のマスクを使ってその場に座る。”
韓国の市民社会が総結集した運動だった。
その中心に参加連帯があった。※

このような全国的な運動の結果、「落薦・落選運動」は、全体の落選率が68.6%、86人の落選対象者のうち59人が落選するという予想以上の結果を得たというのは周知の事実だ。
選挙違反は、控訴審裁判において、ソウル高等法院は、すべて罰金を50万ウォンに減額し、大法院で確定した。

チャ弁護士は、最後このような言葉で締めくくっている。

選挙法第87条の違反ではなく、選挙運動の方法の違反による有罪の前科の記録は、政治改革を熱望した市民に代わって受けた総選挙連帯の勲章に違いない。
“私たちは決して無罪を乞うことや善処を訴えません。
市民不服従、その現実の神話だけは消えないだろう。”

挨拶をするチョ・ジョンネ氏

挨拶をするチョ・ジョンネ氏

参与連帯21周年会場ロビー

参与連帯21周年会場ロビー

9月10日、参与連帯21周年を祝う行事が行われたとき、偶然ソウルにいたこともあり、その行事に参加した。行事は世宗文化会館のホールで行われ、広いホールには30ほどの円卓が並び、市民団体の代表者や、会員が参加していた。『太白山脈』の作家として著名な趙廷来(チョ・ジョンネ)さんの挨拶から始まり、会員の紹介まで工夫がこらされたプログラムで、これまでに参与連帯の歴史を物語る時間でもあった。(桔川純子)

※ 参加連帯20年 20の場面 Scene #03 「街頭の神話、市民不服従 - 2000 落薦落選運動」からhttp://www.peoplepower21.org/Magazine/966908