12月 272015
 

わたしは社会福祉士だ。光州市光山区庁で福祉業務を担当している公務員だ。普通の福祉の領域よりは、新しいことに胸が躍る公務活動家だ。福祉運動で世の中を変えることを願いつつ毎日働いている。

最近、地域での共同体の活動が活発だ。地方自治の発展と福祉国家の風にふさわしく地域社会の福祉の現場が変わりつつある。このような変化を代表している福祉機関が、まさにわたしたちの地域にある「ともに楽高齢者福祉館」だ。自治の時代を開く新しい高齢者福祉館のモデルだと思うので紹介してみよう。

「ともに楽高齢者福祉館」、新たに生まれる

光山区高齢者福祉館は2005年4月に開館した。ほかの施設同様、運営は民間委託だった。どこの高齢者福祉館とも同じように要望や請願がたくさんあった。そのためうんざりした委託法人は、委託期間が満了すると再委託を断った。そのとき光山区は高齢者福祉館を思い切って公立「公営」施設に変えた。2011年1月のことだ。そのときから画期的な変化が始まった。

高齢者福祉館の名前を「ともに楽」と名づけた。最初の変化は組織体系から始まった。これまでは行政支援チーム、余暇支援チームと健康支援チームだった組織を、行政支援チーム、高齢者福祉チーム、共同体経済チーム、地域福祉チームなどに変更した。高齢者たちを単なるプログラム対象者ではなく当事者とする思考の転換だ。地域社会と共感する共同体福祉の土台を作ろうという趣旨がこもった改編だ。最初から大きな抱負を抱いていた。2年単位で段階的中長期計画を立てた。高齢者たちを対象者から主体に変える共同体福祉基盤造成期(2011年~2012年)。福祉館、塀を越えて地域へ、のモデル定着期(2013年~2014年)。全国的な巡礼地としてモデル拡散期(2015年~2016年)。現在はモデル拡散期にさしかかった。

リーダーの役割

新しい運営体系ができたので、公務員も、福祉館もうろたえた。区庁が福祉館の収入と支出を直接執行するので、行政との関係が負担に感じられ不便だった。区庁と洞住民センターなど行政はそれまでは補助金を支援し指導監督するだけだったが、仕事が増えた。福祉館と行政、両者の信頼と融合の過程が必要だった。

このような変化にはリーダーが大きな役割を果たした。新しい福祉館の実験を主導したのは、新しく迎え入れたカン・ウィウォン館長だ。地域主義者であり福祉運動家であるかれは農村共同体モデルの「与民同樂」代表で、地域財団の「ツギャザー(together)光山分かち合い文化財団」を設計し実践している社会運動家だ。3階の館長室は毎晩明かりが消えることがない。その姿を見守って来た高齢者たちは若い館長を信頼し始めた。リーダーは情熱で人の心を変え、気持ちを変える堅実な計画を立てた。

高齢者、対象者から運営の主人に

福祉館に入ると真っ先に目に入る垂れ幕だった。「地域の高齢者一人を失うことは大きな図書館がひとつなくなるのと同じだ」 高齢者はただ福祉財政を消費する人ではない。これは地域の元老であるかれらの知恵と経綸(*国家を治めるための方策)を地域社会に還元できるように手助けする活動、すなわち福祉館の哲学をひとことであらわしたものだ。

夜も門を開いている開かれた福祉館、「地域の高齢者一人を失うことは大きな図書館がひとつなくなるのと同じだ」と書かれた垂れ幕が掛っている。

夜も門を開いている開かれた福祉館、「地域の高齢者一人を失うことは大きな図書館がひとつなくなるのと同じだ」と書かれた垂れ幕が掛っている。

高齢者を社会の中心に立たせることの初めは、自治会運営だ。30数人の会員で構成された自治会は、運営全般はもちろん、行事、プログラムの講師採用まで、高齢者たちの手でなされる自治の現場だ。たとえば、地域の喫茶店や図書館をつくったときは、自治会の決定に従って寄付金上限制を定めた。だれもが気軽に参加できるようにしようという提案だった。高齢者たちの知恵が、そこにはあった。自分たちでプログラムの講師を採用することによって、講師に対する不満がなくなった。責任を感じたからだ。

「ともに楽」大同会も注目すべき現場だ。これはスイスのランツゲマインデ(スイスのアッペンツェル・インナローデン州とグラールス州の最高議決機関で、住民が毎年一回ずつ集まって州法を定め州知事、州政府官吏などを選出する)を試みている最高の地域広場だ。高齢者たちが議題を提案し発表し決定する過程が民主主義の現場だ。大同会は毎年2度ずつ、地域の祭りとしておこなわれている。

前回の大同会では敬老食堂の配食方法を決めた。狭い駐車場を広くしてくれと駄々をこねるのではなく、月に一度は車がない日を定めようという提案も緑色の賛成票を獲得した。

地域の大同会で賛成・反対の投票をしている

地域の大同会で賛成・反対の投票をしている

このような福祉館の試みは、住民みずから地域の福祉議題を提案し決定する「地域灯台」と住民会議も生み出した。「地域灯台」は、隣人が隣人の様子を見守り手助けする共同体運動だ。地域住民が福祉の議題を発掘し議論したのち互いに助け合う。21洞の住民たちは住民会議を通じて予算を編成する地域事業の優先順位を定める。住民が決定すれば行政はそれにしたがう。

行政の支援なしに完全に高齢者たちの後援金と才能寄付で作られた地域喫茶店と地域図書館もある。高齢者たちみずからも、地域のためにおこなった最初の社会文化運動だと評価している。素敵な分かち合い活動もある。社会活動支援事業(働き口)に参加している高齢者たちは、月20万ウォンの給与から5千ウォンずつ遠くパレスチナの紛争地域の子どもたちに送っている。孫たちの名前で。素敵じゃないか。

「ともに楽」施設は、昼間は高齢者福祉の空間であり、夜は住民たちのクラブ活動と自治活動の空間になる。週末には3世代がともに集う青少年学校だ。祖父と孫が一緒に文を書き、絵を描く。地域の地図を一緒につくる。そういうとき、高齢者たちは地域の最高の案内人だ。

「ともに楽」施設は、高齢者たちが直接、書道や卓球などを指導する才能寄付の苗代だ。空間を提供する試みとしてだけでも、教育、社会参加活動のタネを育てる場所として門を開いた。実にさまざまな活動がおこなわれている。地域の消息を知らせる地域ラジオ放送、人文学塾が面白い。本を読むベンチ事業もある。福祉館のあちこちは本棚であり地域図書館だ。国宝級の高齢者たちの縫いものや料理のわざを若い主婦たちに伝える手わざ学校は、高齢者たちを堂々とさせる。

福祉館を出て地域へ

「ともに楽」の変化は、福祉館の空間を地域社会に開くだけでは終わらなかった。福祉館で働く局長や職員を果敢に政治、地域に派遣した。事務局長出身の区会議員が生まれた。高齢者たちはかれを派遣したと言っている。地域活動家として政治の現場で働けという重い命令だ。

またほかの福祉士は高齢者たちとともに共同組合を再構成して地域に場を移した。簡単ではない決断だが、「ともに楽」の実験領域を一段階ずつ広めていった。高齢者たちは光州・全南1号「ともに楽」共同組合に出資して第二の人生を始めた。香ばしい豆腐を作るまめまめしい手、豆腐づくり工場は大企業がうらやましくはない。利潤がなくても人と愛を結ぶ食堂、高齢者たちのおふくろの味が温かい。気品があって格好いいバリスタに会いたければ「ともに楽」カフェを訪ねよう。そこはすでに分かち合いと平和の空間だ。収益の10パーセントを福祉館の高齢者たちの活動のために寄付している。

学びなくして進歩なし。学習し討論する姿もまた「ともに楽」組織の力だ。毎週自主学習と作文講座をおこない、詳しく記録している。「ともに楽」は労働の価値を尊んでいる。それが福祉の根本だからだ。木曜日には作業服を着た福祉館の福祉士たちが農夫になって共同農場を耕している。栽培された各種の野菜は、体が不自由な高齢者たちにあげたり、地域食堂に納めたりする。かれらの労働があっぱれだ。

とくに子ども好きな福祉士は子どもたちの友になれる児童センターを選んだ。いまだに地方自治体の支援も受けられない劣悪な施設だ。地域ぐるみで子どもたちを育てている。彼女もまた「ともに楽」式派遣だ。かれらは真心あふれる活動家たちだ。

食堂協同組合の組合員たち

食堂協同組合の組合員たち

数々の困難

このような変化を妨げる困難もいろいろあった。一部では火災などの事故を心配した。夜遅くまで門を開いているので、火災や福祉館の備品の紛失などの心配があるというのだった。準備していなかった区としては、夜遅くまで勤務する職員たちに手当てさえ払えなかった。はなはだしくは区会議員たちさえ、高齢者福祉館を一般住民にも開放すると高齢者たちが疎外されるのではないかと反論を提起したりもした。

告白するが、新しいことをしようとすると、公務員はまずダメだと言う。規定がなく、予算がなく、事例がないからだと、、、。なぜそのように反応するのか。してはいけないという規定があるからではなく、しろという規定がないからだ。そのため初めての試み、初めての事例は重荷になる。「ともに楽」のこのような試みは心が弾みはしたが心配もあった。ともかく対価を望まない福祉館活動家たちの期待と献身があったために可能だったのだ。

2013年4月、最大の危機が訪れた。「ともに楽」の変わらぬ同志だった事務局長がいなくなった。福祉館の実務を受け持って几帳面に組織を率いていた素晴らしい福祉士だった。中長期計画をともに設計し光州の未来を夢見たかれが、癌の認定を受けた後、6か月で世を去ったのだ。同僚たちは悲嘆にくれ、高齢者たちまで悲しみにくれた。しばらくはかれのことが忘れられなかった。けれども逝った同志の役割まで果たそうと、同僚たちの名で告別式をおこなった。追慕の会も開いてふたたび力を取り戻した。
 
全国的な福祉巡礼地として

「ともに楽」が船出してからいつしか5年がたった。実にすばらしい航海をしている。高齢者たちが自ら新しい高齢者福祉館をつくり出し、いまや地域を変え、さらに大韓民国のモデルになっている。

全国の地方自治団体、福祉機関、社会団体が列をなして「ともに楽」を訪ねてくる。全国的な福祉巡礼地になったのだ。これまで約160回、3,400人が学びに来た。また「ともに楽」を紹介してくれという全国各地からの要請を受けて講演に出かけている。

職員たちはお客を迎えるために走りまわり、高齢者たちは直接福祉館を案内したり前庭に花を植えたりしている。腕まくりして掃除をする姿は見慣れた光景だ。2014年には小学校の教科書に「住民自治の優秀事例」として紹介されもした。去る10月30日、行政自治部主管、行政サービス最優秀賞を受賞するなど、多くの表彰と福祉部、学界、マスコミに注目され好評を得ている。関心と愛が寄せられるだけ、責任も重い。

地方自治の根本は「ひと」だ。光山区のすべての政策の基準は「ひと」だ。「ともに楽」福祉活動家たちは左手に手帳を持って住民の思いを尋ね、右手には雑巾を持って地域の中に入って行く。行政はこのような変化に柔軟に支援と支持をあたえ、またこのモデルを普遍化して広げようとしている。このような民間による柔らかい革命を支援するための行政組織が必要で、それがわたしが働いている福祉施設支援団が作られた理由だ。

わたしは運がいい

福祉担当公務員としてこのようなところで楽しく働くことができるので、変化を導いてくれる現場活動家たちの闘魂がありがたい。つねに現場が師匠だ。その中心に立ってくださる高齢者たちを尊敬している。温かい自治共同体「ともに楽」が自慢であり、またもっと発展することを祈っている。

文:オム・ミヒョン/光州市光山区福祉施設支援団長

原文(韓国語):http://www.pressian.com/news/article.html?no=131056

翻訳:コリ・チーム/波多野淑子