10月 052008
 

2008年、韓国において何カ月も続いた蝋燭デモ(ろうそく集会)は、女子中学生らが米国産牛肉輸入反対と教育政策の誤りについて抗議を行ったことから始まりました。はじめはネット上での批判にはじまり、やがてソウル中心部の街中へと広がっていきました。

デモに参加した少女たちがなぜマスクで顔を隠していたかといえば、身元がわかれば教育委員会を通じて学校に連絡がはいり、デモへの参加を止められてしまうことになるからです。

政府が政策についての間違いを認めず弾圧を続けたので、デモはますます拡大していきました。そして牛肉輸入反対や教育政策反対だけでなく、李明博政権の政策を全面的に批判する動きに変わっていきました。デモに参加した世代も中高生だけでなく全世代に拡がっていき、子供を乳母車に乗せ、デモの最前線で警察に向き合うお母さんたちも登場するようになりました。

政府は、青瓦台までデモが進出するのを阻止するために、コンテナを溶接してつくった厚い壁で世宗路を封鎖しました。毎日午後6~7時頃になると、壁の手前は市民たちが灯した蝋燭で明るく、向こう側は警察が待機していて暗いという状況がこの壁によってつくられました。そして、人々はこの壁のことを、李明博大統領の名前をとって「ミョンバク山城」と名付けました。「2008年ソウルの新ランドマーク明博山城を祝う」と書いたりして、市民たちは越えることができないこの壁を使い、自分たちの気持ちを様々な形で表現しました。警察は集まった多数の市民たちを解散させるために、人々に向けて放水しました。それに対し、人々は揃いのレインコートを着て対抗しました。

こうした警察による弾圧は、むしろ市民を団結させる要因となり、警察の放水に対し、市民はおもちゃの水鉄砲で抵抗しました。無抵抗、非暴力を主張する市民たちは、不服従を示すために地面に横たわるなどし、警察の鎮圧のために多くの人が怪我をしました。しかし、弾圧が激しさを増せば増すほど、市民も様々な活動を展開しました。

「ペントハウス(戦闘警察バス)で1泊2日の無料観光に参加する人、大募集。国飯も無料で、特に友人・恋人との参加がお勧め」とか、「(警察のシンボルである)ポドリと一緒にソウル観光をしよう」というような広告も登場しました。

警察が一部の市民リーダーを逮捕しようとしたところ、その人ではなく私を逮捕しなさいという市民も現れるなど、警察や公権力の権威が失墜するような状況が生まれました。近くで食堂をやっている人たちの中には海苔巻を無料で提供したり、コーヒーを差し入れたりする人たちも出てきました。ソウルの街中は夜になると新しい共同体が生まれる空間になっていきました。最初のデモが女子中学生からはじまったので、「ろうそく少女」というコピーも登場し、Tシャツやレインコートなど蝋燭デモ関連グッズまで売られるようになりました。

蝋燭デモを通じて、今まで政治に無関心だった平凡な市民たちが自分の主張をすることを知り、大韓民国の主権は国民にあり、民主共和国であることに気付くことになりました。そして李明博大統領は国民に謝罪をし、全閣僚が辞任に追い込まれました。

私は蝋燭デモを見ながら、次のステップは何であるか、どのような準備しなくてはならないかを考えてきました。デモは問題提起をすることができるが、問題の解決まではできません。こうした市民の不満や疎外感を日常の生活の中で希望に変えていく方法がなくてはならないと思いました。

希望製作所はまさにこうした市民の欲求や不満を現実の生活の中で具体的に表現し、是正していくためのものなのです。希望製作所は市民参加型のシンクタンクであると呼んでいますが、伝統的な意味でのシンクタンクとは異なります。実践的な市民団体でありながら、地方政府や企業の社会貢献に対するコンサルティングをする会社でもあります。取り組みの方法は様々であっても、いろいろなセクターをつなぎ、オルタナティブな社会を目指して現状を変革し、新たにデザインするという目標をもっています。それは、現状や現行のシステムを肯定するのではなく、今の状況を乗り越えて新しいものをつくっていくことを意味するのです。

<本稿は、2008年7月28日に行われた日本希望製作所1周年記念シンポジウムにおける朴元淳希望製作所常任理事の講演内容の一部を編集したものです。>