2月 272016
 

済州島が「宝島」になり得る秘密は?

 世知辛い都市生活を離れて、済州島に来る人々が多い。競争ばかりの人生から抜け出して自然の中で生きようと帰農・帰村する人々だ。一方、年間学費が5000万ウォンにも達する国際学校に行かせるために済州島に来る人も少なくない。済州島は、競争教育の土台が強固なところだ。中学校の時から高校入試の競争に子供たちが苦しんでいる。中学校を卒業する生徒の約半分だけが進学校に入ることができる。両親たちは子供たちが済州市内の進学校に入ることができなければ、恥ずかしくて各種の集いに出て行くこともないという。それゆえ、私教育費も全国のどの地域より高いほうだ。済州にくれば子供たちが狂った入試競争から抜け出せると思うのは大きな誤算だ。済州島もやはり韓国社会のすべての矛盾をそっくりそのまま抱いている所だ。島という特性により、その矛盾がもっと深刻に現れたりもする。教育も同じこと。異常な入試競争から離脱するためには、また違った悩みと行動が必要だ。

 このような悩みの中で作られたオルタナティブ・スクールがある。宝島学校だ。済州市内から車で5分の距離だが、閑静な田舎のような梧登洞(オドゥンドン)に位置している。漢拏山(ハンラサン)がきれいに見える所だ。37人が通う9年制のオルタナティブ学校だ。小学生が29人、中学生が8人だ。田舎の分校水準である小さい学校だ。3年前の2011年に開校した。去る10月末、宝島学校を訪ねてチョン・ヨンイル校長先生に会った。宝島学校はどんな人々が作ったのだろうか?

 「宝島子供の家(保育園)が『宝島学校』の基盤だ。何人かの教師たちが1995年から地域でのオルタナティブ保育について悩んだ。当時は民間の保育園だったが、父母たちの参加を誘導して、それなりに健康な保育を実現した。1999年から教師たち同士で共同育児に対する模索を始めた。その時から共同育児協同組合を作ろうと、園児の父母たちを説得した。2001年に準備委員会を経て、2002年度に正式に共同育児保育園を始めた。」

チョン・ヨンイル校長先生

チョン・ヨンイル校長先生

普通、共同育児協同組合といえば、父母たちが集まって作る。これに対して「宝島保育園」は教師たちが先に模索を始めた珍しいケースだ。長男のユンスルが今年3月から「宝島保育園」に通っている。この頃の保育園を見ると、遊び器具がかなり派手だ。これに対して宝島は、土広場と砂遊び場だけ。宝島では土と砂、自然が遊びの友達だ。五才の男の子であるユンスルにとっては毎日が遠足だ。野原に、森に、オルム(【訳注】済州特別自治道、西帰浦(ソギポ)地域漢拏山(ハルラサン)の山すそから海岸まで個々の噴火口を持つ小型火山体のこと)に…。

 「『宝島保育園』に通う子供たちが、小学校に入る年齢になると不安だった。保育園でそれなりに元気に成長したが、小学校に入って競争的な構造のなかで受けるストレスを発散する空間が必要ではないかと考えた。そこで2005年に土曜学校を作った。毎週土曜日にこの子らを連れてオルムや野原を歩き回った。サムルノリ(【訳注】朝鮮の伝統楽器であるケンガリ・チン・チャング・プクを用いた韓国の現代音楽)をやったり、あれこれ作ることもした。1年後、2006年から毎日放課後に行われる『回し輪学校』と、土曜日に開く『子供文化学校』を作った。」

 チョン先生は、放課後の教室と土曜日に開く文化学校をやりながら、オルタナティブ学校の夢を育てていったと話した。それが2011年の「宝島学校」として実を結んだ。共同育児を始めて9年という時間がかかった。その間に、困難はなかったのだろうか。

「痛みがあった。共同育児協同組合が解散した。共同育児を一緒に始めた父母たちは、教師を信頼した。一緒に宝島学校を作ったから。この父母たちが抜けて、新しい父母たちが入ってきてから教師との葛藤が生じた。ここはなぜ教師たちの勢力が強いのか、なぜ教師中心でなければならないのか?と言って葛藤が生じ、その葛藤をうまく解決できずに組合が解散した。」
「宝島学校」

 今は「宝島教育共同体」を作り、「宝島保育園」「宝島学校」「放課後回し輪学校」「土曜文化学校」を運営している。私たちの家族もユンスリを「宝島保育園」に通わせ「教育共同体」の会員になった。組合が解散するという痛みがあったが、「宝島教育共同体」を作り、教育を通した共同体運動をずっと繰り広げている。

 最近、韓国の児童の「生活満足度」がOECDの国家の中で最も低く、欠乏指数は最も高いことが分かった。特に韓国の児童の場合、余暇活動関連項目で欠如水準が高かった。我々の社会は子供たちにいったい何をしているのか。これに対して「宝島学校」の子供たちは楽しく遊ぶ!

 「低学年の子供たちはたくさん遊ばなければならない。遊ぶということは単純に時間を浪費するのではない。遊びを通じ、子供たちは多様な人間関係を経験する。様々な状況に対する対処能力を身につけるようになる。遊びの中に喜怒哀楽が全て入っている。そうした視点からみると、遊びは人生の予防注射ともいえる。」

 「宝島学校」の子供たちは、あらゆる遊びをする。もちろん遊ぶばかりではない。様々な教科課程がある。宝島学校」の教科課程には大きく分けて“生活教科”“基本教科”“プロジェクト授業”“自治会活動”などがある。

 「生活教育ならば学校に来て人に会い、自分の物を整理して、友達と関係を結ぶ、こうしたすべての日常が教育だ。生活教科の中には旅行と外出、遊びも入る。基本教科には国語、算数、生活科学が入り、人物教科、外国語教科、芸能教科などがある。」

 「宝島学校」では教育と子供の生活が別々になっていない。すべての日常が教育であり、教育がまさに暮らしだ。このような哲学の延長線上で「宝島学校」は教師と父母たちが作った学校でなく、子供たちも共に作ったのだ。

 「クラス別授業で最も多いのがプロジェクト授業だ。学校を開校してスマーフ村作りをした。スマーフ村は、生まれて名前が決まるのでなく、生きていく中でスマーフ各自の個性と特技によって名前が決まる。何かを上手く作れば『てきぱき』になり、いつも不満を言えば『ブツブツ』になる。子供たちの個性が「宝島学校」ではプロジェクト授業を通じて現れる。初めの頃の子供たちには、学校が開校したから学校を一緒に作っていこうと言った。」

 「宝島学校」に入るとすぐに小さい木の家が一つ見える。ドアのそばには「ブックカフェ」という看板が掲げられている。「ブックカフェ」のすぐ向かい側には、「自転車置き場」が見える。「自転車置き場」の向こう側には結構大きな「犬小屋」もある。これら全てプロジェクト授業を通じて子供たちが直接作った。

子供たちが直接つくった「ブックカフェ」

子供たちが直接つくった「ブックカフェ」

子供たちが直接つくった「自転車置き場」

子供たちが直接つくった「自転車置き場」

「タンポポ」発行人のヒョン・ビョンホさんは「手足を動かして仕事をすることにより、誰かの役に立って両親や周辺の人々から認められる経験は、子供たちの成長過程で大変重要な経験だ」と強調した。宝島学校のプロジェクト授業は、子供たちが仕事を通じて自分が他人の役に立ち、学校を自ら作り出す体験をしながら自然に共同体構成員としての品性を育てる教育だ。

 基本教科過程も子供たちによって毎年構成を変える。一般学校が学年ごとに習うべきことや進度が決まっているのだとすると、「宝島学校」は子供たちの特性によってその年の教科課程が決まる。小学1年生の教科でも、毎年入ってくる子供たちによって教科課程と目標が異なる。チョン先生は「各自に合う知識習得過程を作っている」と話した。小学5年生まで授業も聞かないで(!)楽しく遊んでばかりだった子供がいたという。その子供が6年生になって「僕は算数が出来なくてバカみたいだから、算数を学びたい」と話したそうだ。それで今年から算数の勉強を始め、10ヶ月後に小学6年生過程を大部分終えたという。チョン先生は「入試を目的としないために知識の構築がのろく見えるが、子供はある時点になると哲学を、理科を、算数を勉強したいという欲求が出てくる。その時に学ぶ知識の深さと構築速度は、一般学校の子供たちよりも優れている」と話した。

 「最後の教科課程として子供自治会がある。子供たちが学校生活に関連した全てのことを自ら決める。決めたことがうまくいかなかった時、どのようにこの問題を解決するかを話す。問題を起こす子供たちに助けもするが罰則も与える。もちろんその罰則も子供たちが決めたことだ。自治会の時は、教師全員も子供とともに一票を行使する。」

 「宝島学校」の子供たちは幼い時から生活の中で民主主義を学んでいる。私は、民主主義と共にする暮らしの価値を、制度圏教育の中でなく外で学んだ。教育は、安定した生活の手段を作るために存在するだけだった。このような傾向が今ははるかに強くなった。すべての家庭で教育を階層上昇への通り道として考え、死活をかけて競争する構造が現れた。オルタナティブ・スクールは、異常な過剰競争から積極的に離脱する勇敢な行動だ。自ら非主流を選択する行動だ。それだけに子供と両親が持つ心配もある。

 「父母教育、父母会をたくさん行う。互いに悩みを分かち合う。私が韓国社会で主流の考え方を持ちながら、子供をオルタナティブ・スクールに通わせるとしたら、絶えず葛藤せざるを得ない。父母が自ら別の生き方を、オルタナティブな生き方を探す努力をしなければならない。そうでなければ困難を経験するだけだ。」

 「宝島学校」の父母たちは、住宅組合を作って住宅共同体を建てることも検討しているそうだ。教育共同体から暮らしの共同体に広げるための努力だ。

 前述のように、済州島は競争教育の土台がどこよりも強い。オルタナティブ・スクールが根を下ろすことは容易でない。そのため、オルタナティブ・スクールの存在がさらに切実に見える。済州島には宗教関連のオルタナティブ・スクール、一部の特権階層のためのオルタナティブ・スクールを除けば「宝島学校」が唯一のオルタナティブ・スクールである。まだ済州地域社会の関心は少ない。しかし、革新学校(【訳注】「皆のための学校」という公教育の新たなパラダイムを開くために掲げられた学校)がオルタナティブ・スクールの実験の影響で作られたように、済州の教育の変化のためにも「宝島学校」は大事だ。済州島が「宝島」になることができるのは、美しい風景だけでなく、暮らしの代案を探す済州の人々がいるからだ。
(2014年11月11日)
宝島学校2

文:パク・ジニョン/前公共運輸労組連盟組織局長

原文(韓国語): http://www.pressian.com/news/article.html?no=121584

翻訳:コリ・チーム/山田貴子