10月 272015
 

時は2000年1月に遡ります。「韓国ってどんな国なんだろう?」私が初めてそんなことを考えたのは、映画『シュリ』を見たことがきっかけでした。お恥ずかしいことに、それまでの私が韓国に対して抱いていたイメージは、高校の時に世界史で学んだ知識が全て、海を挟んだ隣の国、儒教の国、統一教会とかいう団体がある国という程度でした。一本の映画が与えたインパクトは大きくて、その後の韓国映画ブームもあり、見られる映画があれば見に行くようになりました。

そんな中、2002年のワールドカップを迎えます。ニュースで見たソウル市庁前を埋め尽くすレッドデビル達の熱気「そのエネルギーはどこから来るのだろう?似ているようで違う何か、韓国について、韓国人について知りたい」という純粋な好奇心が、私を韓国語の道へと駆り立てました。

独学で韓国語を始めて1年ほどたった頃、韓国に行く機会を得ました。初めての韓国は、ドキドキの連続。ハングルを読めるようになったとはいえ、会話はほとんどできないし、慣れない街のにおいと、人や車のスピードに目を白黒させていました。地下鉄に乗って地図を開いていたら、「どこへ行きたいの?」と声をかけてくれる人がいたり、知り合いになった韓国人が食事の仕方を教えてくれたりと親切な人がいる反面、韓国語を知らないからと影で何か言っている人がいたり、良い事も悪い事も。

国立ハングル博物館を見学。無料で学べる楽しいスポット

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2003年8月、最初の訪韓から間もなくして、私は韓国語を本格的に学ぶため、今も通う学校の門を叩きました。韓国語の扉を開いてくださった先生方、共に学ぶ友人達、そして、その人脈を通じて大切な友人Jと知り合いました。それが、今から8年半前になります。初めてJと出会ったのは、東大門のポッサム屋さん。3名の韓国人と5名の日本人が韓国語を通じて交流するという構図だったのですが、その中でも彼女は一番控え目ながら、通じ合える部分を感じたのです。日本に戻ってから、メールをするとすぐに返事が返ってきて、その後、やりとりが始まりました。

彼女は私にいろいろなことを教えてくれました。韓国について、韓国人について、韓国語について、生き方について・・・『情』と『ウリ』という言葉の意味を私は、Jという存在から知ることになります。Jが入院してお見舞いをした時のこと、家に招いてくれたこと、遊びに行ったり、食事をして楽しく過ごしたこと、Jが付き合っていた人と別れた時のこと、いろんな時間を共にし、多くの会話を重ねたこと、それは、私が韓国に対峙する時の基盤となりました。

私が付き合っていると思っていた韓国人男性からひどい仕打ちを受け、苦しくて耐え切れなくなってJに電話をかけた時のこと、J:「そっちへ行こうか?」私:「ううん、大丈夫。」夜の12時を回っていたのに1時間以上も電話に付き合ってくれた彼女。電話を終えた頃、悲しみは半減し、涙は枯れて、携帯電話は熱くなっていた事を今でも覚えています。感情的な私が、韓国語で話していると冷静になれることに気づいたのでした。私の一番みっともない姿を知っているJ、いつでも会えるというわけではないけれど、会えば思わずハグしちゃう、大切な大切な友人。彼女が「ウリ直子」と呼んでくれた時、私はそこにすごく大きな愛情を感じました。

親友Jと南怡島へ。人生の深い話を交わした半日旅行

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Jは今、夢を叶えるために頑張っています。いつか、絶対にその夢を叶えるという強い意志を見せてくれた彼女は、8年半付き合ってきた中で、一番輝いて見えます。時を同じくして、私も夢に向かう決心をしました。年齢や難しさを言い訳にして現状に甘んじてしまうという考え方を捨てることができたのは、韓国語が私にきっかけを与えてくれたからに他なりません。韓国を知り、Jに出会って、変わった私。好奇心から始まった韓国語が、今は私の夢になりました。

通訳という仕事に向かう時、大切なことは、冷静に人を見ること。クライアントが欲している言葉にならない要求を汲み取り、解釈して、相互理解を促す手助けをすること。初めて通訳を経験した時、頭の中が真っ白になりながらも、そんなことを学びました。そんな私の傍らで、互いの言葉を知らない高校生達が、片言の英語で意思疎通を図っていたことがとても印象的でした。相手を知ろうという姿勢、それさえあれば、流暢に言葉が通じなくても(むしろその方が)強いインパクトと共に心に刻まれるということを教えられた気がします。今の政府ができないことを、子供達はいとも簡単に行ってしまうということ。その事実。

一番大切なことは、幸せは人と人との関わりの中にあり、相手を理解しようという好奇心とその思いから生まれるということ。韓国語で言うところの、ウリ ソロ(私達 互いに)です。一歩ずつ、歩み寄ることが始まりのきっかけになるということを韓国語が私に教えてくれた気がします。(通訳者・作家志望N)