11月 262015
 

地上の楽園、済州島? 地下を心配する暮らし

『済州紀行』という本がある。済州大碩座教授(【訳注】企業や個人が寄付した金で研究活動をするように大学が指定した教授)であり、民俗学者、海洋文明史家であるチュ・ガンヒョン氏が去る2011年に書いた本だ。週刊誌「時事IN」はこの本を紹介するにあたって、「あまたの済州関連書、この本で終わり!」と述べた。この本の著者は本を書いた理由を「済州文化の表皮ではなく、原形質に接近することを希望する人があれば、そのような接近を助ける手引きあるいは呼び水役をする本が必要だと思った」と述べた。「時事IN」は『済州紀行』を、済州をよく理解できるただ一つの本だとまで言っている。済州を訪れる人が毎年一千万人を記録し、陸地から済州に移住してくる人は毎年一万人に及んでいるが、済州の歴史・文化的実態を説明してくれる資料とプログラムを手に入れることが困難だからではないだろうか。『済州紀行』が書かれて3年たったが、状況はあまり変わっていない。

ユン・ヨンテク済州大哲学科教授が3月25日「済州の農村文化に出会う」というテーマで初講義をした

ユン・ヨンテク済州大哲学科教授が3月25日「済州の農村文化に出会う」というテーマで初講義をした

移住者たちのための済州暮らし学校

このような状況で、済州環境運動連合は済州移住者を対象に「済州暮らし」学校を開いた。去る3月25日から4月27日までおこなわれた済州エコ帰農・帰村学校がまさにそれだ。もちろん以前にも自治体や農業技術センターで帰農・帰村学校を行っていた。済州環境運動連合は、既存の帰農・帰村学校との違いを「最近、済州に帰農・帰村する人口が急激に増加している状況だが、かれらを対象にした教育は農業技術に限られており、済州島の独特な環境と文化を理解させ済州島定着を助ける教育は皆無なので計画された」と説明している。このたびの帰農・帰村学校は、「済州に住む」をテーマとして △済州の文化と歴史を理解する △済州で暮らす △済州で農業をする を中心に全部で14回にわたって教育がすすめられた。1月に済州島に来たわたしもまた、済州の独特な環境と文化を理解したくてこのたびの教育を受けることになった。

済州は言うまでもなく火山島だ。ユネスコ生物圏保全地域、世界自然遺産、世界地質公園に指定された生態環境の宝島だ。しかしながら、済州島は風、水、旱魃という災害が多く、その被害が甚だしいので三災の島と言う。済州の人びとは、三災の不毛な自然環境の中で自然と共存するエコ文化と独立的でありながら共同体的な暮らしの文化を形成してきた。

夫ごと、妻ごとの複合扶助

済州には慶弔時に父母と子ども、夫と妻がそれぞれ別々に複合扶助をする特異な互助文化がある。このような複合扶助は、済州の人びとが不毛な自然環境の中で生き残るためにできた「自立共存」の文化から生まれた。済州島では陸地とは違って子どもが結婚することになると、徹底して分家する家族制度がある。すなわち、子どもが結婚すれば父母と子どもは独立生活をするのだ。ひとつの垣根の中に住んでいても、父母の家族と子どもの家族は炊事を別にするだけでなく耕地を分割して独自の生産経営体になる。

父母と子どもの間が独立的な暮らしであるだけでなく、夫婦間でもある程度独立した経済活動をするようになっている。言いかえれば息子だけでなく娘にも財産相続がなされ、父母の葬儀のときも息子、娘の区別なくそれなりに役割と責任を負わなければならない。その結果、慶弔時でも父母と子ども、夫と妻がそれぞれ別々に複合扶助をする特異な互助文化もできた。徹底した分家制度は自然にまた別の共同体的な暮らしを生み出した。ユン・ヨンテク済州大哲学科教授は「徹底した分家制度は他人に依存せず自立する伝統を生み、夫婦間や男女間でも平等を追及する社会になって行った。そのような自立と平等は互いに助けを必要とするとき、いつでも助け合う共同体文化に高まって行った」と強調した。 
済州の人びとは隣の家にスプーンがいくつあるか知らなければ気が済まないほど、共同体意識が強い。済州の人びとは「別々に」自立した暮らしと「一緒に」共存する暮らしの間でダイナミックなバランスを取って来た。

済州にはチョンククジャンがない

済州の人びとはチョンククジャン(【訳注】味噌の一種で大豆を発酵させたのち,唐辛子粉と塩を入れてすりつぶしたもの)を食べない。済州島のどこを探してもチョンククジャンを売っている食料品店はない。それはなぜか。チョンククジャンは味噌の代用品だ。陸地では味噌を発酵させるのに1年ほどかかる。済州島の気候は味噌の発酵にとてもよい条件だ。済州では味噌の発酵は7~8カ月ほどで済む。発酵期間が陸地より短いので、済州では味噌が無くなったときその代わりにするために、早く発酵するチョンククジャンを漬ける必要がない。さらに済州の在来式味噌は生で食べられるほど臭みがなく香ばしい。済州の人びとは味噌を冷水で溶いて冷や汁として食べる。ナムルも味噌で味付けする。汁も味噌を溶いて煮れば済む。「済州の自然を盛った食卓」を講義したヤン・ヨンジン済州郷土食品保全研究院院長は、済州の味噌の素晴らしさを強調した。

「発酵食品がよい理由は、消化器系統によいからです。免疫力を高める食べ物は腸によい食べ物です。チーズ、ヨーグルト、キムチ、味噌など発酵菌が活きている状態で食べなければなりません。味噌は煮ると発酵菌が死にます。済州島の味噌は生で食べられる味噌です。発酵菌が生きているまま食べられます。」

済州の人びとが味噌を生水で溶いて冷や汁で食べるのを見て、陸地の人びとはそれを一体どう食べるのかと仰天したという。陸地の観点で済州島の味噌を見ているからだ。済州の伝統的な食べ物は、材料の新鮮さを第一にして旬の食材で料理をする。味付けも味噌が主で単純だ。見かけはよくないが食材の運搬距離は短く、自然なローカルフードでありスローフードだ。ヤン院長は「済州の人びとのように暮らすことは、表現はおかしいかも知れないが済州の食べ物のように無骨に暮らすこと」だと言い、「済州島に来て、ソウルでのように暮らそうとしてはならない」と述べた。最近、済州の在来式味噌をつくる村の企業、社会的企業が増えたそうだ。済州に来たらミカンやハルラボン(【訳注】デコポンに似た柑橘類)だけでなく、健康によくおいしい済州味噌を買って帰るのもいいだろう。

サリョニ森の道はチョルムル自然休養林からムルチャオルムを通って南元邑(ナモンウプ)のサリョニオルムまで続く森の道だ

サリョニ森の道はチョルムル自然休養林からムルチャオルムを通って南元邑(ナモンウプ)のサリョニオルムまで続く森の道だ

三多水は何歳か

ヒョン・ウォンハク済州生態研究所長は「済州の自然から解き明かす心暮らし紀行」という講義をサリョニ森の道と橋来(キョレ)コッチャワル森でおこなった。ヒョン所長は「三多水(【訳注】済州産のミネラルウォーター)の年齢はふつう25~26歳ほどになる。25~26年前に降った雨をわれわれがいま飲んでいる」と説明した。空から降った雨水はそのまま火山性土壌を通過し地の底に下って行く。済州の森と土壌は生きている水を地下に保管していて25年過ぎてから人間にプレゼントしている。済州の自然が人間に贈る清浄な水を企業が私有化して金儲けの手段にしていることも大きな問題だが、環境汚染によってしだいに飲める水自体が減ってきている。ヒョン所長は西帰浦(ソギポ)大静邑(デジョンウプ)東日里(トンイルリ)で、千年間住民たちに飲み水を提供し、2000年代初めに閉鎖されたソリン水源地の例を挙げた。ある日、窒素含有量が基準値を超えて飲み水として使えなくなった。その原因を分析してみると、30年前水源地の近くにできた畜産団地の糞尿が水源地の水を汚染していた。その破壊的な結果が30年後にあらわれた。飲み水のない島に未来はない。ヒョン所長は美しいサリョニ森の道でつぎのように述べた。

「済州島の地上の景色を見ると実に美しい。たくさんの人がここで地上の楽園を夢見る。けれども地下を見てみると、インディアンの暮らしをせよと人びとに語っている。」

「済州の農村文化」をテーマに講義したユン・ヨンテク済州大哲学科教授は、ヒョン所長の話を全地球に拡張した。インディアンの暮らしは済州島でだけ必要なわけがあろうか。

「陸地から遠く離れた島々は、空間は制限され資源は限られているという点で、地球と似ている。そのため、島々の過去は人類の未来に対する一つのよいモデルだ。済州の人びとが困難な逆境に勝ち抜いたのはひとことで言うとエコ的に暮らしてきたからだ。」

いつの日か、この碑に済州4・3の名前を彫って立てよう

済州島と済州の人びとを理解するためには、抵抗の連続だった済州の歴史と4・3抗争を知らねばならない。済州は、高麗に服属するまでは完全な独立国だった。国号も「耽羅(タンラ)」(諸説があるが)であり、高麗時代に「海の向こうにある村」という意味の済州に変わった。耽羅の滅亡と時を同じくして独立と自治に対する熱望から抵抗と平定が繰り返された。近現代史だけを見ても、抵抗と抗争の連続だった。そしてその中に現代史の最大悲劇、4・3抗争がある。キム・ジョンド済州環境運動連合政策チーム長は「4・3を見る視角は三つある。暴動、ジェノサイド(大量虐殺)、抗争だ。済州島民たちは4・3を抗争と見る人が多い」と述べた。済州市奉蓋洞(ポンゲドン)に4・3平和記念館がある。平和記念館展示場の入口を入ると、「白碑」が置かれている。ことばどおり何の文字も書かれていないまま横たえられている。白碑の説明はつぎの通りだ。「いつの日かこの碑に済州4・3の名前を彫って立てよう」。東学農民戦争、5・18民主化運動、4・19革命などは、数字の後にその歴史的事件の性格と本質を規定した名称がある。4・3は今年初めて国家記念日に指定されたが、白碑はきちんとした歴史規定がいまだ下されていないことを示している。

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済州環境運動連合が主管し「美しい店」が後援したこのたびの学校を通じて、済州の生き生きした暮らしの話を聞き、見、触れることができた。文化連帯活動家として5年前済州に下ってきたチ・グムジョン、ポニー博物館長は「帰村した先輩から聞く済州暮らし」という講義をした。生き生きした済州の農村の話を聞かせてくれた。本人の定着過程で経験した困難をもとに、参加者たちの耳に沁み込む助言をしてくれた。都市生活をしていて帰農しエコ農業をしているキム・ソンウ氏の話は懸念?と勇気をともにあたえてくれた。済州エコ農業の歴史と現状も聞くことができた。キム・キホン、センドゥル営農組合常務は「済州で出会うエコ農業」というテーマで講義をした。楽しかった。ヤン・ヨンジン済州郷土料理保全研究院院長は「済州の自然を盛った食卓」、オ・ヨンドク済州環境運動連合共同議長は「済州の香りを味わう」というテーマで参加者たちにまた別の自然をプレゼントしてくれた。このたびの学校に通った結果、家を建てることにも挑戦してみるという参加者も生まれた。ラ・ヘムン子どもの遊び場事業団長が「エコ建築と農家住宅リモデリング」、ホ・ユンソク環境運動連合会員が「済州農村で活用可能な適正技術」という講義を通じてエコな暮らしの実践方法を示してくれた。ジョン・サンベ済州環境運動連合共同議長は、済州島の景色を深く体系的に理解できるように「生態環境の宝島」という講義をした。

済州環境運動連合は、このたびの1期済州エコ帰農・帰村学校の経験をもとにプログラムを保管し、2期学校を開く計画だ。具体的な時期は決まっていない。1期修了生たちは今後集まりを続けることにした。済州環境運動連合と講師たちは、修了生たちの定着を助ける師匠の役割をする。済州移住民たちの定着を助ける美しい学校は終わることがない。今が始まりだ。

文:パク・ジニョン/前公共運輸労組連盟組織局長

原文(韓国語): http://www.pressian.com/news/article.html?no=116817

翻訳:コリ・チーム/波多野淑子