2月 122016
 

自然出産を経験してみたら…お母さんも赤ちゃんも楽だった

キム・スンシン自然助産院院長先月の23日、済州島で二番目の子供が産まれた。助産院で自然出産を通しての出産だった。今回、妻と自然助産院のキム•スンソン院長の二人をインタビューした。インタビューならたいがい書く人の思いが介入されるが、今回のインタビューは自然出産を見つめる自分の思いが劇的に変化することの記録でもある。8月7日、キム院長と助産院で会った。キム院長に自然出産について簡略に説明していただいた。

「自然出産は無痛分娩の注射と陣痛促進剤を使わず妊婦用ガウンも着ません。会陰切開もせず吸引分娩術も行いません。浣腸もしません。お母さんが分娩台の上で手も足も動かせないまま赤ちゃんを産むのではなく、暖かい部屋の中で楽な姿勢で産みます。病院での分娩は医療側に便利なシステムなのです。自然出産はお母さんが主体となります。お母さんを楽な状態にさせたまま出産をします。それこそ自然に任せます。」

自然出産に医療側の介入はまったくない。妊婦自らの力と意志が第一である。キム院長は「自然出産はお母さんが主体」だと強調していた。妻も今回の出産で「子供を自然の状態で産もうという意志が一番大事だと感じた」という。

妻は長男を病院で苦しい思いをしながら産んだ。その経験が次の子を自然出産で産むきっかけとなった。もちろん私は最初反対した。病院の出産の方が安全だとずっと考えていたからだ。多くの人が私と同じ考えをしていると思う。しかし、2010年6月に放送されたSBSスペシャル<自然主義出産の物語>というドキュメンタリー一本で私は変わった。二冊の本を読みながら妻と一緒に自然出産の準備をした。二冊の本とは自然出産の古典と呼ばれる<農夫と産科医>(ミシェル・オダン)と<暴力なき出産>(フレデリック・ルボワイエ)である。これらの本を書いた著者は両方産科医である。(産科医とは産婦人科で婦人科を除き子供の出産だけに従事する専門医。)

病院での出産はいつからどのようなきっかけで始まっただろうか。韓国では1989年、全国民に医療保険が適用されてからだ。世界的には1900年代のはじめ頃、アメリカにおいて病院での出産が広まるようになった。<農夫と産科医>によると、アメリカの産科学教授ジョセフ・デ・リーは病院出産の開始に著しい役割を果たしている。彼は1920年における有名な講演、および文章としても「分娩は病理的過程」と指摘する。また、全出産で鉗子、会陰部切開、鎮静剤、陣痛促進剤などの薬物投与を勧めている。病院出産が安全だという神話の裏側には、出産を自然な過程ではなく病理的な過程へと変えてしまったという不都合な真実があったのではないか。

長男は2010年11月に病院で産まれた。子宮口が全開したあと本番の出産が始まった。赤ちゃんが産まれるまでの時間は90分くらいで長男のときも次男のときも変わらなかった。二回ともかなりの時間がかかった。しかし、出産の現場は全然違った。私が体験した最初の分娩室では医師曰く「こうなると、お子さんが死ぬかもしれません」と叫び、看護師は妻に乗って粗暴にお腹を押していた。一言でいうと修羅場だった。私は手に衛生手袋をはめたまま見つめているだけだった。

妻が大変だったことの大きな理由のひとつは無痛分娩の注射だと思っていた。妻は「注射を打ってから自分の力をちゃんと出せなくなった」という。また、「ユンスル(長男)を産むとき、病院で患者として扱われるという点でも出産を大変なことにしてしまった」と強くいう。

キム院長は「注射を打ったからといって痛くないわけではないのです。いろいろな副作用もあります。無痛分娩の注射を使わないでほしいです」という。SBSスペシャル<自然主義出産の物語>でも無痛注射の副作用を指摘する。尿閉、妊婦の低血圧、高熱、陣痛の長時間化などの副作用を挙げる。キム院長は無痛注射などの薬物が子供に及ぼす危険性も指摘する。

「子供に及ぼす副作用の可能性もあります。10代の青少年期にパソコン依存症、薬物依存などの多様な依存症に陥るかもしれません。確率としては低いですが自閉児になる可能性もあります。」

<農夫と産科医>の中でも似たような指摘がある。著者は「スウェーデンとアメリカでの様々な研究によれば、お母さんが出産時に特定の陣痛剤を使用した場合に薬物依存症になる危険性が高い」と強調する。

妻は今回の出産で、どのような感触だったのだろう。病院での分娩時に「冷たさ」を感じたとすれば、今回は「楽だった」と言っている。なぜ冷たいと感じたのかを聞いてみた。妻は「とにかく私がしたくない姿勢をしなければならなかったし、体を動かすこともできなかった。午後1時を過ぎて子供が産まれたけれど、あまりにも明るかった。医師と看護師は叫んだり怒ったりもした」と当時を思い出した。また、「子供を無理やりに出そうとしていたことが、最後には陣痛よりもっと痛くて大変だった」という。

二番目の出産は大変だったけれど、前よりもずいぶんと落ち着いて暖かく感じた。院長も妻に「上手くいきますよ」と励ましてくれた。私もとなりで手をギュッと握って力を与えようとした。長男も自分の弟が産まれる場面を直に見ていた。妻のうめき声のほか、誰も声を発しなかった。必要なことは支持、激励、忍耐だった。
元気に産まれた二番目の子供

韓国では珍しいが、外国には「ドゥーラ」という職業がある。看護師や医師ではないけれど、出産の現場で妊婦をサポートし励ます人だ。アメリカではドゥーラを人間陣痛剤とも呼ぶ。ドゥーラの存在は医療側の介入を減らすという研究結果もある。「陣痛の時間が25%、帝王切開は45%減少した。薬物投与も30%くらい減少したことが明らかになった。」

「妊婦を励ましながらの出産だとしても出産自体は大変なこと。しかし、陣痛の際、病院ではとても暴力的な話が出たりします。妊婦の不安を助長するのは本当に最低の状況だと思います。ひょっとしたら大変なことになるかもしれません。妊婦の心が落ち着くと力は自然に出てきます。助産師のいいところですが、ドゥーラの役割も一緒にこなしてくれます。力も一緒に出して赤ちゃんが下がる時に「うまくいくよ」と励ましたりもします。どんな時に腰が痛むのかわかっているので、痛みが減少するようにサポートします。ドゥーラの役割を着実に果たすだけで出産の大きな助けになります。」

キム院長の言葉通り、暖かい一言や落ち着いたサポートが出産の大きな助けとなる。ウンユがゆっくりと下がってきてようやく産まれた。頭がすべて見えてから滑るように世の中へと降りた。長男のユンスルが産まれた時は、すぐ出産の喜びに浸ることができなかった。医師から「お父さんがへその緒を切ることはできません。お子さんが危なくないか見てみます」といわれ、へその緒も医師がハサミでちょきんと切ってしまった。子供は逆さにぶら下げられたまま産声をあげなければならなかった。妻と私はふたりとも産まれたての赤ちゃんを抱っこしたり撫でたりすることさえできなかった。しばらく顔を見ただけでおくるみに包まれたまま新生児室に移された。その後4時間が経ってから新生児室の赤ちゃんに会うことができた。

ウンユの時は違った。生まれてから100分間子供と家族たちだけの時間が与えられた。母も父も産まれたての赤ちゃんを抱っこした。母は大切な初乳を赤ちゃんにあげた。キム院長は「出産後の100分は、お母さんと子供の両方に愛情ホルモンがいっぱい出る時間です。この瞬間だけは完全に母と子の時間にしなければならないのです」という。へその緒もゆっくり切った。キム院長は私にへその緒を触らせその脈を感じさせた。思ったより脈は早かった。脈が落ち着いてから私は自分でへその緒を切った。すべてがちょうどいい暗さの下で静かに行われた。100分余りの時間が過ぎ、赤ちゃんは温かいお湯に入れてもらった。

今回へその緒をゆっくり切るべき理由を知った。赤ちゃんは母のお腹の中でへその緒を通して酸素が供給されている。しかし生まれてすぐ肺呼吸を始めなければならない。この過程が円滑にいかない場合、酸素欠乏が生じる。赤ちゃんは致命的な損傷を負うかもしれない。自然はこの危ない通過過程のために赤ちゃんが二倍の酸素を供給してもらうようにした。肺を通して、次はへその緒を通して。二つのシステムが一緒に働く。いったん母の体外に出た赤ちゃんは、まだ脈が早いへその緒を通して母とつながっている。4-5分かそれ以上の時間、へその緒は生きている。へその緒によって酸素が供給され、酸素欠乏を避けられた赤ちゃんは危険にさらされることなく呼吸問題を解決する。

ミシェル•オダンは自然出産を妨害すると「子供の愛する能力に損傷」をもたらすと強調する。集団的に子供の攻撃性を伸ばす必要がある社会ほどそういう出産文化になる傾向があると指摘する。さらに彼は、我々の文明の未来が著名な政治指導者よりも未来の助産院にかかっているとまで言っている。フレデリック•ルボワイエは<暴力なき出産>の中で、医者や看護師の叫ぶ大声、赤ちゃんの目を眩しくする灯り、産まれてすぐ切られるへその緒、赤ちゃんを逆さにぶら下げる行為など、病院の出産システムが赤ちゃんを尊重しておらず暴力的であると主張した。続けて彼はいう。「スパトゥルクス人は新生児を床に投げつけた。」

自然出産はいいが、万が一危ないことになったらどうするのか。多くの人々が問いたいことだ。私もウンユが産まれてからこのような質問を周りの人からうけた。実は私も助産院で子供を産むことが危ないと思っていた。自然出産に関する勉強と助産院で行う教育プログラムを聞いてから思いが変わった。キム院長は「赤ちゃんの心悸が止まったり、妊婦の出血が多い場合は危ない。ドップラー法やトラウベ型聴診器のような道具でも赤ちゃんの心悸を確認できる」という。続いて「出産後妊婦の出血がひどかった場合、助産院と連携している病院へすぐに送ったので今まで大きな問題はありませんでした」と強調する。実際95%の妊婦は自然出産が可能だ。自然出産に向いていない妊婦は、出産の前に助産院と病院での診療で概ね明らかになる。この社会は世界的にも出産の前に超音波診断を受ける回数が高い国に属する。キム院長は「女性が子供を産むのは自然なこと。それほど危ないことではありません」という。さらに、出産への漠然とした不安、母と父の準備不足が自然出産を遮っていると指摘する。それで自然出産はいつも教育が大事となる。キム院長は「母と父の心が楽だと出産はうまくいきます」という。

妻は二番目のウンユを出産して、長男の時より体調もかなり良く回復も早かった。会陰部切開をしてないことも大きい理由だ。また、出産が穏やかで平和的だったか、また赤ちゃんを無理矢理出そうとありとあらゆる騒ぎを起こしたかの差が妊婦の体調にも大きく影響を及ぼした。

私たち夫婦共々自然出産がとてもいい選択だったと思っている。長男も弟が産まれる場面に立ち会ったからか、ヤキモチも焼かず赤ちゃんを可愛がってくれる。母が赤ちゃんを抱いているときのお使いもよくやってくれる。ひどいいたずらっ子でやんちゃな5歳の男の子がそうなのだ。ユンスルとウンユ、可愛い名前だが二人とも男の子だ。「ウンユ」は修辞法としての隠喩(ウンユ)、それから今は忘れ去られたが古語としても使われていた。古語として「ウンユ」は「愛重の念を持って愛する、もしくは広い心で恩恵を施す」の意味だ。自然出産にとてもふさわしい名前のように思える。「ウンユちゃん、世の中を隠喩(ウンユ)する人として、また人をウンユする人として生きるように」。
長男と一緒に寝ている下の子供

済州島の子供7000名が産まれた場所、キム・スンソン自然助産院

キム・スンソン(62歳)自然助産院院長は32年の間助産師として働いてきた。今まで彼女のもとで産まれた子供が7000名を超える。1983年2月に助産院を開いた。最近はキム院長のもとで30余年前に産まれた子供が妊婦として訪れキム・スンソン自然助産院で子供を産んだという。

助産院助産院といえばお金がない時代に病院の代わりに行っていた場所として思われがちだ。1989年全国民に国民医療保険が適用され多くの助産院が衰退していった。しかし済州島は違った。キム・スンソン自然助産院はその後も妊婦たちが訪ねてくる。私たち夫婦は今年の1月済州島に移住した。済州島で知り合った知人たち、妻の職場の同僚たちも助産院で子供を産んだ。このように済州島では多くの人が自然出産をしている。キム・スンソン自然助産院がなかったら可能ではなかっただろう。

キム院長は「看護学科を通っていた大学1年生の時に助産院になろうと心を決めた」という。幼い時から赤ちゃんのことがとても好きだったそうだ。助産師になろうとしたら、看護学科を4年通って看護師資格証を取り、その後1年間病院で助産学の勉強をして助産師資格証を取らなければならない。助産院といっても昔の産婆を思い出さないでほしい。キム院長は「全南大学病院で助産師免許を取ってから釜山の日新基督病院で1年間仕事を学んだ」という。当時の日新基督病院には釜山の多くの妊婦たちが通っていた。一年ごとに1万人の子供がここで産まれた。キム院長は「日新基督病院で双子の正常分娩を見たし、足とお尻から出で来る出産も見た。それで今も双子の自然出産に自信があるし、足とお尻から出で来る出産も自信がある」という。

キム院長は自然出産のために教育を大事にする。キム・スンソン自然助産院で子供を産もうとしたら4週間の教育プログラムを履修しなければならない。産前管理、産後管理、新生児管理、母乳授乳、ソフロロジー分娩法、赤ちゃんの沐浴法、赤ちゃんのマッサージなど、出産と赤ちゃんの世話に関する、必ず必要な内容で構成されている。キム院長は「母乳授乳119」も運営している。キム院長は子供を育てることについての先輩のお母さんとして相談役も努めている。

キム・スンソン自然助産院は産後調理院も設置されている。母子同室が基本だ。妻は「母子同室が大変だという話をたくさん聞いて心配していた。でも自然出産で体調が悪くなく難しくなかった」という。続いて「母子同室にすれば母乳授乳の可能性が高くて子供との愛着が早く形成されるようでよかった。ユンスルにはこれらのことができなくて残念」と吐露した。長男は産後調理院にいる間ずっと新生児室にいた。

キム院長は「ハンサリム済州生協」の理事長でもある。生命の出産を穏やかで平和に行い生命を健康に育てることという点でハンサリムと自然主義出産は通じている。この世の中で人としてできる一番大切なことだろう。

文:パク・ジニョン/前公共運輸労組連盟組織局長

原文(韓国語):http://www.pressian.com/news/article.html?no=119640

翻訳:コリ・チーム(沈池娟)